ネガティブな感情との付き合い方を書こうと思ったら好きなバンドの話になった
ハードな環境にいる人がメンタルヘルスを維持するうえで大切なのは、ポジティブな気持ちになる方法よりも、ネガティブな感情をいかに処理するかということだと思っています。
不安、心細さ、孤独感、疎外感、居場所のなさ、みじめさ、怒り。
私は10代20代と、そんな感情とともに生きてきました。
だからネガティブな感情には、ポジティブな感情よりもよっぽど親しみがあります。
そんなネガティブな感情に耐えかねて、毎日のように死にたい、殺してやりたいと思っていた当時の私は、いつもギリギリのところで正気を保っていたように思います。
「感情は排泄物」だというのはアドラーの言葉ですが、私は大量に沸き起こるその「排泄物」を処理する方法を、いつしか自然と身につけていました。
それは、ひたすら紙に書き出すことと、ネガティブな感情を歌っている曲を聴くことです。
紙に書き出すのは日記という形で毎日大量に書いていました。
よくそんなに書くことがあるねと友人に言われたことがありますが、いつも不快な感情でいっぱいだったのでそうやって紙に書くことで、気持ちを外に出さずにはいられませんでした。
日記と言っても、ひたすら死にたいとか殺してやるとかそんなのばかりでしたが。
感情を処理するもう一つの方法は、私の場合、洋楽を聴くことでした。
怒り、希死念慮、疎外感や絶望など、そういう世界観を持ったバンドの曲をよく聴いてました。
一番聴いていたのがリンキンパークとオーディオスレイブです。
この2つのバンドを知ってる人は分かるかもしれませんが、ボーカルが2人とも典型的なトラウマサバイバーです。
チェスター(リンキンパーク)の歌詞には「麻痺」や「窒息」というワードが度々出てきますが、それは私の身体感覚そのものでした。
また、チェスターが歌っている時に彼の全身から発せられる強烈な怒りのエネルギーは、私が抑圧していた激しい怒りと重なりました。
クリス・コーネル(オーディオスレイブ)の歌詞はチェスターに比べるとかなり文学的な印象です。
彼の歌にはチェスターとは違って怒りは感じられません。
もう少し大人びた絶望というか、「静かな地獄」と言った感じで、何もない荒野をたった一人で延々と歩き続けているような、そんな諦めとむなしさに満ちた孤独な風景が浮かんできます。
そして時折、思い出したように神に嘆き出す。「生き方を教えろ。お前が俺をつくったんだろ」と叫んでいる。
2人の歌はある種、ただの叫び声のようなものです。
それはとても切実な叫びで、歌いたくて歌っていると言うよりは、抱え込んだ痛みが大きすぎるあまり、ただ叫ばずにはいられなかった人たちなのだと思っています。
2人とも5年前の2017年に自殺しています。
2人とも大きな苦しみを受け取ってきたからこそ、それを表現することで多くの人を救うことができたのだと思いますが、結局その苦しみに本人が押し潰されてしまうというのは救いがないように感じます。
同時に、そんな最期まで含めて彼ららしいと妙に納得してしまっているところもあります。
チェスターとクリスは親友だったそうです。
チェスターはクリスの後を追うようにして亡くなりました。
最近の私は、2人の歌を聴くことも少なくなりました。
それでもやっぱり時々は、2人の叫びが必要なときがあります。
いつも私の心に寄り添ってくれた2人の歌は、私にとってはいつでも帰れる居場所のようなものです。
この先どんな曲を聴くようになったとしても、きっとまた2人の歌に立ち戻り、また救ってもらう時がくるだろうと思っています。
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