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【過敏性腸症候群】トイレの神様に祈ることについて(前半)
私はお腹が弱いかもしれない
「お腹が弱いかもしれない」と気が付いたのは、小学生の時か。
奈良の法隆寺に家族旅行で行った時、車の冷房に当たりすぎてお腹を壊してしまい、苦しみながら法隆寺の柱にしがみついて見学をした記憶がある。家には冷房が当時はなくて、夏も今ほどは暑くなかった。ひと夏の出来事のはずだった。次の年の家族旅行で沖縄にいった。本州では食べられない珍しい魚が食べられるというので、よくわからない魚を食べた。家族はみんな大丈夫だが、わたしだけお腹を壊した。「去年も冷房でお腹壊してたもんね~」とそんなくらいしか自分も意識していなかった。子どもだし、時々お腹を壊すことはよくある。
中学生の時から給食の牛乳を飲んだ後、なんかぐるぐるお腹が鳴ることが多いなと思い始めていた。だんだん回数とか日々の様子にも自分の体調について子どもながらも注意が向いてくる。部活の練習試合の後お腹壊して、自分の家まで間に合わないと感じ、友達の家についた時「トイレ貸して!」とトイレを借りたことがあった。しかし、これもタイミングによってはだれしもあること。そのまま気にせず高校受験、高校生となり、初めての自転車+電車通学が始まった。
高校1年生は、この延長線で、ちょっとお腹弱いかもな~程度でいた。しかし、午前中休み時間にお腹を壊すと…次の授業までぎりぎりだし、昼休みはお弁当食べて友達と話して教室移動までしなければならない。そうなると私にとって日常生活が急にハードルが高くなってしまったのだ。当時夏だったので、自転車漕いで汗かいて身体が電車で冷えて、おなか壊すんじゃないかと推察した。それは一部あっていて、学校到着後に制服下の一枚を着替えたりすることで少し解消した。
休日のお出かけ中にも急にお腹壊したり、それが心配になる日も増えてきた。
高校2年生になると顕著で、ごはん食べている途中にお腹痛くなってトイレに駆け込む、昼食後体育とかは特に緊張した。そしてなぜか1時間目が終わる5分前にすごくトイレに行きたくなり、トイレ行っていいですかと先生に申し出ることもしばしば…当時は正露丸くらいしかお腹の薬を知らず、家に残っていたのを飲んでいたが効きは悪かった。だったら朝家を出る前にトイレに行っておけばいい。しかし、人によっては排便は毎朝という人もいれば、家に帰ってから、なんか昼食後、あるいは、毎食後等パターンがある。私の場合は、夕方家に帰ってからが子供の時の周期でそれが残っていた。朝はしばらく便座に座っていても出ることはなく、また無駄な時間をすごしたとなって家を出ていた。
3年生にもなると、受験が視野に入ってくる。夏期講習などの予備校行くときも、やはりお腹を壊してトイレにこもるということに。もうこのころ家ではだいぶこもることが多くなっていた。ばあちゃんからは「トイレ長いんだ」と近所の人とか来た時に言っていて、黙ってろ!と思っていた。
もちろんこの腹痛が心配で、センター試験会場を見学させてもらうってことをしていた。…普通しないよなと思ったのはこの帰りのバスの中。もちろん障がいのある方や病気などの事情のある方のための開かれた制度なのだが、お腹壊しやすいで見に行くなんて私本当にお腹弱いだけ?…とは思っていた。
暑さと寒さの感じ方も今でいうバグっている状態になって、梅雨の暑い時期もひざ掛け手放せず、当時の空調がない教室や我が家は私にとっては最高に環境が悪かったのだと思う。
私は人より「お腹が弱いんだから」しょうがないじゃん。でも受験とかやんなきゃいけないことあるから病院に行くタイミングも微妙だしこのままやるんだ。と思っていた。
ストレスなんてない…はず
高校生の頃から、やっぱりちゃんと病院行こうと自分も家族も考えるべきだったと今では思う。お腹が弱いだけ。そして、やはり世間体てきにもお腹が弱いだなんて、みっともなく感じる。当時2000年代中盤、ネットの発達もあり高校生の頃自分のこのお腹弱いについて調べられるようになり、「過敏性腸症候群 IBS」かもしれないという知識がついた。
それはストレスが関係しており、脳がストレスにより影響を受けて腸が「過敏」に動くなどしてしまい、下痢、便秘、あるいは混合型、ガス型等の症状が出るという。厄介なことにこの腸による影響をさらに脳がストレスに感じるという悪循環が生まれるという。…私の場合はもう生まれていただろう。
しかし、普通の高校生活を送っていた一人の高校生、周りからも腸が過敏になってしまうほどのストレスを抱えているとは見えなく、わたしにも自覚はなかった。部活のトラブル、将来の不安、受験…悩みや課題はあっても、これは誰もが考えていること。他にもお腹が弱い人もいるし、頭痛持ちの人もストレスで胃に穴をあける人だっている(当時はドラマでしか見たことないが)。私はお腹は壊すけど、血便が出るみたいな大腸がんみたいな症状は一切なく、体格はよすぎる方だしやせ細るわけでもなかった。そしてそれは、IBSにも当てはまっていた。
体調はそのまま低迷し、大学受験は結局現役では失敗したので、予備校へ。予備校の授業は1時間半あり、今までとは違う生活習慣になった。
長い授業を受けるために、休み時間で体調を整えておくことがさらに大事になってしまった。その後大学の授業も同じだが、休み時間中に腹痛が治らなくて授業に出席できないことが何度となくあった。
大学の時は、お掃除の担当の方がしばらくしまっている扉を心配して、声をかけてくれることもあった。まあ私としてはほっといてくれ!人があまり使わない旧校舎の使ってるのに!!という気持ちだった。
私お腹痛いからで友達をトイレ前で待たせたり、とても申し訳なく思った。このころから誰かと出かけるのは苦手だったしお泊りで出かけるとかはしたくなかった。帰りの電車に乗る前は、トイレで電車を何本か見送ることもあった。家まで電車には1時間半くらい乗らなければいけない。この長い通学時間もストレスと言えばストレスなのだが。ちょっと電車という乗り物に疲れやすいという自覚もこのころから出始めた。座れればなんてことない乗り物だが、この「揺れ」がダメなようだった。しかし、これは小さなストレスでしかないし、このIBSは今に始まったことではない。
ちなみに高校1年生でいったアメリカのホームステイではお腹を壊しまくって、一緒に行ったメンバーやホストファミリーを巻き込んで私の腹痛に付き合わせた。結果、アメリカで4キロ痩せて帰るという今にも昔にも珍しい現象があった。翌年の修学旅行でもルームメイトには気遣ってもらった。韓国料理は私の体には合わず、これ以降私は15年海外に行くことはなかった。(お金や予定がないからもあるが)
これは生活に支障がある?
さすがにここまでくると、いわゆるQOL(quality of life)がすごく下がっていることは、自覚が難しくない。他者と比べても若者にあるようなアクティブな感じはないし、もちろんお腹壊すとエネルギー持っていかれるのでその後なにもやる気がなくなってしまう。これを言い訳にしてはいけないと言いきかせたり、今日はしょうがないから明日にしよう。など自分を元気づけたり宥めたり、自分が自分に使う時間で精いっぱいになってくる。もちろん他の大学生たちと同じく、アルバイトして自分のお小遣いや楽しみに使うお金を何とかするのにも精いっぱいだった。お腹痛いからって遊びやサークルや趣味がなくなるわけではないから、身体を気遣いつつも楽しめるときは楽しもうとしていた。けれどいつも今日ダメかもな~出来たらもう帰りたいな。本当はもっと一緒に遊んでたいけどと気持ちと逆のことや我慢や、あえてのコントロールが必要だった。
IBSについて、やはりQOLが下がってしまうことが問題にはされていることが多い。心理学を勉強していたので、ここでも予期せぬ病気と心理学とのつながり発見にもなり、自分のことなのでこの辺はしっかりと勉強しようと自分の生活改善のヒントがないかと思っていた。
IBSに効く薬等の本も当時情報としてはわかったので、その辺の本を読んだりいわゆる「心身症」としてどんな治療があるのかもわかった。しかし明日に治るものではないし、「絶対に直してやる」というより付き合っていかないといけないものなんだという諦めが強くあった。しかし、これ以上自分の生活に支障があることは望まなかった。
そしてお腹を壊した時、トイレで反省会が始まる。今日の○○という行動がよくなくて、その見返りにいまお腹を壊しているのではないか…という考えだ。子どもじみた考えなのだが、腹痛の辛いとき、ぎゅーと腸が伸縮しているのを感じる時なんか特に感じる。あの名曲のようにトイレの神様はもっと優しいものじゃなかったのか。なぜ私をこの苦しみから救ってくれないのか…ということを考えていて、まるで祈りの部屋、告解室に変わってしまったかのようになる(告白するような罪はないはず…)
この時強く感じたのは、トイレの神様は一神教であるということ。宗教には詳しくないけれど、あの助けを求める感覚、無慈悲なところ、そして答えを与えてくれないところ…同じ神に許しを請う人がきっとIBSの人にはいると思っている。
マシになりたいから薬をもらう
さすがにこの状況からは脱したい。大学の授業はきちんと出たいし、しょぼんと感じる日やおなかを壊して1日がつぶれるなんてことは望んでいない。
まずは、一番通いやすい病院に行こうということで、地元駅に近い病院に。自分が高校生くらいからしっかりと自覚したお腹壊しやすい体質等を説明したところ、過敏性腸症候群という診断を受けた。本来は他に胃腸器官の異常がない場合に診断されるが、私の場合長くそのままであっても、大腸がん等の他の症状は見られないので、過敏性腸症候群となった。
当時処方されていた薬は、対症療法になるものが中心。
ドグマチール
ロペミンカプセル
タンニン酸アルブミン
アドソルビン原末
ビオフェルミン
ロートエキス散
ストミラーゼ顆粒
その後やはり下痢型の私はお腹を壊すことが多くて、トランコロン錠がプラスされたり、逆に便秘気味になったりしてポリフル錠が処方されたりしていた。
しかしこの薬がよく効いて私の生活が変わったか?というとそれはあまりそうとは言えなかった。しかし医療機関に行ったことで、私は薬の処方を受けることになり、少しでも生活が変わればいいと思えるようになった。
この薬がよかったのかはわからないけど、これで大丈夫な人もいると思う。私の場合は、もっとここから探求しなければならなかった。そして生活の質を上げるためには、もっと一生懸命になるべきだった。
マシかもしれないけど、生活に支障がある
その後、社会人になってからもこの「お腹が弱い」=「IBS」=「下痢」との戦いは続いた。しかも社会人でまた生活が変わるので、緊張の連続が始まる。私の場合は、その時のいきなりの変化やプレッシャーというよりは、日々の中でのストレスの影響を受けていたのだとは思う。ちりも積もればと体質、自律神経(このころから私がわかり始めた概念)の乱れなど。けれども、コントロールの効かないところでお腹は壊れているしストレスを受けている(ようだ)ので、毎日の体調に気を配る日々は続いた。おひるごはんはあまり食べすぎないようにして、みんなで出前とるのは苦手だった。本当にまずいと思ったときはお昼ご飯を抜いて、お腹壊さないように頑張っていた。…お腹痛くならないように頑張っている人間が、どれだけ仕事で頑張れるか…体に動きが染みつけばいいが、なかなか難しいし次の新しいことも出てくる。しかもシフト制で1時間半カウンターでお客さんの接客等になるので、その時間にお腹が痛くなったり昼食後すぐカウンターだったりが「プレッシャー」にはなっていた。
学生時代よりは多少マシだが、急な腹痛で席を外すなんてことはしばしばあった。しかし、トイレにいない時間は真面目に仕事しているし、態度がわるいわけではないので、多少だけどお腹が痛くて席を外すことはあっても、評価に支障はなかったと思う。
この間仕事を変えたり、新たな仕事がうまくいかなかったりで他のストレスは受けていたが、体調の状況はあまり変わらずだった。
これが大体10年くらい前。20代中盤くらいまでの状態。
過敏性腸症候群で働けないくらい支障があるというテレビ番組を見たことがある。私も同じような経験をしていたりしていたのでわかるが、私の場合はなんだかんだ「我慢すれば働ける」レベルだった。でも「我慢すれば」というのもまた我慢のレベルがあるし、仕事によりどのくらい支障あるのかも違う。腹痛で仕事に支障でるので今日は仕事休みますということをすると、私は出勤日の8割は休むことになっていたと思う。とてもそんなことはできないので、出勤日の8割は、この「お腹痛い」と「お腹壊すかも」という不安と戦っていた。IBSじゃないけどストレス症状我慢しながら働いている人いるし、難病指定とかじゃないんだから、普通に働きなよと思う人もいるかもしれない。
けれど、頭のどこかで「お腹壊すかもしれない」に付随する様々なこと考えながら仕事するのは、やはり大変だと思う。
薬やほかの治療法でマシになったりだいぶ治って普通に働ける人もいれば、やっぱり難しい人もいると思う。
そして、まだ「お腹が弱いだけ」と思っている人もいると思う。
そういう方たちのために、少しでも良くなってもらいたいです。まず気づいて(ご家族や友達のことでも)、やれる方法は早めに、できるだけ徹底的にやってもらいたいと思います。じゃないと長い時間QOLの低い状態で大事な時間が過ぎていくだけになります。
今度後半書くときには、自分の現在(学生時代と比べるとだいぶ良くなってます)と年齢重ねることでなんだかわかりませんがよくなるという個人的な状況を説明したいです。