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『でも』と『だって』をやめる

今日のおすすめの一冊は、『運命好転十二条』(五月書房)です。その中から「喜ばれる存在に」という題でブログを書きました。

本書の中に「『でも』と『だって』をやめる」という心に響く文章がありました。

ある方と一時間ほどお話をしました。 その方も自分なりの考え方がたくさんあるかと思うのですが、私はこのような話をしました。 

「○○さん、あなたは私が話したことに対して、すべての受け答えを『でも』と『だって』で始めました。 『でも、何々ですよね』『だって、これはこうじゃありませんか』と。 思い返してください。 

『なるほど、そうですよね』という受け答えで始まったものは一つもありませんでした。 全部『でも』と『だって』でした。 そういう考え方、生き方をやめて、『なるほど、そうですよね』 という受け答えをまずするようにしたらどうでしょうね。 そしたら人生がずいぶん楽になり楽しくなると思いますよ」 

自分のことをわかってもらいたい、自分の主義主張を唱えたいという気持はわかるのです。 しかし言い返すことによって味方が得られるとは思えませんし、 逆に敵をたくさんつくっているかもしれません。 

聞き入れるかどうかは別として、人の話は「なるほど、そうですよね」と聞いておけばいいのではありませんか。 そして取り入れられるものは黙って取り入れる。 取り入れられないものは自分の感覚で黙って切り捨てる。 

そして、その相手の話や提案を、一々『だって』や『でも』で切り返すのではなく 、黙って聞き入れたらどうでしょう。 そんな素直な生き方も、ひとつの生き方だと思います。 

◆人の話を注意して聞いていると、『でも』と『だって』で始める人は意外に多い。 相手の話を聞くより、自分の意見を言わなければ、 「個性のない、できないヤツと思われてしまう」、というような思い込みがあるのかもしれない。 

昨今は、自己主張しないと取り残される、自分の意見を言わなければ埋もれてしまう、 というような自己主張全盛の世の中だ。 そして、人の話を聞けない人が恐ろしい勢いで増えている。 その象徴が、『でも』と『だって』だ。 

素直な人は、相手の話をニコヤカに黙って、『なるほど、そうですね』と、うなづきながら聞く。 しかし、だからといって、その人の話を全面的に受け入れろ、というのではない。 自分と合わない話、考え方が違う話は、黙って切り捨て、忘れればいいだけのことだ。 

素直な人はどこかに鈍(どん)なところを持っている人だ。 カミソリの刃のように鋭い人は、敵を作ってしまいやすい。 ぼーっとして聞いていて、カチンとくることがあっても、次の日になって思い出すくらいの人がいい。

 『でも』と『だって』をやめ、「なるほど、そうですよね」と素直に人の話を聞ける人でありたい。

今日のブログはこちらから→人の心に灯をともす


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