孫の中学入学その2

先日私は孫の中学入学のブログを書いたのだが、孫の出生の話からスタートして長くなってしまったので、結局中学に入学したと言う本題に入れなくて続きはまた今度になってしまった。どうもすんませんでした。

うちの孫Mちゃんは2020年8月12日水曜日に無事に中学に入学しました。有難い事に毎日楽しく喜んで学校に通っています。

7月の終わりに12歳になった彼は日本人の血を引いているなんて全然わからないほど見た目は白人です。白人オランダ人、インドネシア人、日本人、オーストラリア人(ドイツ、アイルランド、イギリスの血が混じったオーストラリア人がよく冗談で言うマングロ(ごちゃまぜ雑種))の血で構成された体を貰って生まれてきました。冗談で私はよく”公園で孫と居たらみんな絶対に私の事を彼のおばあちゃんだなんて思わないだろうね。きっと東南アジアからの出稼ぎ子守のおばちゃんと一緒にいると思うと思うよ”と言ってました。私の見た目は100%日本人、孫は髪の毛は茶色で目は海のように美しい青色、肌の色も透けるような白い色です。母親の娘も日本人とオーストラリア人のハーフなのですがいつもイタリア人やトルコ人に間違われるほどあちらの血が濃いので私達3人が一緒にいると人はいったいどんな関係なの?と思うようです。

彼はお寿司はもちろん納豆や梅干しが大好きで日本語はおばあちゃんの一言しかしゃべれません。私の作る日本食(時々焦げている)が世界で一番美味しいと言ってくれる心の広さを持っています。オランダ語はもちろん英語もペラペラで私が先日仕事で英語の調べ物をしていたら、”僕で良かったらいつでも助けるから遠慮しないで言ってね”と素敵な青い目で私の目を優しく見つめ手をぎゅっと握って気にかけてくれました。その頃彼ははまだ11歳。私はこの大人のような彼の態度に思わず驚き、そして彼の優しさを有難く嬉しく感じたと同時に、”あ~この子の中にも藤井家の血がしっかり流れているんだなあ”と実感しました。私の父も私も娘も女たらし男たらし。これで孫も仲間入りすれば4代総たらし。あ~困った事になった。でもね悪気はないがそうなんですよ。うちの家系は親戚一同みんなちょっとばかりですが見た目が良く、たまに必要以上に優しく愛嬌があるから誤解も生むし、はっきり言ってモテます。ただ調子が良いだけなんですが。凄く傲慢ねと思われるかもしれませんがそうなんだからしょうがない。それモテるって得する時もあるけど良い時ばかりじゃないよ。やっかまれたり馬鹿にされたりもします。ごめんなさい。また話がそれてしまいました。

これを言おうか言うまいか迷ったんですが言う事にしました。なぜかと言うと私は今世界は大きな転換期に差し掛かっていて、これから人の価値観や意識がや大きく変わり生き方も変わってくると感じています。今まで当たり前だった事がそうでなくなったりその逆になったり、今までのタブーや隠して来た事なども、もっとオープンになってくると思うからです。我慢や辛い事も差別もその他色々これからはみんなが一緒に勇気を出して解決していく時代が来たと。そしてみんなが無理をせずもっと自然に幸せに仲良く生きていける社会になる事を望み、又そういう世界を一緒に作っていく時期が来ていると強く感じるからです。

私は半世紀生きて来ていろんな人に出会う機会がありました。軽度重度関係なく発達障害の人たち、同性愛者の人たち、病気の人、結婚したくない人、したいけど縁のない人、子供が欲しくない人、欲しいけど出来ない人、子供を事故や病気で亡くした人、離婚してる人、DVを受けている人、不倫者、犯罪者、頭がおかしい人、アル中、ドラッグ関係の人、売春婦、変態、お金持ち、貧乏、色々な事情を抱えた外国人その他。ごめんなさい、色々一度に考え出したらわからなくなってきました。まだまだいくらでも出てきます。

とにかくみんな一生懸命に自分の人生を精一杯生きています。私の周りには変な人もいますが、もちろん沢山心から信頼でき面白く心優しく天才レベルで頭がよく成功している人達も沢山います。落ちぶれている人から普通の人、そしてサクセスフルな人達、老若男女オールインワンです。だから人生は面白いし楽しいのです。

あ~あ、ごめんなさい。今日はなんでか話があっちこっち飛んでばかりです。

私はこれから自分が今まで出会った人たちや経験した事をブログを通して何かの役に立てる為に、またみんなを笑かせて元気にする為にシェアする事に決めました。まずは数か月前に自分の離婚の事を述べましたが(これも正直勇気がいりました)今日は発達障害の事です。

うちの孫も娘もADD注意欠陥障害です。数年前に学校の先生に言われてテストを受けて判明しました。色々話を聞いていたら、ひょっとしたら私もそうなんじゃないかなと言う気にもなってきました。あれ遺伝するとも言われているしね。あ~あ、言っちゃった!これで世界中の人に知れ渡るぞ。本当に良いのかそれで?まあいいだろう。悪い事じゃあないんだから。

今まで私がはたで見ながら孫や娘のADDの状態、対処法、面白い所、困った事、素晴らしい事、周りの反応や偏見、二人の頑張り、悲しみ、喜びその他色々一緒に経験した事学んだ事などをたまにですがブログで分かち合わせて頂きたいと思っています。そしてそれが同じようなチャレンジを抱えて頑張っている人達の癒しや助けになればと思います。

やっと、本題に入ります。

ADD発達障害と言うユニークな状態で生まれた孫は(見た目は全く普通または普通以上でちびっ子イケメンです、行動も通常は全然普通です)普通の小学校に行きましたが、6年生の時に素晴らしい担任の先生にとても大事にされて、その先生の勧めでこの夏から普通の学校には行かず、特別支援中学に入学し、これまたうちの孫のような色々なユニークな感じのお友達と少人数制のクラスでそれぞれの個性を生かせてもらい、ハンデは大目に見て貰いながら楽しく毎日通っています。お友達もすぐに出来てみんなで仲良く楽しくお勉強しているようです。小学校の時は一時期いじめにあったり、先生に誤解されて悪い子扱いをされて辛い時もあっただけに、孫と娘の今の幸せが人一倍有難く嬉しいです。

特別支援学校と言う事で祖母の私も母親の娘、そして年は1、2年しか違わないけれど一応戸籍上は叔母さんに当たる娘たちも、孫Mの中学校進学はうまく行くと良いなと心から心配していたので、これから先に何があるかはわからないですけど、今の所孫本人も含めて5人みんなで”良かっただね~”とホッとしています。

今だからこそ発達障害と言うけれど50年前にはそんな言葉すらみんな知らず、元気の良い子供、落ち着きのない子供、人懐こい、人見知り、繊細、めちゃくちゃ記憶力が良いとか、こだわりが強い、勉強できる出来ない、その他色々な障害の種類によって症状も違いみんなそれが個性だと思われて本人も周りもみんな頭を打ちながら一生懸命に試行錯誤しながら生きてきました。

今までに研究された事の色々な情報が簡単に得られるようになって来たので、”あ~そうか、なるほどなあ~!”と助かる事も多いですが、半面であの子は、あの人は発達障害だからと差別されたりするという状況にもなっています。私達がこれからどうやってこれらの情報をうまく役に立てながら、みんなでうまく楽しく生活していく道を見つけて行くのかと言うのが、これからの大きな課題なんじゃないかなと感じています。

なんか、真面目な事を沢山書いちゃったけど、要は、ちびノッポ、目が青い、ポチャッとしてる、お痩せちゃん、日本人、オランダ人、元気がいい、恥ずかしがり屋、おしゃべり、短気、のんびり屋、おっちょこちょい、勉強嫌い、がり勉君、女たらし、奥手、その他色々、人それぞれ色々個性があってみんな違う、お互いに尊重しあって良い所を認めて伸ばして、苦手な所は大目に見て、補い合って仲良く楽しく暮らしていく方法を見つけて、そうやって生活して行こうねっちゅう事ですね。

言うの簡単、実際やるの大変。でもやろう一緒に。焦らずに。ぼちぼち。

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