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友を偲ぶ夏

去年1番の親友が10年ほどの共生闘病生活の末
癌で亡くなった。

その知らせが来たのは
夫とのお店を再スタートさせて
やっと思うところまで整えれて
よしっ久しぶりに!やるぞって日の前日の朝だった。

夫は翌日からの準備で家におらず
子どもがちょうど昼寝していた時
親友をよく知る知人が一報を電話でくれた。

始めは久しぶりの知人からの電話で
嬉しくて「なに?なに〜?」みたいな気分で電話をとったが
「おう、久しぶり…」
といつも通り知人らしい気軽な挨拶の次に出た言葉が
親友の訃報だった。

思わず
「え!うそ!!!」
と言いながら空いている手で口元を押さえ
カラダをビクッと飛び上がらせた。

知人がその後色々と話してくれたが
どこか彼女が調子が良くないのではないかと感じていた自分がいた。
彼女とのメッセージのやり取りではそんな言葉のやり取りなんてこれっぽっちもなかったけれど
いつになく何気ない事だけどやり取りをしたからだ。

同じ看護師同士として
彼女は私が気づいている事もきっと感じていたと思うし
だからが故に
だんだん衰弱していく自分を見せたくなかった気持ちもわかる。
だから私からは
「最近体の調子どう?」
だなんて一度も聞く事はしなかった。
話したければ話してくる彼女だったし
打ち明けるときはパンって言ってくる子だったからだ。

だから時間をかけて
私もどこかでココロの整理をしていっていたんだなと
連絡をもらった電話を切って思った。

夕方夫が帰ってきて親友が亡くなった話をした。
お店が忙しく大変な時だけど彼女の葬儀には行きたかったからちゃんとその話をした。
夫は彼女が元気な時にちらっとテレビ電話で会ったことがあり、それが亡くなる1年程前だったから
ココロの準備なんてない夫の方が驚いていた。

その時になって
わんわん泣いた自分がいた。
先輩ママさんの彼女に育児のことであーやこーやと話したかったとか
子どもを連れて会いに行きたかったとか
今更な事を言いながら泣いた。

でも
高校からの親友を同じく癌で亡くした20歳の時に比べたら
後悔の波は小さかった。
それは歳のせいもあるかもしれないけど
時々くる彼女からの治療の話から癌の進行を感じては
心の整理をしていたんだと気づいたから。
ちゃんと受け入れていた。
彼女の死も彼女の私への気持ちと
最後の最期までの彼女らしい気持ちのある方を
私もわかってあげられていた。

彼女が亡くなって
彼女の意向を汲んで動く残された家族とのタイミングをみて
亡くなってしばらくしてから遺影に手を合わせに行った。

その写真は生前に子どもにこの写真でと、お願いしていたそうで
私が彼女の1番近くにいて
2人でたくさん楽しんでいた時の頃の彼女だった。

あの時楽しかったよね
って
彼女は私に言ってくれていた。

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