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【私の年のせいなのか ここが日本じゃないからか186】1月(1)お正月①

 今日は元日である。新年を迎えたのである。ということを、べべさんが気にするはずもなく、普通に夜中に目を覚ましたりなさいますよね、そりゃ。今年初おむつ替えの栄誉を与えていただきました。ありがたき幸せにござりまする。
 あけましておめでとう、べべさん。本年もよろしくお願いします。

 お正月の朝ご飯は、おせちとお雑煮。名古屋育ちなので、お雑煮はおすまし仕立てで鶏肉とかまぼこ、焼かない四角いお餅を入れる。本当は餅菜(小松菜みたいなものです)を入れるんだけど、それらしいのはなかったので省略する。私が好きじゃないし。
 おせちは昨日作ったものを、ちょっとこぎれいなホーローの四角い器に詰める。葉蘭も何もなく、アルミホイルで仕切る。かっこよくはないけど、箱に入れたというだけで、おせち感は増す。
 周りに日本人がいなかったら特におせちを作ろうなんて思わなかったかもね、と、娘と話す。「やったね、おせちっぽくなったじゃん」「でしょでしょ、お正月らしいよね」という共感が成立しないのなら、手間暇掛けて作ろうという気にならない。
 祝い箸もないけれど、まあ、それなりに正月の食卓が整った。満足しよう。

 思い立って、午前中に小豆を煮て、ぜんざいを作る。べべさんのお食い初め以来、何度か赤飯をレンチンで作って、小豆は常備している。昔、実家の母がお正月にぜんざいを大鍋で作っていたのを思い出して、娘に食べさせたくなったのだった(というか、私が食べたいばっかりで)。

 母は仕出し屋の生まれで、結婚してからは左官屋の女房として住み込みの若い衆のご飯を作っていた時代もあった。だから、料理といったら大鍋の出番だ。高度経済成長がとうに過ぎ、家族の分だけの料理でよくなっても、父と二人暮らしになっても、献立によっては「ちょっとばか作ってもうまにゃあぎゃあ(共通語に翻訳しますと、少しだけ作っても美味しくないじゃない?)」と言って大鍋を出していた。実家でおでんを出されたとき、父がこっそり「タッパーに入れて持って帰ってくれんか。でないと、これから一週間ぐらい食わされる」と言っていた。

 そんなことを思い出しながら、フランスはボルドーで小豆を炊く。昼ご飯はぜんざいで済ませちゃえ。お餅はオーブンで焼こう。そういえば、父が死んだとき、お寺さんが「お餅は仏様に最高のご馳走」だと言っていたな。今日は変なことばかり思い出す。

 息子は正月にも帰省しなかったようだ。仕事で忙しいと言っていたが、生きてるんだろうか。個人LINEに「あけましておめでとう」と送ったら、既読がつき、「あけおめ」と返ってきた。生きてるならよしだ。この子が私の小さなべべさんだった時も30年近く前にはあったのだが、今や母の手など必要としない。それでも、帰国したらすぐに会いに行こう。

 夜はちらし寿司とあさりのお吸い物を作った。日本から持ってきた「すし太郎」と桜でんぷを使い、ご飯には焼いたサーモンを混ぜ込んだ。薄焼き卵と桜でんぷを娘に渡したら、初日の出の絵を寿司飯の上に作った。この子の一番苦手な科目は美術だった、と思い出した。

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