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大切な二人のあの子たち「雪音と百音」新田サヤカと深山楓の物語(『おかえりモネ』二次小説)

ここにいるよ「命の騒めき」菅波光太朗と犬井桃太郎物語《前編》

ここにいるよ「命の騒めき」菅波光太朗と犬井桃太郎物語《後編》の続き

 菅波先生と桃太郎くんとの三人旅を終えた後、桃太郎くんのお母さんの犬井桃子さんが桃太郎くんを身ごもっていた頃、産むまでいろいろ葛藤したという話を聞いたら、ふと私も自分の過去を振り返りたくなった。

 タンスの鍵のかかる引き出しに長いこと封印していたあるものを数十年ぶりに取り出してみた。大切な友人が、学生時代にくれた水色のリボンを…。そのリボンは彼女とおそろいで、髪の長い彼女によく似合っていた。素敵なリボンねって褒めたら、同じものを私にプレゼントしてくれた。長くても肩までしか伸ばしたことのない短めの髪型の私は、リボンをもらってもうまく結えないよなんて言ったら、それじゃあ伸ばしてみればいいじゃない?長い髪のサヤカも見てみたいわなんて彼女が言うものだから、その気になった私はこのリボンを使うために髪を伸ばし始めた。二人でおそろいのリボンで結ったおさげを揺らして登下校した時代が懐かしい…。

《僕らを結ぶリボンは 解けないわけじゃない 結んできたんだ》 「リボン」

 リボンなんてささいなことがきっかけで、すぐに解けてしまう。そんなもろいものを解けないようにきつく結ぶのが彼女はとても上手だった。サヤカは不器用ね、私がちゃんと結ってあげるからなんて笑っていた彼女の横顔をふと思い出した。

 大切だったはずの彼女との縁を切ってしまったのは私の方だった。流産を経験し、傷心状態だった私には、似て非なるつらい思いを経験していた彼女に寄り添う余裕はなかった。犬井さんの話を聞いて以来、私がほどいて放棄してしまった彼女との縁を結び直して、もう一度やり直せたらという思いが強くなった。

 歳を重ね、人との出会いや別れが増える度に、私はいつでもここで待っているから、いつでも帰っておいでなんて気の利いたかっこいいことを言える大人のフリして快く送り出しているけれど、自分は結局、いつでも受け身だったと気付いた。
 私はいつだってそうだ。本当は拒絶されるのが怖いから、自ら相手の胸へ飛び込めないだけだ。同じ場所から動くことなく待っている受け身の方が、自分で選ぶことができる。私を選んで、側にきてくれた人を受け入れるかどうか、判断した方が楽だと無意識のうちにそういう自分になっていたかもしれない。
 最近は来てくれる人なら誰でも受け入れて、選別するようなことは少なくなったけれど、特に若い頃、男性に対しては受け身で選り好みしていたと思う。それは彼女もよく知っていることだけれど。

 自分から縁を切っておきながら虫の良い話だけど、もう一度、彼女とじっくり話がしたいと思った私は筆をとった。

「拝啓 深山楓(みやまかえで)様、たいへんご無沙汰しております。お元気ですか?長らく連絡できなくてごめんなさい。どうしてもあなたに伝えたいことがあるの。私にとって大切な二人の「あの子」の話を聞いてください。…」

《大切にするのは下手でも 大切だって事は分かっている せめてその白い手紙が 正しく届きますように》 「Aurora」

 裕福な育ての親の元で育った私は、年頃になると親から政略結婚のような多くの縁談を持ち込まれ、お見合いで二度結婚し、結局二度とも離婚していた。三十代半ばで両親を亡くし、広い家で一人きりになった時、悲しい反面、これでやっと私は自由に生きられると思った。知らないうちに私は格式高い新田家に縛られて、窮屈な思いをして生きていたのかもしれない。

 もしもまた結婚の機会があるとすれば、今度こそ誰かに用意された相手ではなく、自分の力で出会って、自分で選びたいと考えていた。
 当時、私もすでに参加していた登米能を見に来てくれていたお客さんの一人だった泉正雪(いずみまさゆき)さんという男性と出会い、三度目の結婚をすることになった。三度目とは言え、自分の意志で結婚するのは初めてだったため、不本意な過去二回の結婚生活より幸せだと思えた。

 新田家の跡取りとして養子に迎えられていた私は、両親が他界したからと言って、家から逃げ出すわけにもいかず、山の管理もあり、私が家から離れられないことを承知していた正雪さんは婿になってくれた。音楽が好きで、ピアノが得意な正雪さんのために、私は自宅にピアノを用意した。嫁入り道具ならず婿入り道具みたいなものだった。
「私は能管しか吹けないし、正雪さんはピアノが弾けてすごいわね。」
彼が弾くピアノの音色に耳を傾けながら過ごす時間が私はとても好きだった。
「能管の方がすごいと思うよ。あれは習得するまで八年もかかるって聞いたよ。ピアノはその気になれば音だけは誰でもすぐに鳴らせるからね。」
「音は出せても、ちゃんと音楽として弾けなきゃ意味ないもの。片手ずつ違う動きをして弾かなきゃいけないピアノは難しそうよ。」
「僕が教えるからサヤカも挑戦してみたら?案外楽しめると思うよ。」
「私は能管の練習で精一杯だから…。それに私は自分で弾くより、あなたが弾くピアノを聴いている方が好きなの。」
「そうなの?それなら、きみのために曲を作って弾くよ。」
そんなことを言い出すと、作曲もできる正雪さんは本当に私のために「清か(さやか)」というピアノ曲を作って弾いて聴かせてくれることもあった。

 森に囲まれ、ピアノの音色が響く家で、二人きりで過ごす時間は本当に幸せなものだった。なかなか子どもは授からなかったけれど、それでもいいと思えた。二回の離婚はそれが原因だった。家を絶やすことのないように、やはり跡取りをほしがっていた両親は孫の誕生を待ち望んでいた。跡継ぎを急かされ、プレッシャーに感じた相手の男性たちの方が逃げ出してしまったようなものだった。元々生理不順で、たぶん私の身体の方に原因があって、なかなか授からなかっただけだから、少し申し訳ないと思いつつも、好き好んで選んだ相手ではないし、未練はなかった。授かりづらい体質で、きっと今回も授かることはないだろうと半ば諦めてはいたものの、三度目の結婚はちゃんと好きになった相手だから、できれば授かりたいという気持ちも少しはあった。

 彼の方もまた、
「子どもがいないからって不幸というわけではないと思うんだ。夫婦二人きりで生きる人生もまた別の形の幸せがあるよ。」
なんて言ってくれて、子どもに固執するタイプではなかったため、気が楽になり、居心地の良い彼との二人暮らしで十分幸せだと思えていた。そもそも私は子どもが大好きで、母性に溢れているようなタイプの人間でもなかった。子どもは嫌いではないけれど、何が何でもほしいとは思えなかった。たぶん自分自身のことがあまり好きじゃなかったせいもあるかもしれない。好きじゃない自分の分身を産んで、何になるんだろうと冷めていた部分もあった。もしも自分が大好きな人間だったら、大好きな自分の分身を後世に残したいと思えたのかもしれないけれど。たしかに私は、育ての親から何不自由ない暮らしをさせてもらい、傍から見れば華やかで幸せそうな人間に思われていたかもしれないけれど、産みの親を知らない自分は本当は何者なのか分からないというコンプレックスのようなものを抱いたまま、生きていた。新田家の跡取りとして人形、もっと言えば山の人柱になるべき存在のように生かされていた私は、そんな自分のことが嫌いだった。自分のような人間はもういらないと思っていたから、あまり子どもをほしいとは思えなかったのかもしれない。本当の意味で自由はなく、幸せにはなれないかもしれない人間を増やして何になるのだろうと。

 それに私はもうそんなに若くもなかった。いよいよ40歳を迎える39歳という年齢で、妊娠の可能性はどんどん低くなっていると思い込んでいた。

 東北にも春の足音が聞こえてきたその年の3月上旬、春眠暁を覚えずどころか、一日中眠気のとれない日が増えていた。いくら寝ても、眠い。いつもなら彼がピアノを弾いてくれたら、ぱっと目覚めるのに、ピアノの音色の効果もむなしく、起き上がることができなくなっていた。
「サヤカ、最近やっぱりおかしいよ。どこか悪いのかもしれないから、病院に行ってみたら?」
「眠気がとれないくらいで病院に行くなんて恥ずかしいわよ。それに私はあまり病院が好きじゃないこと、知ってるでしょ?」
「でも…サヤカの身体に何かあったら心配だよ。ほら、湊(みなと)先生に相談してみるとか。」
湊先生というのは、登米に古くからある産婦人科病院の先生で、親同士が知り合いだった縁もあり、昔から顔を合わせる機会が多かった。先生は漕艇が好きで、休みの日には地元の長沼でボートを漕いでいる姿をよく見かけていた。彼も私も長沼が好きでよく訪れており、湊先生とばったり会って雑談することもしょっちゅうだった。
「うーん。でも産婦人科の先生にお世話になるようなことではないと思うんだけど…。」
「たしかに湊先生の専門は産婦人科だけど、でも内科的分野なら見てくれると思うよ。頼れる町のお医者さんで、患者さんからも慕われているみたいだし。ほら漢方にも詳しいみたいだし。」
そう彼に促され、仕方なく、病院嫌いの私は湊先生の病院を場違いと分かっていて訪れることにした。

 「おーサヤカさん、珍しいですね。今日はどうしましたか?」
湊先生は快く私を迎えてくれた。
「すみません、たいしたことじゃないんですが、最近どうしても眠気がとれなくて、主人が湊先生に診てもらえと言うものですから…。こちらに伺うような病気じゃないと分かっていて、伺いました。」
「眠気がとれない?体温もやや高めですね…。いや、これはもしかしたらうちの病院で正解かもしれませんよ。ちょっと診察してみましょうか。病院が苦手でなかなか来てくれないサヤカさんはたまには検診も必要ですよ。」
そう言われて仕方なく、内診してもらうことになった。40歳になるというのにガン検診さえ一度も受けたことがなかった。
「やっぱりそうだ。サヤカさん、おめでたですよ。おめでとうございます。」
湊先生からそんなことを言われた私はすぐには自分の身に起きていた事態を理解できなかった。
「えっ?先生…私、妊娠しているんですか?」
「えぇ、そうですよ。今…六週目くらいですね。ちょっと待ってくださいね。超音波で見せますから。」
先生はそう言うと、私に白黒の画面を見せながら、説明してくれた。
「これが子宮の内部です。そしてここが赤ちゃんが育つ袋の胎嚢。胎嚢の中にわずかに見える小さな白い点がサヤカさんの赤ちゃんですよ。ほら、動いている心拍が見えるでしょ?」
すぐには信じられなかった。しかしたしかにその白い点は何か合図でも送るように点滅を繰り返し、規則正しく動き続けていた。それはまだ、ただの点にしか見えない小さな命だったけれど、なぜか無性に尊くて、愛しい存在に思えてきた。
「それから、ここがお母さんと赤ちゃんをつないでいる部分。」
先生が「お母さん」なんて言葉を使って説明を続けるものだから、私はいつの間にか母親になっていたんだと少しずつ自覚し始めた。
「写真を差し上げますね。正雪さんにも見せてあげてください。それから眠いのもつわりの一種だから、無理なさらないように。安定期に入るまではなるべく安静に過ごしてくださいね。今が一番大事な時期ですから、何か異変を感じたら、すぐにまたいらしてください。」
内診後、湊先生は私に一枚のエコー写真をくれた。鮮明とは言えない不鮮明な白黒写真だったけれど、そこにはたしかにさっき見せてもらった白い小さな命が薄暗い子宮の中に写っていた。

《誰も知らない 命の騒めき 失くさない ひと粒 どこにいるんだよ ここにいたんだよ ちゃんと ずっと ちゃんと ずっと》 「Flare」

 帰宅し、正雪さんに報告するとこの上ない笑顔になって喜んでくれた。
「えっ?サヤカ、病気じゃなくて妊娠してたの?赤ちゃん授かったんだ…。良かった…本当にありがとう。」
「正雪さん、二人きりでも幸せとか言ってくれてたけど、本当はやっぱり早く赤ちゃんほしかったのね。時間かかってしまってごめんなさい。」
「もちろん二人きりでも幸せだけど、こんな写真見せられたらさ、子どもがいた方が、三人の方がもっと幸せって思えるよ。そうだ、名前、考えなきゃ。」
「名前なんてまだ気が早過ぎるわよ。まだ6週って言われたし。」
「いや、こういうことは早く考えておいた方がいいと思うんだ。何しろこれから出産準備とかでどんどん忙しくなるんだから。そうだな…雪音。雪の音と書いて、男なら「ゆきと」、女なら「ゆきね」と読めば、どちらが生まれても困らない名前だよ。いい名前だと思わない?」
「素敵な名前だとは思うけど、おそらく生まれるのは10月下旬頃で雪の季節には少し早いかもしれないわ。」
「うーん、そうか…じゃあマサヤとかユキカはどうかなぁ。」
「結局またユキじゃない。正雪さんは本当に雪が好きなのね。じゃあいいわ。雪音という名前で。どちらが生まれても困らない漢字は気に入ったし。今年は初雪が早まることを祈りましょう。」
「ありがとう。雪も好きだけど、音楽も好きだから、音も使いたかったんだ。僕だって正雪って名前だけど、四月なのに雪が降った日に生まれたから、春生まれだけど、この名前なんだ。」
「そうだったの。四月生まれなのにどうして雪なんだろうってずっと不思議だったの。じゃあ秋に雪が降ることもあり得るものね。」
私たちはこんな風に早くも我が子の名前を考えてしまうほど、今まで経験したことのない幸福感に包まれていた。

《名前ひとつ 胸の奥に 鞄とは別に持ってきたよ 声に出せば鳥になって 君へと向かう名前ひとつ》 「Spica」

 赤ちゃんを授かることができたと実感すればするほど、感動も大きくなり、同時に私の中で眠っていた母性が覚醒した。自分のことは好きになれないし自分の子どもなんて残して何になるんだろうと思っていたけれど、この子の中には自分だけでなく大好きな正雪さんの血も受け継がれていると思うと、赤ちゃんが無性に愛しく思えた。それから生まれて間もなく、離れ離れになってしまい、顔も知らない産みの親の血もこの子の中には流れている…。知りたくても知れなかった、会いたくても会えなかった大切な人たちの命の一部がこの子の中で生きていると考えると、我が子から命の尊さを教わった気がした。この子はもはや自分だけのものではなく、正雪さんや、産みの両親の命も引き継いでいて新たな一人の人間なんだから、大切にしゃなきゃと思えた。家に縛られていた私は、ずっと何のために生きているんだろうなんて投げやりな気持ちになってしまった時期もたしかにあったけれど、なんとか生きていたのはきっとこの子に会うためだったんだと気付いた。この子に会いたくて、私は今日まで生きていたんだと本気でそう思えるほどのことだった。

《心臓が動いている事の 吸って吐いてが続く事の 心がずっと熱い事の 確かな理由を 雲の向こうの銀河のように どっかで失くした切符のように 生まれる前の歴史のように 君が持っているから》 「アンサー」

 そしてエコー写真に写る白い小さな命を眺めながら、病院で見せてもらった、この子が生きている証そのもの、あの心拍を思い出していた。振り返ってみても何よりも綺麗で尊い光だと思えた。いつか正雪さんに教えてもらった「彩雲」という虹色の雲の光よりも、なないろの虹よりも、流れ星よりも、どんな宝石よりも、輝いているように見えた。生まれよう、生きようとしている小さな命の瞬きに私は圧倒された。この世界にこんなに尊い光が存在したことを教えてくれた我が子に、私はこの世界の美しさを教えてあげたいと思った。彩雲を見せてあげたい、木々の匂いを感じさせてあげたい、それから正雪さんが奏でるピアノを聴かせてあげたい、光や温もりをたくさん感じさせてあげたい…。しかし生まれたら幸せなことばかりではないから、たとえ不幸せと思えることが起きたとしても、めげずにしぶとく生き抜くことのできる子に成長してほしいと願った。時には不幸せなことも起きてしまう現実を隠すことなく教えて、そういう時、どう生きるかが大切だと教えてあげたいと思った。私だって幸せそうに見えて自分では不幸だと思うこともあって、でも不幸せなことがあったとしても、正雪さんという信じられる人と出会えて、愛することができて、あなたを授かることができたから、あなたも信じて愛せる人と出会える大人になってと伝えたくなった。大切だと思える人と出会えたら、たとえ不幸せだったとしても、たくましく強く生きることができるからと…。

《あの輝きを 君に会えたから見えた あの輝きを 確かめにいこう》
《泣いたり笑ったりする時 君の命が揺れる時 誰より (近くで) 特等席で 僕も同じように 息をしていたい》 「アカシア」

 柄にもなく、そんなことを考えてしまうほど、母性が泉のように沸き立ち、日増しにこの子に会えるのが待ち遠しいと思えるようになった。ちゃんとおなかの中で育てて、無事に産んであげたい、この子を守らなきゃと思っていたはずなのに、眠い以外のつわりがなく、以前とほぼ変わらず何でも食べられる私は、元気で健康だと自分の身体を過信してしまっていた。安静にと言われていたのに、変わらず山にも入り、大事なヒバたちの様子を見に行ったり、森林組合に行った時は、重い木材を自分の手で持って材質を確かめてみることもあった。

 9週目に入った頃、ふいに出血が始まり、慌てて湊先生の元へ行くと、
「サヤカさん…残念ですが、赤ちゃんの心拍が止まってしまっています。」
と流産を告げられた。私は目の前が真っ暗になった。あれほど無理しないようにと言われていたのに、つわりもなくて動けるからと動き続けていた自分が悪かったと自分を責めた。後悔してもしきれないほど悔やんだ。

 四月初旬、流産の処置を終え、私は空っぽになってしまって子宮を抱えたまま、魂の抜け殻のようにかろうじて呼吸だけ続けていた。そう言えば、おなかが内側からひっぱられるような感覚があったのに、あの子がいなくなってしまったら、その感覚がなくなってしまった。おなかに全然力が入らない。眠気もなくなってしまった。あの子がいた証がどんどんなくなって、元に戻ろうとする身体の変化についていけなかった。ただ、胸の張りだけはしばらく消えることはなく、それが余計につらかった。

《何も要らない だってもう何も持てない あまりにこの空っぽが 大き過ぎるから》 「月虹」

 小さなあの子がいなくなり大きな空っぽという喪失感だけ母親になり損ねた私の心に最後まで留まり続けた。それはまだ小さなあの子の存在がどれほど大きなものだったかを私に知らしめた。
 正雪さんは悲しみに明け暮れながらも、立ち直れない私のことを思いやり、励まそうとしてくれた。
「サヤカ…処置してからもうすぐ49日経つし、あの子をちゃんと送り出すためにもレクイエムを作ったよ。「雪の音」っていう曲なんだけどさ、聴いてくれる?」
そう言って、彼はピアノを弾き始めた。それはその時の彼なりのやさしさだったのだろうけど、何も受け止める余裕のなくなっていた私は冷たくあしらってしまった。
「レクイエムなんてやめてよ…あの子は…ちゃんと生まれることができなかったから、あの世へ行くのではなく、きっとどこかで生まれ変わってくれるはずよ。だから送り出すなんて言わないで。」
その頃、私は、水子はまだ生まれていないから、真っ先に生まれ変わる対象になると子を失った母をなだめるような都合の良い本を読み漁っていた。
「ごめん。そうかもしれないけどさ…でもそろそろ前を向かないと、サヤカが壊れてしまいそうで心配だから…。」
「私ならあの子を失った時からとっくに壊れてしまったから、心配しないで。私もあの子と一緒に死ねたら良かったのに…。なんで私だけ生き残ってしまったの。あなたには絶対分からないわ、自分のおなかの中にいた子を失った悲しみは。自分の中で動き続けるあの子の心拍を感じたことのないあなたには分かりっこない。」
「サヤカ…たしかに僕は男だから、自分のおなかに子どもを宿すなんて奇跡は体験できないし、きみの痛みや悲しみを100%理解することは難しいかもしれない。けれど、きみの悲しみや痛みをもっとちゃんと分かりたいと思っているよ。僕だってあの子のことは忘れたくないし、きみと一緒に一生、あの子がいた幸せとあの子を失った悲しみを背負いながら生きていきたいと思ってる。だから生きるために前を向こうよ。きっといつまでも悲しんでいたら、あの子が心配してしまうと思うんだ。こんな話したら酷かもしれないけど、三途の川の話…。親より先に死んでしまった子は三途の川のほとりで石を積んで過ごすんだって。親より先に死ぬことは罪とされて。それで石を積み続けるんだけど、鬼がやって来て、その石は崩されてしまって、一から積み直すことになって、手が荒れてしまって…。」
「そんな話は迷信じゃない。そもそも親より先に死んだことは罪にならないわ。私が死なせてしまったようなもので、あの子に何の罪もないから。そんな話はもうやめて。」
「ごめん、伝えたかったのはその後なんだ。だからね、どうしたら子どもが石を積まずに済むかってことなんだけど、親が亡くなった子を思って涙を見せなくなれば罪から解放されるんだって。親はもう悲しんでいないから大丈夫ってことで。つまりある程度忘れてあげることも愛情の一つなのかもしれないよ。」
彼はどうにかして私の苦しみを和らげようと必死で、そんな話まで持ち出したのかもしれないけれど、当時の私は聞く耳を持たなかった。
「忘れてあげることも愛情なんて言わないで。産んであげられず、誰とも会えなかったあの子のことは私まで忘れてしまったら、それこそ存在そのものが消えてしまうわ。忘れないことしかできないのよ。忘れなきゃずっと悲しいのは分かっているけど、でも忘れてしまった方がもっと悲しいし…。あの子が存在した証を消したくないの。」
「そっか、ごめん…。じゃあ僕もどんなにつらくても忘れず、きみと一緒にあの子のことを思い続けるから、元気出して。それにもしかしたらいつかまた授かれるかもしれないよ。また授かれるように僕もがんばるから。」
彼が励まそうとすればするほど、逆効果だった。私は彼の言動にいちいち突っかかってしまった。
「正雪さん…たとえまた授かったとしても、それはもうあの子じゃないの。別の子なのよ。私はあの子、雪音という名前のあの子を産んであげたかった。せっかく生まれようと私たちの元を選んできてくれた雪音のことを産みたかったのよ…。違う子では意味ないの。もう二度とあの子には会えないのよ…。」
そして私はまた泣き崩れてしまった。

《思い出すと寂しいけど 思い出せないと寂しい事 忘れない事しか出来ない 夜を越えて 続く僕の旅》 「なないろ」

 二人きりでも幸せと思えていたのは妊娠する前までの話で、私たちの心は少しずつ離れていった。少なくとも彼は私の気持ちに寄り添おうと最後まで努力してくれたけれど、私の方が拒絶してしまった。ここに…おなかの中にあの子がいた尊さを知ってしまったからには、今さらあの子を知らなかった時代の自分には戻れなかった。何かとても大事な忘れ物、落とし物をしてしまった気がして、私の心は完全に迷子になってしまっていた。

《世界が時計以外の音を失くしたよ 行方不明のハートが叫び続けるよ》 「月虹」

 あの子を産んであげられなかった分、あの子の代わりに新たな木を育てようと樹齢300年近くになるヒバの近くに、小さなヒバを植えた。あの子の魂がこの木に宿りますようにと願いながら…。そんな気休めをしても、私の心が晴れることはなかった。

 時を経て、また妊娠したかもしれないと思える高温期が続くと少しばかり期待してしまうことも何度かあった。しかしその度にそれはやっぱり気のせいで、想像妊娠と気付くと、残念に思うどころか、ほっとする自分もいた。他の子を授かってしまったら、あの子のことを忘れてしまうかもしれないことが怖かった。残念なのに、あの子を忘れずに済むと思うと安心できた。それくらいあの子の存在を忘れたくなかった。

 妊娠中は彼の遺伝子も持つあの子がおなかの中にいたせいか、以前以上に彼のことを愛せたのに、あの子が死んで、私の身体の中からいなくなった途端、なぜか彼に対する愛情も少しずつ薄れてしまい、いつの間にか静かに引く波のように消えていた。もしも無事にあの子を産めていたら、正雪さんに対する愛情が消えることはなかったかもしれない。

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《飾られた古い絵画のように 秒針の止まった記憶の中 鮮明に繰り返す 君の声が 運んできた答えを まだ しまっていた言葉を 今 探している》 「クロノスタシス」

 そしてついに三度目の離婚となった。正雪さんが新田家を去り、主を失ったピアノも処分しようと考えていた矢先、学生時代からの友人の楓が私の元を訪ねてきた。彼女とは学生時代と違って、頻繁に会えるわけではなかったけれど、心地良い距離感を保ちつつ、年に数回は会い、40歳まで友情が途切れることはなかった。
「サヤカ、また離婚したの?これで三度目よね。私は独身仲間が増えてうれしいけどね。」
なんて少しも気を遣う様子もなく、そんなことをひょうひょうと言った。昔から何でもはっきり言ってくれるそんな楓が私は好きだった。
「そうね、また楓と一緒に独身生活を謳歌するわ。もう結婚することはないだろうし。」
「そんなこと言って、サヤカのことだから、またきっと結婚するわよ。私もね、実は結婚を考えた人がつい最近までいたの…。」
楓から結婚を考えていた人がいるなんて聞くのは初めてだった。
「えっ?そうなの?どこの誰?」
「職場の花屋に来てくれるお客さんで、結婚を前提にお付き合いしていたんだけどね…。」
私は妊娠、流産を経験して以降、しばらく彼女とは会えておらず、彼女の口から初めて聞く話だった。妊娠したことも流産したことも、まだ話せていなかったから、今日なら話せるかもしれないと考えていた。
「どうかしたの?まさか別れちゃったの?」
「うん、その通り、別れちゃった。私ね、彼との子を妊娠して、喜んでくれるかなって思って彼に伝えたら、実は妻子がいるからその子は堕ろしてくれ、ごめんなんて言われてね。ショックだった。奥さんやお子さんがいたことより、子どもを諦めてくれって言われたことがね。」
まさか楓まで同じ頃に妊娠していたなんて全然知らなかった。
「そうだったの…。それでおなかの子は?」
「彼には頼れないけど、黙って一人で産んで育てようと最初はそう思ったんだけど、でも…。大事な子だからこそ、将来を考えてしまって、どうしてお父さんがいないのと聞かれたら、何て説明しよう、もしもいつか奥さんにバレてこの子を傷つけてしまうようなことになったらとか不安が拭えなくて。しかも40歳で産んで成人するまであと20年、一人で子どもを守り続けることができるのかとかいろいろ考えてしまったら、本当に恐ろしくなって。せめてあと10年若かったら、がんばれたと思うんだけど…。本当に大事だからこそ、諦めなきゃって思ったの。だから9週の時…中絶したの。」
昔から虫も殺せないほどやさしい楓が中絶したとたしかにそう言った。私は自分が流産した時と同じくらいショックを受けた。同じ9週でも、流産と中絶では似ているようで全然違う。死んでしまうのと息の根を止めるのとでは全く違う。私だったら、もしも楓と同じ状況になったとしても、何が何でも子どもの命を守ろうとすると思う。彼女とはもう二度と分かり合えない気がした。大事の子なのにどうして諦められるの?大事なら何があっても誰も味方がいなくても、守り切ることができたでしょ?少なくとも私は楓の味方になったよ。でも…中絶してしまった楓を擁護してあげる気にはどうしてもならなかった。だから本音も自分が流産してしまったことも何も言えなくなった。
「そんなことがあったんだ…。たいへんだったね。相手に受け入れてもらえなきゃ仕方ないよね。」
そんな心にもないように言葉を発するのがやっとだった。
「うん…せめて認知してもらえたら、産めたと思う。経済的にもシングルマザーじゃたいへんだもの。もちろんそうやって子育てしている人も世の中にはたくさんいるけどね。私はそこまで強い母親にはなれなかった…。でも大事な子って思ったのは本当なんだよ。誰よりも大事って思えたし、大好きだった。大好きだったから、お別れしたの。大好きな子を不幸な子にはしたくなくて…。今なら不幸な人生を食い止めることができると思って。でも今となってはやっぱり手放さなきゃ良かった、何が何でも産めば良かったんだと後悔したり、泣いたり、全然立ち直れていないんだ…。誰にも話せなくて、ずっと一人で考え続けていて、今さら時間を戻せるわけじゃないんだけど、でも私、本当はあの子のちゃんとした母親になれる人間になりたかったよ…。」
自分の意志で中絶したなら、悲しむことも泣くことも身勝手に思えた。彼女にそんな資格はないだろうと。
「そっか…どちらの選択が正しいかなんて誰が決められるものでもなくし、楓が考えて悩み抜いて自分の力で出した答えなら、きっとそれが正解なんだよ。後悔しても仕方ないよ、時間と命は取り戻せないんだし。それより、これからの楓の人生を大切にした方がいいよ。あなたを産めなかったせいでお母さんの人生は不幸になったなんて子どもに思わせてしまったらかわいそうだよ。」
「ありがとう、サヤカ。サヤカに話せて良かったよ。ずっと聞いてほしかったんだ。でも幸せそうな新婚生活のサヤカに話せることではなかったから。なかなか言い出せなくて、報告が遅くなってごめんね。サヤカもいてくれるし、私なら大丈夫だから。ところで正雪さんがいなくなってあのピアノはどうするの?」
私は必死に作り笑みを浮かべつつ、なるべくやさしく彼女に接しようと努力していた。心の中では行き場のない悲しみや憤りのような感情が芽生えていたけれど。
「ピアノは…どうせ私は弾けないし、処分しようとしていたところよ。」
「それなら、私に貸してもらえないかな?気分転換にピアノ、練習してみようと考えていたの。」
「いいわよ。貸すっていうか、楓にあげるから。誰かに譲ることも考えていたし。」
「えっ?いいの?ありがとう、サヤカ。ピアノ、弾けるようになったら、絶対、聴きに来てね。」
その日、私は最後まで彼女に笑顔を絶やすことなく、大人のふるまいをした。そして「またね」と言って帰る楓に微笑みながら、手を振った。あの子という存在がいたことを友人だったはずの彼女にはどうしても言えなかった。もう二度と会うことはないかもしれないし、秘密にしておこうと思った。

《僕らの間にはさよならが 出会った時から育っていた》 「アリア」

 数日後、業者に依頼してピアノを楓の家に届けてもらった。新田家からは正雪さんもピアノも完全にいなくなり、少し広く感じる空間に寂しさを覚えた。それから私の心からは大切だったはずの楓という存在も消えようとしていた。彼女の存在を封印するかのように、昔、楓からもらった今では少し色褪せてしまった水色のリボンも捨ててしまおうかと思ったけれど、なぜか捨てることができなくて、タンスの中で鍵のかかる引き出しの中にそっとしまった。

《失くせない記憶は傘のように 鞄の中で出番を待つ》 「なないろ」

 楓、これがあなたに話せていなかった一人目の大切な「あの子」の話。ずっと言えなくてごめんなさいね。あの頃の私には余裕がなかったの。あなたの話を聞いて、あなたを受け止められなくて、あなたと私はもう分かり合えないなんて勝手に決めつけて線引きしてしまって、ごめんなさい。何も知らないあなたはその後も変わらず、電話や手紙をくれたのに、そのうち私はそれさえ無視するようになってしまって…。あなたはきっと、どうして自分を避けようとするのか分からなくて、戸惑ったよね。
 もう昔のことだし、あなたとのことは忘れようって思っていたの。でももう一人の大切な「あの子」と出会って、その子をきっかけに出会えた人たちが私の気持ちを変えてくれたの。もう一人のあの子というのはね…水色のリボンが似合う女の子で…。

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《もう一度起き上がるには やっぱり どうしたって少しは無理しなきゃいけないな 一人じゃないと呟いてみても 感じる痛みは一人のもの》 「Flare」

 産んであげられなかったあの子のことを忘れたくないし、もう二度と結婚することはないと思っていたけれど、50歳過ぎて、閉経した頃、四度目の結婚をすることになった。子どもを授かりたいなど考えずに、純粋に二人で幸せになれると思って一緒に暮らし始めたものの、結局ダメだった…。小さなあの子が私に与えたもの、残したものはあまりにも大きくて、閉経したら子どものことは考えずに済むなんて安易に思ってしまっていたけれど、そう簡単なものではなかった。もう授かれない身体なのに、子宮があの子のことを覚えていて、再婚した相手のことをちゃんと愛することができなかった。結婚してからそう気付いても、後の祭りだった。

 四度の結婚離婚、たった一度の妊娠流産を経て、私はようやく一人きりで生きていく覚悟を決めた。「いいじゃないの、また一人でも。こういう人生よ。」という思いで。今でこそ、登米の山を背負って一人でたくましく生きるサヤカさんと尊敬されるような人間になれたけれど、そんな私になるまでは随分時間がかかった。病院嫌いは治っていなかったけれど、歳を取ると身体に不安も感じるようになり、湊先生は亡くなってしまったし、病院が苦手な人でも気軽に足を運べるアットホームな病院があったらいいと思いつき、新田家の資産でそんな病院を作ってしまった。それが米麻診療所。カフェも森林組合もある複合施設で、私のように病院が嫌いな人でも楽しく通える場所ができたと思う。その施設を作ったおかげで資産はほぼ底をついてしまったけれど、お金がなくなることなんてもはやそんなに怖くはなかった。子どもがいるわけでもなく、自分一人の余生を質素に暮らせる僅かなお金さえあればそれで十分だった。

 そして流産したあの子を処置した日、つまりあの子の命日とも言える28年後の2014年4月上旬、もう一人のあの子と私は一緒に暮らすことになった。

《嵐の中をここまで来たんだ 嵐の中をここまで来たんだ 出会って生まれた光 追いかけて》 「リボン」

 古くからの友人で気仙沼でカキ養殖業を営んでいる永浦龍己さんのお孫さんで高校を卒業したばかりの百音(ももね)通称・モネを登米の私の家で預かることになった。
 モネは登米の森林組合に就職したばかりで、まだ慣れない仕事に奮闘する傍ら、洗濯や食事の支度など家事もちゃんとこなしてくれた。
 私が日課にしていた「五常訓」を読むことも嫌がらずに付き合ってくれた。当時のあの子は何か夢や目標があるわけではなく、ふわっとしたけれど、真面目な性格で何かこれだってものをみつけたいと、もがきながら、一生懸命生きていた。
 最初のうちはぼんやりしていて頼りなかったあの子も、登米でたくさんの人たちと出会い、特に後の旦那さんとなる菅波先生という米麻診療所に来てくれたお医者様と出会って、夢も見つけて、夢に向かって努力し始めたら、見違えるように頼もしくなった。私が足を怪我してしまった時や、台風の夜なんかはあの子が側で支えてくれて、立場はすっかり逆転していた。預かった当初は、私がこの子を支えなきゃって思っていたけれど、いつの間にか私の方があの子に支えられていて、ずっと側にいてほしいなんて願い始めてもいた。やさしいあの子はそれに気付いて、本当は東京で夢を叶えるチャンスをつかんだのに、私に遠慮して、私になかなか言い出せなくて、あの子に苦しい思いもさせてしまった。あの時はかっこよく一人で生きていたはずの大人として失格だったなと思う。一人でも大丈夫という背中を見せてあげられなかったことは申し訳なかったと。だから私は大事に守っていた樹齢300年のヒバを潔く切って、未練なく未来に託そうとした。300年もののヒバの近くには我が子代わりのまだほんの28年もののヒバも植えていたけれど、それはあの子には教えられなかった。私に流産してしまった子がいたなんて知ったら、きっと余計な気を遣わせてしまうと思って、あの子にも誰にも言えないまま、自分の心の中で秘密を貫いていた。相手につらい思いはさせたくなかったし、私は樹齢300年のヒバは手放すことができても、我が子だけは最後まで手放したくなかったんだと思う。自分の手中に留めておきたかったのかもしれない。

 あの子と一緒に樹齢300年のヒバに刃を入れて、一緒に伐採を見届けた後、あの子を潔く、東京に送り出した。私になんか構わず、あなたの思う方へ行きなさいと言って…。それは本当はもう一人のあの子の我が子にも言えたら良かったかもしれないと思った。もうお母さんのことは忘れていいから、好きなところで生まれ変わっていてねと…。私は大切な二人のあの子に忘れられてしまっても、あの子たちが幸せならそれでいいと思えた。暗闇に飲まれてしまって迷子になっているならあの子たちには道標となる光を与えてあげて、希望あふれる未来に向かって歩んでほしいと心から願った。山の神様、海の神様、空の神様でもいいから、どうかあの子たちに良い未来をと本気で祈った。こんなに大事に思える子たちと離れることは寂しいけれど、そう思える子たちと出会えた自分は幸せだとつくづく思った。伐採したヒバには小さな新芽が芽生えていて、こうやって命は続いていくんだと思えた。もしかしたら私の家に来てくれたモネの中にはとっくに生まれ変わったあの子の命も宿っていたのかもしれないと思えた。実はあの子がモネと共生していて、ひととき、私と一緒に暮らしてくれたのかもしれないと。そして私は一人じゃないと気づいた。一人だとしても、心の中にはいつでもあの子たちがいてくれて、あの子たちも私のことを時々思い出してくれるかもしれないと気づいたら、なんて幸せな人生だろうと思えた。産みの親を知らない、バツ4の私の人生、そんなに悪いものではなかったなと…。そして別れ際のモネが予言した通り、私の真上の空に綺麗な彩雲が現れた。

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《一緒じゃなくても 一人だったとしても また明日の中に 君がいますように》 「Gravity」

 つい最近、2022年4月。モネと結婚した菅波先生と私が縁あって親しくなった少年・犬井桃太郎くんのおかげで、桃太郎くんのお母さんの話を聞いて、ふと楓に連絡したくなったの。何の不安もなく子どもを産める母は少ないんだと今さら気付いたのよ。流産と中絶では全然違うし、分かり合えないと思い込んでいたけれど、そうではないのかもしれないね。流産も中絶も死産もみんなそれぞれ事情があって、子どもを守ろうとがんばったけれど、そういう結果になってしまっただけで、我が子を失って悲しい思いをするのはみんな同じなんだよね…。子を思う母親の気持ちは無事に子どもを産めても、訳があって産めなかったとしても同じだと気付いたんだよ。
 そのことに気付くのが遅くなってしまってごめんね。流産を打ち明けてくれた時、何もできなくて本当にごめんなさい。頑なに楓とはもう分かり合えないなんて心を閉ざしてしまっていた私に、あなたは未だに年賀状をくれたりして私のことを覚えていてくれるのにね。随分返事が遅くなってしまってごめんなさい。
 あなたが学生時代にプレゼントしてくれた水色のリボンはすっかり色褪せてしまったけれど、今でもちゃんと大切に残っています。
 しばらくショートカットの髪型だったけれど、また伸ばしてみようかと思っているの。その時はまた髪を結ってくれますか?
 楓の近況も知りたいです。ピアノは上達しましたか?
 そして私を変えてくれた二人の大切なあの子たちのことを、あなたに会って改めて紹介できたら幸いです。 敬具

2022年5月 新田サヤカ

《背が伸びるにつれて 伝えたい事も増えてった 宛名の無い手紙も 崩れる程 重なった 僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ ただひとつ 今も思い出すよ》 「天体観測」

楓に手紙を送って間もなく、「新田サヤカ様」と私宛てに手紙が届いた。

 サヤカ、お手紙ありがとう。サヤカの大切な二人のあの子のこと、教えてくれてうれしかったわ。あなたの身に起きたことを何も知らなくて、気づかなくて、あの時、自分がつらいからって無神経な話を聞かせてしまって本当にごめんなさい。

 サヤカからピアノをもらって以来、少しずつ距離を置かれるようになってしまって、何か悪いことをしてしまったかなと気掛かりになっていた時、本格的にピアノを練習するために通い始めた音楽教室でばったり正雪さんに出会ったの。正雪さんは、サヤカが私にすべてを話していると思い込んでいて、私にサヤカが流産してしまった話をしたの。私、びっくりしてしまって…。だからきっとサヤカは私を避けるようになったんだと知ることができたの。流産して悲しい思いをしていたはずのサヤカの前で私は自ら我が子の命を諦めた話をしてしまった…。なんてひどいことを、取り返しのつかないことを話してしまったんだろうと後悔したわ。嫌われて当然と思った。だけど私はサヤカのことが大好きだし、いつかサヤカの口からそのことを教えてもらえる日が来るかもしれないと思って、たとえ返事をもらえなくても、自分から連絡することはやめられなかったの。長年、年賀状など送り続けてごめんね。

 だからサヤカの方から教えてもらえて本当にうれしかった。言いにくいことを、たくさん話してくれてありがとう。
 音楽教室で正雪さんと出会ったことをきっかけに、正雪さんからもピアノを教えてもらった時期があったの。「清か」と「雪の音」という曲を教えてもらって、私も弾けるようになったから、今度良かったら、聴きに遊びに来てね。教えてもらってから随分時間は経ってしまったけれど、時々練習して忘れないようにしているの。いつかサヤカに聴いてもらえると信じていたから…。

 当時は時が経てば自然と忘れられると思っていたけれど、全然違ったわ。時間が経てば経つほど後悔は大きくなるばかりで、あの時、どうして手放してしまったんだろう、守るべきだったし、会いたかったと今でも悔やんでしまうの。

 気づけば自然と涙が零れることが多くなって、産声を上げさせてあげられなかった我が子の代わりに、まるで赤ちゃんのように私は人知れず、泣き明かして暮らすようになっていたわ…。

 震災や大きな災害が起きる度に、それらが原因で認知してもらえる悲しみを背負って生きている人たちより、誰にも認知してもらえない悲しみを抱きながら生きている自分は不幸だとも思ってしまうの。
 我が子を諦めたのは誰でもなく、自分だし、自分の意志で決めたことだから、不可避な震災や災害がもたらす不幸や悲しみとは全然違うのにね…。私の場合、避けることのできた悲しみだもの。産まないと決めた私は抗えない不幸を背負って生きている人と比べることも本当は許されないわよね…。

 でもどうしても未だに考えてしまうの。結局一度も結婚できない人生だったけど、もしもあの時、彼が独身だったら、ちゃんと結婚できて産めたはずだと…。彼との結婚は無理だとしても、せめて子どもの命は守るべきだったし、守りたかったと…。
 赤ちゃんや小さい子どもを見かけると、産めなかった我が子の成長を想像してしまって、つらい時期もあったし、今でも想像してしまうの。あの時、産んであげられていたら、今頃どんな大人に成長していただろうと…。

 結局、私はちゃんと命を理解できていなかったんだと思う。失って初めて命の意味や尊さを知った気がする。二度と、同じ命は戻らないのよね…。たとえ授かれたとしても、同じ子ではないから…。一つとして同じ命はなくて、だから命はかけがえのないものなんだと我が子を失ってやっと分かったの。
 私には産んであげられなかった子から生涯消えることのない悲しみもあることを教えられ、それから同じくなかなか消えてくれない母性をプレゼントされたの。この世から我が子がいなくなってしまったというのに、あの子の命と一緒に生まれた母性だけはなぜか消えることはなかった…。行き場を失った母性をどうしていいか分からなくて、持て余しながら生きてきたわ、ずっと…。そんな時は、あの子を思いながら、ピアノに向かうんだけどね。

 流産と中絶は違うものだけど、でも、サヤカはおなかの子を亡くした時、側で悲しみに寄り添ってくれる正雪さんがいたから、少し羨ましい気持ちもあるわ。私にはそういう相手がいなかったから…。彼には逃げられてしまったし、悲しみは一人で抱えるしかなかったの。でも処理しきれなくて、つらくて、サヤカに頼りたくなって、あの時、頼ってしまって本当にごめんね。自分の悲しみは隠して、私の気持ちに寄り添ってくれたこと、今でも感謝しているよ。あの時、サヤカに話を聞いてもらえたから、私は前を向いて生きることができたの。もしもサヤカがいなかったら、前を向くことなんてできなかったかもしれない。ピアノだって弾けるようにはなっていないかもしれない。サヤカは私の恩人で、大切な友だちだから、またこうして連絡を取り合えるようになれたことが本当に幸せよ。

 サヤカの二人のあの子たちと、私のあの子が私たちのリボンを結び直してくれたのかもしれないわね。
 私も最近はショートカットばかりで、しばらく伸ばしていなくて、結うことができないから、これからサヤカと一緒に伸ばしてみようかと思う。そしたらまたおそろいのリボンで同じ髪型を楽しめるわよね。70歳過ぎて、リボンなんて似合わないかしら。でもまだきっと大丈夫よね、特にサヤカは若々しいと噂に聞いているし、私もまだまだ若いつもりでいるから、少しくらいオシャレしてもいいわよね?

 水色のリボンが似合うモネさんにも会ってみたいわ。それから、小学生の頃、二人で見た米川の鱒渕のホタルをまた一緒に見られたらと思っています。実は私のあの子の名前は密かに「蛍」と決めて、男の子ならケイ、女の子ならホタルって、そう心の中で呼んでいるの。

 追伸、サヤカが作った米麻診療所に出産や育児のことを相談できる産婦人科というかもう少し気軽に何でも話せる場も併設されたら、産みたくても産めないと悩んでいる人や、シングルマザーで孤立してしまっている人の力になれるのではないかと考えたりします。母と子が安心して暮らせる、母子のゆりかごのような場所が登米にあってもいいのではないかと思います。音楽を聴きながら、お茶を飲みながら、おしゃべりできるような、悩める母親たちの居場所をサヤカなら作ってくれるのではないかと期待しています。夢のような話だけど、実現できるなら、私も協力したいと考えています。生まれてこようとしている赤ちゃんや産もうとしているお母さんにあなたたちの居場所はここだよ、安心していつでも来てねと寄り添ってあげることができたら、米麻で幸せに暮らせる親子が増えると思うの。

 長くなってしまって、ごめんね。近々サヤカに会えると信じて、楽しみにしています。

2022年5月 深山楓

《物語はまだ終わらない 残酷でもただ進んでいく おいてけぼりの空っぽを主役にしたまま 次のページへ》
《一人だけの痛みに耐えて 壊れてもちゃんと立って 諦めた事 黄金の覚悟 今もどこかを飛ぶ あの憧れと 同じ色に 傷は輝く》 「firefly」

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