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貝より出でて 貝より硬し

 今、熊本が揺れています。

 地震ではありません。アサリに関する産地偽装の事件です。

・食卓を直撃する産地偽装

 最近はスーパーに行くと大抵のものが揃っています。
 ジャガイモ、ニンジン、お魚などなど。

 便利な一方で「旬の食材」というものがよく分からなくなりがちです。

 件のアサリの旬は、春と秋の2貝。あっ失礼。2回だそうです。それぞれ産卵の時期があり、産卵前の栄養がノっている時期が旬だということです。

 子孫を残すための栄養を含んだアサリを旬の食材として嬉々として食べるというのは中々罪深いのかもしれません。

 そんな積もり積もったカルマがアサリ業者を直撃したのか、これからスーパーを彩る予定だったアサリの産地偽装問題。

 産地の表示が義務化されたのは、食品表示法が平成27年4月1日に施行されてからであり、加工食品の原料原産地の表示を義務化するのは平成29年9月からですが経過措置期間を設けており、その経過措置が終わるのは何と令和4年3月末、あと1か月後となっています。

 実は当たり前となっている産地表示はつい最近のことなんですね。
 とはいえ、今となっては「〇〇県の△△さんが作ったレタスです!」とか生産者の顔まで表示するようになり、それが一種のブランドと安心のステータスともなりました。
 国産か外国産か。国産でもどの県の食材か。それらを消費者が自分で選んで購入するのが当たり前になった世の中での産地偽装事件。
 家電などと違って直接体の中に入るものですから妥協は許されません。変なものを食べて食中毒になったりしては大変です。ましてや今の世の中、おいそれと病院に行くこともできませんから、衛生的で安心安全な食材を欲するのは当たり前のことです。

 これからアサリの味噌汁や酒蒸しなどを家庭やお店で提供しようと考えていた中での事件ですので、食卓に与えた影響は計り知れません。 

・価格の硬直性

 普通に考えたら消費者を騙して利益を得ようとした訳ですから当然に非難に晒されるでしょう。しかし経済学のイロハを学んでいると、一部のアコギな業者を除いて多くの「普通」の業者に対し同情的にならざるをえない事情が見えてきます。

 それが「価格の硬直性」という問題です。
 私の記事「ジャガイモ危機と先物」でもコラムという形で少しだけ触れましたが今回はこのテーマをより深く掘り下げます。

 もともと「価格の硬直性(Price-stickiness)」という言葉を最初に用いたのはケインズです。
 世界恐慌の反省を受けて、従来の経済学(古典派経済学)を別の視点からアプローチした代表作『雇用・利子および貨幣の一般理論』にて、特に賃金が下がらないことによって企業の雇止めが起きてしまい、却って失業率が下がらないことを説明するために用いられました。

 大元の出展が出展なので、どのサイトを見ても「価格の硬直性」といったら「供給」側、つまり財やサービスを提供している企業サイドに独占または寡占といった問題があり、その硬直性が消費者に不利益を与えている、という論調がほとんどです。
 簡単に言うと、本当はもっと安く提供できるのにわざと据え置き価格にしておいて企業側が本来の相場よりも高く儲けることができる、というような感じです。

 ガースー、こと菅元首相が携帯キャリアに対して料金の引き下げを敢行したのは正しくこの価格の硬直性が携帯電話市場に発生していたことを意味しています。

 しかし物事には2面性というものが必ず存在します。
 一方的に、そして絶対的にこれが悪い、あれが良いというものは存在しないと思います。
 経済においても同様で、価格の硬直性は供給側に常に問題があるわけではなく、需要側、つまり我々消費者サイドにも問題があるかもしれないと考える必要があると思います。

 例えば、ゲーム市場を見てみましょう。

 お隣の中国ではゲーム市場の締め付けに当局が躍起になっており、ゲーム製造会社などがバタバタと潰れて行っています。

 日本ではそんな江戸時代のような規制は当然行われていないので、ゲーム市場は今日も活発です。
 さてそんな中、ポケモンであれなんであれ新作のソフトが発売される時にいくら需要が高まっていると言ったって、新作のポケモンソフトが2万円とか10万円では販売しないですよね?

 いわゆるフルプライスゲームと言えども、せいぜい8,000円くらいが相場であって、人気シリーズの後継作だったとしても度を越した価格で販売なんてしていないと思います。
 そんなことしようものなら全国の消費者からクレームが入り、すぐにニュースになって、Twitterのトレンドなんかに入ってしまいます。

 古典的な経済学においては、「一物一価の原則」が適用されます。
 簡単に言うと、一つの商品には適正な一つの価格が適用される、というものです。この適正価格は、政府機関などではなく市場原理、世間一般で「見えざる手」と呼ばれる原理によって決められます。

 そしてこの「一物一価」は一度定着してしまうと中々変えることができません。何故なら、多くの消費者にとっての「常識」や「相場」を形成してしまうからです。

 白菜は4分の1カットで100円ほど。
 新作のゲームソフトはフルプライスゲームで8,000円ほど。
 お米は5kgで2,000円ほど。

 どんなにお金をかけて、そんじょそこらのゲームとは一線を画す素晴らしいソフトを作ったとしても上記の価格を越して販売することは困難ですし、不作が重なって農作物の取れ高が悪く、供給が少なくなっても価格を吊り上げることができません
 何故なら世間がそれを許さないからです。
「そんな値段なら買わないよ。」とそっぽを向いてしまうでしょう。

 本来、需要と供給のバランスを均衡させるために市場原理が働きます。
 需要に供給が足りていなければ値段は高くなり、逆なら低くなります。このことから特に農作物や水産物という自然の恵みに左右される商品は値段が上がったり下がったりして当然なはずです。

 しかしスーパーマーケットなどで商品を求める人たちは、価格の上下をきちんと受忍しているのでしょうか。
 安く買えるなら文句を言わないでしょうが、ひとたび不作や不漁などで値段が上がると文句を言っていませんか?

 特に日本という国は農作物の耕作面積がそこまで広くできず、どうしても質と量を確保しようとするなら外国産のものより割高にならざるを得ません。
 アサリなど浅瀬で採れる水産物も規模の経済が適用できるほど潤沢な環境が広がっているわけではありません。

 企業側が価格の「下方」硬直性という問題を抱えているなら、消費者側は価格の「上方」硬直性という問題を抱えていることになります。

 どんなに不作・不漁だろうと値段を上げることができず、消費者からは「安く売れ、安く売れ」と圧力が加えられています。

 これが多くの農家や漁業組合が晒されている現実でしょう。

・消費者政策と業者の保護

 私は基本的には経済学においては「自由主義者」、もっというと「古典派経済学」を推す考え方です。
 この考え方でいうと、自由経済、自由貿易を当然に奨励する立場になりますが、農業と漁業においてはなかなかそう割り切るのは難しいです。

 先ほどのアサリで考えていくなら、今いっときの利益だけを追ってよければアサリを乱獲して安く売りさばいてもいいでしょうし、外資企業が日本の津々浦々に出没して我が国の伝統や作法を無視して農作物や水産物を荒しまわってもいいでしょう。

 しかしそういうわけにはいきません。そんなことを許したら、毛沢東の「大躍進政策」の二の舞となり、かえって国民の窮乏と国土の荒廃を招きます。

 一見すると企業にとって負担となるような市場の動向も、1960年代になってからのものです。

 もともとはやっぱり供給をつかさどる企業側が圧倒的に消費者より強く、価格の硬直性を悪い方に利用して消費者から利益を搾取している企業が多く存在していました。

 それにNO!を唱えたのがケネディ大統領です。
 1962年消費者保護特別教書にて4つの権利、すなわち「安全の権利」「知る権利」「選択する権利」「意見を聞き届けられる権利」が消費者に与えられるべきだ、と述べました。

 日本でもこれを受けて1968年に「消費者保護基本法」が制定され、2009年9月には麻生内閣にて消費者庁がようやく設置されました。

 それまでは言い方は悪いかもしれませんが、企業がやりたい放題だったとも言えます。ようやく消費者側に権利が与えられ、消費者側から企業に意見を通せるようにもなりました。

 企業が強かった歴史的背景としては、やはり戦後の物不足があったと思います。というよりも人類史において、物が足りたというのはほんのここ50年くらいであり、それまでは長い長い物不足、食べ物不足に人類は喘いできました。
 供給不足で苦しんできた人類にとって、供給をもたらす企業が力を持ったのはある意味では自明の理だと思います。

 しかし現代においてその事情は変わってきました。
 供給側ではなく、需要側・消費者側が力をつけてきたのです。

 消費者を保護するあまりに、日本の自然環境や文化を守りながら日々作物を育て、水産物をとっている人たちの生活を圧迫することになるのは危険です。
 ましては昨今は一次産業の担い手が不足しているあまり、ベトナムなどの留学生や海外からの短期労働者を雇わなければならない事情も見られます。

 もちろんアコギな商売をする企業もあるでしょうから、本当は日本人労働者を雇い入れるお金があるのに、わざと賃金が安くできる外国人労働者を雇って儲けようとするところもあるのかもしれません。

 消費者保護のために産地を偽装することは当然に許されるものではありません。しかし業者側の事情を一切斟酌せずに追及ばかりするのも過剰な反応です。

・国産ブランドは硬直性を打破できるか

 アコギな企業を駆逐し、善良で日本の国土を保全してくれる企業を支援するためには何が必要でしょうか。

 世間の人たちは口を開けば「政府がやればいい」「役所の怠慢だ」と言いがちです。一方で公務員が増えれば税金もそれだけ増えることになりますが、それには反対します。
 これは非常に悪い傾向です。例えるならば、ホテルのスイートルームを一般客室を同じ値段で使わせろ!と言っているようなものです。

 然るべきサービスを提供するには、きちんと教育を受けた優秀な人材が必要ですし、当然に優秀な人材は安いお金では雇うことはできません
 これこそまさしく「一物一価の原則」です。
 皆さんの生活を支える政府や役所の人たちが安かろう悪かろうな人たちであって良いわけがありません。

 これはアサリであっても同じです。

「高いお金は払いたくねぇけど、うまいアサリは食いたい。うちらの要望が通らねえのは業者の努力が足りねぇからだろ。」などとほざくのは簡単ですが、消費者の意識が変わらないと今後もこの偽装表示問題は続いてしまいます。

 適切な質を確保した財やサービスの提供を受けたいならば、当然にそれなりの対価を支払う義務が生じます。それが本当の経済です。

 熊本県の豊かな自然を守りながら、持続可能な範囲でアサリを採り生計を立てるというのは並み大抵のことではありません。
 中国産の安いアサリを食べたくない、というのならしっかりと熊本県の漁師たちが心を込めて育てたアサリを多少高くてもいいのでちゃんと買い支える覚悟が必要です。

 そもそもスーパーマーケットで並ぶ食材などには、二重三重に卸業者が介入していることが多く、その費用が積み重なっています。
 一方で「価格の上方硬直性」の問題から、価格を上げることもできないためそのしわ寄せは当然に企業負担となります。
 水産物や農産物を守っている企業が潰れたら、当然に国土は荒れます。結果的にそれで困るのは我々消費者なのです。
 貝より硬い価格の硬直性に悩む業者を潰すわけにはいきません。

 現在はネットも発達し、地元の業者から直接仕入れることも可能になりました。

 都会に住んで働くだけではなく、地方で農業や漁業に携わる生き方も少しずつ見直されてきています。

 業者が悪い!
 熊本県が悪い!

 そんな短絡的な考え方ではなく、問題の本質をしっかり分析し、再発防止のためにはどうすればよいか。質のいい国産ブランドをどうやって消費者と手を取り合って支えていくべきか、を考えるフェーズに突入したのだと思います。

 国産ブランドを守るため、スーパーマーケットからではなく直接地元から仕入れる努力や、都会での生き方に悩んだら自然と触れ合って食の安全を支える事業者になるという発想をしてみてはいかがでしょうか。

 私は都心の消費者として、しっかりとした熊本のアサリ業者から「適正価格」で直接買わせていただきます。

 一緒に頑張ろう熊本!

熊本城

令和4年2月13日
坂竹央

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