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『「天体観測~若者のすべて~」〈後編〉宙と苺のまちがいさがし』

前編の続き★

 「今夜は雨の心配はないでしょう。降水確率は十パーセントです。」
車のラジオでたしかにそんな天気予報を聞いたはずだった今夜、この街に戻って望遠鏡を使わないと見えない彗星観測をしていた矢先、空のことを知る、波木さんの妹と名乗る彼女と出会ってしまった。
 お互い、何から話していいのか迷い、沈黙していると、ポツポツと小雨が降り出した。雨は降らないはずじゃなかったか?予報外れの雨に打たれて、まいったなと望遠鏡を抱えて木陰で雨宿りしようとすると、彼女から傘を差し出された。
「良かったら、一緒に入りませんか?望遠鏡、濡れるとたいへんですよね?」
「すみません、ありがとうございます。じゃあ車置いてるところまでお願いします。折り畳み傘持ち歩いているなんて、用意がいいですね。」
避けていたはずの波木さんの妹さんと相合傘なんて、なんだか不思議な気持ちだった。
「降水確率十パーセントでも雨の可能性はあると思って。」
そう言って微笑む彼女の横顔はたしかに波木さんの面影があった。
「あの、良かったらなんですか、家まで送りましょうか?」
俺は車に望遠鏡を詰め込むと、彼女にそう提案してみた。
「ありがとうございます。じゃあ遠慮なく、お願いします。」
送ることが目的ではなかった。送られることが目的でもなかった。俺たちはきっと、お互いに知らない過去の話を紐解きたかったのだ。
「波木さん…お姉さんは元気?」
「はい、元気です。もうこの街にはいませんけど…。」
きっと空と結婚して、二人でこの街から離れたんだろうなと思った。
「そうなんだ、じゃあ、空のことも知ってる?空も元気にしてるかな?」
「空くんは…お姉ちゃんと婚約中に亡くなってしまいました。」
俺は思わず、ブレーキを踏んで、車を止めてしまった。雨粒をはじくワイパーだけが規則正しく動き続けていた。
「えっ?空が亡くなった…?」
「はい、事故で…。」
知らなかった。空がもう死んでしまっていたなんて、全然知らなかった。信じられない。信じたくない。会えなくてもきっとどこかで元気で暮らしていると信じていたから。
「いつか宙さんに会いたいと思っていました。会って、空くんのことを話したいとずっと思っていたんです。私、謝らなきゃいけないと思っていて…。宙さんに。」
「どういうこと?俺たちさっき会ったばかりだし、空と何の関係があるの?」
空が亡くなったという事実を受け止めきれないまま、彼女はますます俺を混乱させるような話を始めた。
「空くんと出会ったのは私がまだ小学六年生の頃で、実は私、病気だったんです。白血病を発症して、入院する前に、空くんがお姉ちゃんと一緒に私を夏祭りに連れて行ってくれて。花火を一緒に見たんです。お姉ちゃんと空くんが高校生の頃に。」
あの日のことだとすぐに分かった。なんだ、そういうことだったんだ、空の奴、ちゃんと言ってくれたら良かったのに、波木さんの病気の妹さんと一緒にお祭りに行くって言ってくれたら、あの時、あんなに複雑な心境にならなくて済んだかもしれないのに。
「そうだったんだ、それで空と親しくなったんだ。」
「はい、夏祭りの後、私は入院して、骨髄移植を検討することになりました。HLA型が一致するドナーを探したんですが、なかなか見つからなくて。家族もお姉ちゃんとも型は一致しなくて…。」
そう言えば、空のお母さんは中学生の頃に白血病を発症して、亡くなってしまったんだよな…。そして空のお父さんがひとりで花屋を切り盛りしていたことをふと思い出した。
「お姉ちゃんがたまたま、空くんに私の病気の話をしたら、空くんのお母さんも白血病だったことを教えてくれたらしくて。それで空くん、白血病の知識が豊富だったんです。自分のHLA型、お母さんの時、調べたことがあるから、私の型と照合してみてほしいと言ってくれて。お母さんの時は型が一致しなくて、結局お母さんを助けることができなかったから、悔やんでいたらしくて。」
そうだった。空はお母さんと型が一致しなくて、肩を落としていた時期が確かにあった。元々暗いから周囲の連中は気付いていなかったけれど、俺は気付いていた。空が明らかに落ち込んでいたあの頃、何もできないまま、側で寄り添うことしかできなかったけれど。
「それで、空くんのHLA型と私の型を照合したら、奇跡的に一致したんです。空くんはある意味、天文学的数値の確率だよってとても喜んでくれて。親族でもなかなか一致しないのに、本当に奇跡だって思いました。」
そんなことがあったなんて、ちっとも知らなかった。親友だって思い込んでいたのは俺だけだったのかな。俺には一切、波木さんの妹さんを助けるために病院に行ってるなんて教えてはくれなかった。無理もないか、俺が波木さんを拒絶している気持ちバレバレだっただろうし、波木さんの妹さんの話なんて言えるわけないか…。
「それで、キミは助かったんだ。良かったね。そっか、空がキミの命を救ったんだ。」
「そうなんです。空くんが高校を卒業して間もなく、私が中学生になる年、骨髄移植の手術をして、無事に病気を克服して、中学校に通うこともできました。術後の経過も良好で。あの時、空くんがいてくれなかったら、私はこうして生き延びることはできなかったと思います。本当に感謝しています。」
「空が人の命を救ったんだ。本当に良かった。キミが…苺さんが生きていてくれて。」
いつの間にか雨は止んでいた。俺は再び車のアクセルを踏み、雨上がりの夜道を走り出した。
「はい、空くんには本当に感謝しています。手術が成功して、病気を克服した後もずっと私のことを気に掛けてくれて。時々遊んでくれたりもして。私にとってお姉ちゃん同様、本当のお兄ちゃんみたいな存在でした。だからついつい甘えてしまうこともあって。十二年前の夏、お姉ちゃんと結婚目前だった空くんに、最初で最後、一度だけでいいから、空くんと二人だけで花火が見たいってお願いしてみたんです。」
「えっ、それって…。」
俺は思わず、ドキッとした。きっとこの子も空のことが好きだったんだと知って。
「はい…空くんはお兄ちゃんみたいな存在でもあり、初恋の人でもありました。お姉ちゃんの彼氏だし、婚約者だし、会う時はほとんどいつも三人でしたし、最後に思い出がほしかったんだと思います。別にお姉ちゃんを裏切るようなことをするつもりはなくて、純粋に空くんと二人だけで花火を見たかったんです。」
「そしたら、空くんは、ちょっと悩み出して…。でも一緒に花火を見るだけならいいよって私のお願いを聞いてくれて。お姉ちゃんに悪いかなって思いながらも、二人だけで隣町の花火に二人で出掛ける最中、事故に遭って、私は助かってしまって、空くんだけ亡くなってしまったんです…。」
十二年前…空と完全に音信不通になった時期と重なると思った。そんなことがあったなんて、ちっとも知らなかった。
「罰が当たったんだと思いました。お姉ちゃんに内緒でこそこそ空くんと出掛けようとしたりしたから。私が一緒に花火を見ようなんて言わなければ、空くんは死なずに済んだのに。あの時どうせ死ぬなら、それは空くんじゃなくて私のはずだったのにって。どうして空くんが死んで、私だけ助かってるのって、自分を責め続けました。お姉ちゃんは私のことを責めるようなことは一切なくて、ただ泣いていました。お姉ちゃんから叱られなかったから、もっとつらかった。変わらず私にやさしいからつらかった。どうせなら姉妹の縁を切ると言うくらい、怒ってほしかったのに。」
俺は自分のすぐ横で泣き出しそうな顔をして話し続けてくれる彼女にかけてあげるべき言葉を探しあぐねていた。少しの沈黙の後、俺は彼女にこう言った。
「空はやさしい奴だから、苺さんのこと恨んでいるわけないし、それにたぶんだけど、光さんも空と同じくらいやさしい人だと思うから、苺さんのこと、恨めるわけがないよ。ごめんね、俺、光さんとまともに話したことないから、彼女のことは詩くらいしか知らなくて…。彼女の詩を読む限りでは、空と同じようなやさしい空気を感じるんだ。だからそんなに自分を責めることないよ。」
波木さんのことを恨んでいたのは俺の方のはずなのに、今、助手席で心細く肩を震わせている空が救った命を持つ彼女の壊れそうな心の内に触れたら、自分の私情なんてどうでも良くなっていた。
「ありがとうございます…空くんの親友だけあって、やっぱりヒロさん…じゃなかった空さんもやさしい方なんですね。空さんもお姉ちゃんの詩、読んだことあるんですね。」
「紛らわしくて言いにくいだろうから、ヒロでいいよ。そう、高校生の頃、空と光さんが寄稿した詩が掲載されている詩集を読んだことがあって。実は、光さんの詩に救われていた時期もあったよ。」
そうこうしているうちに、彼女の家に着いていた。
「送ってくれてありがとうございます。あの、実は全然話し終わってなくて。ヒロさんに謝ることもできていないし、それに見せたいものがあるんです。後日、また会ってもらえませんか?」
「俺も、もっと苺さんからいろいろ聞きたい話があるし。俺の知らない空のこともたくさん知っていそうだし。しばらく実家にいる予定だから、いつでも連絡して。」
さっきまでの雨が嘘みたいに夜空は晴れ渡り、祭りと花火が終わった街を照らすように、星が瞬き始めていた。

 冷夏のせいか、なんだか時が進むのが早い。秋を感じ始める風が吹き始めた夏の終わり、短い夏休みが終わろうとしていた。俺は実家からそろそろ職場のある街に戻らないとなと思いながら、彼女からの連絡を待っていた。

 ようやく彼女から連絡が入り、指定された待ち合わせ場所に行ってみると驚いた。そこは空が住んでいた場所だったから。花屋の面影はなくなり、すっかり古びた家の一階のがらんとした空きスペースにはシャッターが下りていた。手入れされていない庭の草は生い茂っていた。
 なんで…ここ?なんて呆然と立ち尽くしていると、彼女、苺さんが現れた。何やら大荷物を抱えて。
「すみません、いろいろヒロさんに見てもらいたいものを探して集めていたら、連絡が遅れてしまって。」
「大丈夫だよ、まだ夏休み中だったし、それよりすごい荷物だね。ここ…空の家だよね?なんでここ?」
俺の質問に答えるより先に、彼女は鍵を取り出して、この家のドアを開けたものだから、さらに驚いてしまった。
「えっ?なんで苺さんが鍵、持ってるの?」
「とりあえず、中に入って落ち着きましょうか。」
家の外見とは裏腹、中に入ってみると、案外キレイに掃除されており、住めるような環境だった。
「なんだかキレイに整ってるね…まるで誰か住んでいても不思議じゃないというか。」
「少し前に…この家が売りに出されたと知って、思い切って買わせていただいたんです。と言っても、ローン組んで、少しずつ返済している最中ですけど。」
彼女はいつも驚くことしか言わない。何度、彼女に驚かされたことだろう。
「えっ?買ったの?この家…空が住んでた家を?」
「はい、そうです。買ったんです。でも空くんに未練があってとかそんなんじゃないんです。空くんとお姉ちゃんと自分が幸せだった頃の思い出を残したいっていうエゴがあって。結局それを未練っていうのかもしれませんが。」
「もしかして、空の家で三人で遊んだとか、そういうこと?」
「それもありますが、私が空くんを知る前から、お姉ちゃんは華道をしていて空くんのお店で花を買っていましたし、私が入院した時も、ここのお店から花を買ってきてくれて。空くんもいつも素敵な花を持って来てくれて…。それからあの花火の夜、夏祭り会場でくたびれてしまった病気の私に花火を見させてくれた場所がこの家の二階のベランダだったんです。あの時、両親からは病気なんだからお祭りなんてダメだと家にいるように言われていたんですが、お祭り行きたいってお姉ちゃんに駄々こねて、お姉ちゃんと空くんがこっそり私を連れ出してくれて。でもやっぱりお祭り会場の人混みで疲れてしまって。花火なら、僕の家の二階が特等席だよって空くんが連れて来てくれたんです。ここなら人は少ないし、横になりながらでも見れるよって。ここって花火会場の沼が近いじゃないですか、だから本当に特等席だったんです…。あの夜、三人で花火を見た思い出の場所を他の人の手に渡したくなくて、買ってしまいました。」
彼女の口から語られる俺の知らない空の時間は俺の想像を遥かにこえて、温かくやさしい時間だった。
「俺も参加したかったな、その花火。でも俺が花火や二人を拒絶してしまっていたんだ。昔の俺に言いたいよ。もっと視野を広く生きろって。天体ばっかり追いかけてないで、違う方にも目を向けろって。ダメだな、望遠鏡ばっかり覗いていると、遠くのものはよく見えるのに、近くのものは見過ごしてしまって…。」
彼女は何のことかよく分からないときょとんとして困った様子だった。
「ごめん、ごめん。これはただの独り言。二人との思い出を残したくて、苺さんがこの家を買ったんだ。すごい決断だね。まだ若そうなのに。」
「若くもないんです、私ももう三十歳過ぎましたし。いつの間にか、空くんが亡くなった年齢を越えてしまいました。矛盾してますよね、花火に誘ったせいで、空くんは死んでしまったのに、私のせいで亡くなってしまったのに、空くんとお姉ちゃんとの花火の思い出を守りたいなんて…。自分でもよく分からないんです。自分がしようとしていること。何が正解で何が間違っているか分からないまま、生き続けています…。」
二十代に見えるけれど、そっか俺と六歳違いだから、彼女は三十二歳ってことか。空は三十歳で亡くなり、光さんも俺と同じ三十八歳になるのか…。なんて星たちと比べたら短い年月のはずなのに、途方もなく長い歳月が流れを感じた。
「苺さんだけじゃないよ。みんな矛盾を抱えて生きていると思うんだ。俺だって、白状するけど、高校生の頃は空を光さんに取られた気がして、複雑な心境のまま、今まで生きていたんだ。子どもだったなって思うよ。二人は俺のこと、三人で遊ぼうって誘ってくれたのに、拒絶していたのは俺の方なんだ。なのに、苺さんが教えてくれる俺の知らない空の話を聞いたら、光さんのことなんだか嫌いになれないし、苺さんのことも放っておけないし、不思議な気持ちだよ…。同じく、何が〇で×で△なのか全然分からなくなった。みんなと比べてどうとか、そんなのほんとにどうでも良くなった。苺さんの話を聞いたら、そんな気分になったよ。だからさ、いいんじゃない?花火苦手なはずなのに、花火の思い出大切にしたいってここに住んでも。何も問題ないよ。」
俺は自分に言い聞かせるように、苺さんに話し続けていた。
「ありがとうございます。やっぱりヒロさんって空くんと似てます。親友なんだなってよく分かります。だから、すみません、私のせいで、空くんとぎくしゃくしてしまって。それをずっと謝りたかったんです。本当にすみませんでした。」
突然、彼女は俺に深々と頭を下げた。
「会った時から言ってたけど、俺に謝りたいって…。別に苺さんのせいじゃないよ。これは俺の問題だから。自分が幼かっただけで。でもどうして知ってるの?空と俺のこと。そっちの方が不思議なんだけど。」
彼女は持参していた荷物からたくさんの紙類を取り出した。それは重ねると崩れそうなほどの量だった。
「この家を購入した時、どういうわけかクローゼットの床下の収納庫にたくさんの手紙や日記が入った箱が取り残されていて。中身を確認したら、空くんが書き残したものだったんです。本当はダメだと分かっていても、ついつい読んでしまって…。私の知らない空くんを知りたくて。そしたら、お姉ちゃんのこと、私のことより誰のことより、一番ヒロさんのことが書かれていて。ヒロさん宛ての手紙がほとんどなんです。」
そう言って、彼女は俺に空が俺宛てに残した手紙だという膨大な紙の束を渡してくれた。
「日記に書いてあったんですが、自分は宙さんのこと、そらって呼び続けているのは理由があって、周囲が同じ名前の空という自分と区別するために、宙さんのことはヒロって呼ぶけど、自分は宙と同じそらって名前だから、それがうれしくて、そらと呼び続けていると。でもこの手紙は宙に渡せそうにない、自分の秘密の気持ちだから、宙宛てってバレたくないから、あえて手紙では宙のこと、ヒロって呼ぶよと。」
俺は空の本心が知りたくて、空は俺に読まれたくなかったかもしれないその手紙を貪るように読み始めた。
「ヒロへ
詩を褒めてくれてありがとう。いつもどんな僕のことを受け止めてくれてありがとう。ほんとはさ、波木さんの詩の方がはるかに優れていると思うんだ。でもヒロはやさしいから、僕の詩を褒めてくれた。別に詩なんて興味なかったけど、宇宙のこととか言葉にしているうちになんだか、詩も好きになってしまったんだ。決して天文班が嫌になったわけではなく、むしろ天文のことを言語化して誰かに伝えることができるから、天文班の活動の延長線上に文芸班のことを考えてしまうんだ。
ヒロとはずっと一緒にひとつの望遠鏡で宇宙を追い掛けてきて、夢みたいに楽しい時間だったし、これからもヒロと一緒にずっと見えない宇宙を見続けたいと思っているよ。泣き虫でわがままだった僕の願いを叶えてくれるヒーローだったし。ヒロのお父さんが作った手作りプラネタリウムも大好きだったよ。中学生の頃、望遠鏡背負って、山でキャンプして、一緒に宇宙を眺めた時間は未だに僕のことを支えてくれているよ。あの後、白血病で母さんが亡くなった時も、ずっと僕の側に寄り添ってくれてありがとう。ヒロがいてくれたから、悲しみも乗り越えられたよ。ヒロが僕の悲しみの置き場を作ってくれたんだ。ヒロが見つけ出してくれたものは全部覚えているよ。
高校生になって、憧れだった天文部(班だけど)に入部できて、変わらず一緒に星を追い掛けることができて、幸せだなってつくづく思う。まるでヒロと一緒に過ごす時間がほうき星みたいだって。今という時間が星の煌めきに等しいって考えてしまうんだ。そんなことを考えると、どうしようもなく、今この瞬間がかけがえのない大切なものに思えて、切なくなるんだ。
だからできればヒロとはずっと一緒に肉眼では見えない星たちを望遠鏡で覗き込む他の人たちには分からない二人だけの見えない時間を育んていきたいってずっとそう望んでいたけれど、他にも大切な、知らなかったことを知ってしまったんだ。
波木さんの妹さんが母さんと同じ、白血病を患っているらしくて。波木さんは華道の関係で時々、僕の家の店で花を買ってくれていて、顔なじみだったけど、あまり話したことはなくて。ほら、僕はヒロと違って、そんなに人と話すことは得意じゃないし。でも文芸班の件で、少しずつしゃべるようになって。僕、波木さんの妹さんのこと、救ってあげたいって思ったんだ。母さんの時は結局何もしてあげられなかったから。受験生だったし、子どもだったし、母さんも父さんも僕に負担かけまいと、たいしたことないって笑ってくれて、病状が深刻なことさえあまり教えてはもらえなくて。だから後悔してたんだ、ずっと。もしもいつか母さんみたいな人と遭遇したら、手助けしたいって思っていて、そしたら、波木さんの妹さんのことを知って、夏祭り…花火に行きたいんだって。夢叶えてあげたいんだ。母さんに何もしてあげられなかった分、自分自身の夢を叶えることにもなるのかな。贖罪の気持ちがあって、罪滅ぼししたいのかもしれない。だから結局自分は自己中なんだよね、良い行いをしているように見えて、結局自分のエゴだって。それでも僕は今年の夏は、彗星より、花火を見たい。花火なんて興味なかったけど、花火を見たいって気持ちを生きがいに精一杯生きている子がいるって知ったら、ほっとけなくなった。波木さんの妹さんに花火を見させてあげたい。見えないものを見させてあげたい。
ほんとはヒロに全部打ち明けることだってできる。別に波木さんから口止めされているわけではないし。でも…ヒロはたぶん波木さんのことそんなに好きじゃないみたいだし、むしろ距離置きたいみたいだし、宇宙を一番に考えているヒロを巻き込むわけにはいかないって考えたよ。ヒロが花火なんて興味ないのも知っているし。すべてを話せばきっとヒロは彗星より花火を選ぶに決まってる。でも彗星の大接近日はその日を逃したら、次回は二千年後。ヒロには花火じゃなくて、大好きな彗星を見て欲しいって思ったんだ。これもやっぱり僕のエゴ。ヒロの目に僕は見られない彗星を焼き付けてほしくて。僕が花火を眺めている頃、反対側の空でヒロはきっと彗星を眺めているんだ。ヒロが見てくれたら、きっと僕も見れた気分になれると思う。ヒロが見てくれれば見えないものも見えるんだよ。間違ってるかな、僕。何か見落としてるかな。たぶん大丈夫だと思うんだ、次の日はちゃんとヒロと一緒にピークの過ぎた彗星を眺めながら、笑い合えると思うんだ。そう信じているから、この手紙は渡さないよ。暗いって言われ続けてる僕のこと、いつもかばってくれてありがとう。空は良い奴だよって当たり前のように反論してくれてありがとう。ヒロがいてくれるから、僕は僕らしく生きることができているんだ。伝えたいことがありすぎてついつい長くなってしまったよ。また書くかもしれません。届けることのできない、宛て名のない手紙を。 空より」
読み終えると、俺は泣いていた。溢れ出す涙を止めることはできなかった。空の本心、空のすべてが吐き出されているその手紙に思わず泣かされてしまった。
「本当に、私のせいで、すみませんでした。他の手紙とか日記にその後、ちょっとぎくしゃくしてしまった二人のことが書かれていて…。重ね重ね、すみません、勝手に読んでしまって。」
そう言って、彼女は俺に涙を拭うハンカチを差し出してくれた。
「ありがとう、この手紙を読ませてくれて。苺さんがみつけてくれなかったら、俺は一生、あの時の空の本心に気付かないまま、もやもやした気持ちで生き続けていたと思う。本当に、ありがとう。見落としていたものを見せてくれて。」
彼女も目に涙を浮かべていた。
「こちらこそありがとうございます、軽蔑されても仕方のないことばかりしてきた人間なのに、ありがとうなんて感謝の言葉をかけてくれて。」
「ありがとうと、それから、もう自分を責める必要もないと思うんだ、苺さんも俺も。誰も、何も間違ってなんかなかったんだ。それぞれのちょっとした過ちやすれ違いも、全然間違いじゃなかった。×も△も〇だったよ。だって…」
「だって…?」
「こうして、空が救った苺さんが生きていて、俺たち出会うことができたんだから。それだけで今までひっかかっていたささいなことなんて、全部丸ごと抱きしめたくならない?宇宙ごと全部。今までのすべてのことに意味をもらった気がするよ。」
「宇宙ごと全部ですか…ヒロさんらしい。」
泣き出しそうな顔だった彼女が太陽みたいに笑った。

 西側の部屋に茜色の夕日が射し込み始めた帰り際、彼女はこんなことを言い始めた。
「実は夢があって…。」
「夢?」
「この家にいずれは住みたいと思って、がんばって片付けている最中なんですが、喫茶店を開きたくて。私、今喫茶店で働いているんです。」
「喫茶店、いいじゃん。花屋だったスペース使えば十分できるよ。」
「ありがとうございます。それでただの喫茶店じゃなくて、宇宙音楽喫茶にしたいんです。ちょっとした歌が歌えたり、演奏できるスペースも作りたくて。それから宇宙を観測できる望遠鏡も設置したくて。」
「へぇー音楽が好きなんだ?」
「はい、趣味で音楽をちょっとだけかじっていて、これは作者の許可がほしいところなんですが、お姉ちゃんと空くんの詩にメロディを考えたいなと思っていて。」
「それは名案だと思うよ。二人の詩は十分、歌詞になると思うから。空ならきっと許してくれるよ。」
「ヒロさんにそう言ってもらえると、なんだか勇気が湧いてきました。今まで誰にも話したことがないただの夢だったので…。そもそも空さんが死んでしまって、お姉ちゃんは悲しんでいるのに、自分だけ幸せそうな夢を見ていいのかって悩んでいて。」
「そんなの、もう気にすることないよ。きっと光さんも空も、苺さんの幸せを望んでいるはずだから。二人のおかげで、小さい頃も花火を見たいって夢が叶ったんでしょ?苺さんの夢を叶えることは二人にとっての夢でもあると思うよ。」
俺はそんなことを言って彼女を励ましているうちに、ふと自分の夢も思いついてしまった。
「俺も…たった今、夢みつけたよ。」
「どんな夢ですか?」
「俺、IT関係の仕事してるんだけど、それはそれでやりがいあるんだけどね、花火師目指そうかと思って…。ダメかな。」
俺の突拍子もない発言に彼女は微笑んだ。
「ヒロさんって、お姉ちゃんの同級生だから三十八歳ですよね?三十八歳で手堅い仕事をやめて、夢を追い掛けようなんて…素敵だと思います!」
意外にも、俺の夢を肯定してくれた。
「ありがとう、その夢には続きがあって、自分で花火を作れたら、この街で打ち上げたいんだ。そしてこの場所から、俺の花火を苺さんに見届けてほしいんだ。できれば光さんにも。そして空にも。」
「すごい!それ、とても素敵な夢です。ヒロさんが花火師になるまでに私、必ずこの場所に住んで宇宙音楽喫茶を開いて、空くんとお姉ちゃんの詩に曲を書いて、二人の音楽を完成させないといけないですね。忙しくなりそうです。」
「きっと、俺より先に苺さんの方が夢叶えてそうだな。俺もがんばるよ。何年かかっても。何年経っても、忘れることはないから。思い出してしまうから、あの日の夏を。途切れた時間の続き、『若者のすべて』を取り戻したいんだよ。生きてるうちに。」
「『若者のすべて』…。そうですね。私も取り戻したいです。せっかく空くんからもらった大切な時間を。そして何年経っても思い出してしまうあの夏の日を糧にどんなことがあっても、歩き続けます。」
こうして彼女と俺は夏に背負ってしまっていたそれぞれの花火の呪縛から解き放たれ、二人でまだ見ぬ夏の夢を追いかけ始めた。ほうき星みたいに微かな光を放ちながら、広大な宇宙の暗闇に駆け出すように…。

 空、お前は泣き虫でわがままで自分の気持ちに正直に奴って思っていたけど、それは少し違ったかもしれないとお前の手紙を読んで気付いたよ。俺と同じく、わりと本音を隠して生きていたんだな。同じような気持ちだったことはうれしいけれど、あの頃の俺はお前の本心を察することもできない子どもだったから、馬鹿だったなってやっぱり少しは後悔もしてしまうよ。お前と会えなくなって、ちょっとした擦り傷みたいな痛みが少しずつ増えて、もどかしい気持ちで生きていたら、苺さんと出会えた。
 空、お前が出会わせてくれたんだろ?あの見えない彗星の夜、花火の夜に。見えない心の擦り傷を抱え込んでいた俺とそれから苺さんのことを助けるために、俺たちを出会わせてくれたんだろ?ありがとう、空。
 俺さ、今さらだけど夢を見つけたよ。花火師になる。あの夏、お前が苺さんに見せた花火みたいに、誰かにとって忘れられない花火を打ち上げるんだ。あれだけ花火なんてって馬鹿にしていた俺が何言い出すんだって呆れるだろ?笑えるだろ?でも俺は本気だよ。もちろん宇宙を蔑ろにする気はさらさらなくて、お前と二人で覗き合った古ぼけた望遠鏡は少しピントが合わなくなってきたけれど、でも見えない星を思い浮かべながら、覗き込み続けているよ。
 苺さんもお前が住んでいた家に宇宙音楽喫茶を開きたいって夢を追いかけ始めたよ。彼女、お前が書いた詩で曲を作りたいんだって。実は俺、高校生の頃、お前の詩を読んだ時からずっとこれは音楽にすればいいのにって思っていたから、うれしいよ。苺さんがお前の詩で音楽を作ってくれたら。
 お前が死んでしまっていたことは本当にショックだけど、でも誰のせいでもなくて、運命だったって思うことにするよ。お前とこんなに早く会えなくなるなんて考えもしなかった若者だった俺が、俺の方がお前と縁を切ってしまっていたんだから、仕方ないって言い聞かせているよ。それに見えないだけで、お前はいつだって、俺たちの側にいてくれるんだろう?大好きだった星になって見守っていてくれるだろ?いつかきっと再会できると信じているし。それまで俺は相変わらず空を見上げながら、お前に話したいことをまぶたを閉じて浮かべているよ。

 それからまた十年以上の歳月が流れ、故郷の街に向かっていた夏の午前二時、カーラジオから流れて来たその曲は…。
「続いての曲は夏にぴったりのこのナンバー、『天体観測~若者のすべて~』。この曲は花火とほうき星を追い掛ける若者たちが出会う淡い夏の情景が描かれており、見えないものを見ようとするなど哲学的な歌詞が魅力で、ローカルからじわじわ人気に火がついた楽曲です。」
喫茶店を営みながら、音楽活動をしていた彼女はいつの間にかすっかり有名人になっていた。
 空、お前が繋ぎ止めてくれた命はほうき星みたいに確かに輝き続けているよ。彼女も俺も元気でやっているよ。心配事も少なくなったよ。でもやっぱり思い出すんだ、あの夏の日を。俺たちが若者だった、あの切なくも幸せな夏の夜の煌めきを。あの日を思い浮かべながら、今日、俺は自分で作った花火を打ち上げるよ。お前がいる空に届くように、星に負けないくらい輝く、火花を散らすよ。誰かの心に永遠に残る、一瞬で消える花火を、果てしない宇宙に続いている夜空に描くんだ。

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