見出し画像

ぼくものがたり(戦後80年にむけて)⑤遠足とB29・キラキラしたもの

《 遠足とB29 》

 小学校一年の1944年(昭和19年)11月1日に、1年生と疎開しなかった3年生、5年生の残留児童と合同で、練馬区の豊島園まで歩いて遠足に行った。阿佐ヶ谷の杉七から5.6㎞。
 僕たちは小学1年生で足がおそいから、けっこうな時間を歩かされた。お昼ごろやっとたどり着いて弁当を食べて遊び始めたら、突然、空襲警報が鳴り響いた。ウーウーウーってあたり中に響くもの凄い音。
 だけど隠れるところが無くて、物かげや道端の端っこにみんなでうずくまって、敵から見つからないように隠れていた。僕は何が起こるんだろうと、うずくまりながら空を見上げていたんだ。

 たった一機の飛行機が、青い空の高いところに、すーっと、飛行機雲を残して通り過ぎて行った。爆弾は落としていかなかった。
 しばらくして警報が解除されたので、そのまままた歩いて阿佐ヶ谷に帰った。先生は「とにかくみんなが無事でよかった」と、繰り返していたけど、長い時間歩いてきたから僕は「もう少し遊びたかったなぁ」と思いながら帰った。
 空襲警報は怖くはなかった。1年生だったから先生の言う、怖いって感覚がわからなかった。
 その飛行機はアメリカが東京に初めて飛ばしたB29だった。偵察飛行機だったそうで、あの一機が東京中の空港写真を撮って、これからどこを攻撃するかを決めたんだ。いよいよ攻撃が激しくなりそうだと大人たちは分かっていたのもしれない。

《 キラキラしたもの 》

 僕のとなりにはイケガミさんといって、二人とも先生をしているご夫婦が住んでいた。両家で間の私道に防空壕をいくつか作っていて、燃えては困るタンスなんかを一緒に入れていた。

 ある晴れ渡った日に、空襲警報があってB29が10機以上飛んできた。イケガミさんと僕の家族は防空壕からそれを眺めていた。でも爆弾を落としてこないので、「あれはもっと遠くに行きそうだ」と話をしていたら、変なものを落としてきた。なにかキラキラ光るものを。 

「あれはなんだろう?キラキラひかるの」
 爆弾だったらバーンと落ちてくるのだけど、それはゆっくりと、なんだか広がりながら落ちてきてる。
「何だろう?」と言っていたら、イケガミさんの奥さんが、
「あれはねぇ、あれが落ちてくるとね。火事になるようなあれなんですよ。あれは焼夷弾とちがって、建物にかかると火事になるようにできているんですよ」と。
「へー」なんて見ていたら、それがどんどん広がって、長いテープのようなものがヒラヒラと広範囲に落ちてきた。とにかく学校の先生が言うんだから、火が出ると言うのは間違いないだろと。お袋はとても心配そうに見上げていた。
 僕は空いちめんキラキラしてきれいだし、なんだか面白いと思って見ていた。そうしたら、そのキラキラは近くに来ると急に落ちる速度が速くなった。そして僕の家のケヤキの木にたくさん引っかかってしまったんだ。

 お袋は慌ててバケツ持って「水―!水―!」と叫んで大騒ぎしていた。その様子をみんなで見ていたけれど、火が出る様子はない。
 テープはみるみるうちに広がって、ケヤキや屋根にたくさん落ちてきて、お袋はパニック中。でもぜんぜん火なんか出ない。イケガミさんは、
「あれ、火が出ませんねぇ」なんて言ってる。
「なんでしょうねぇ」って。
 
 そして気づいたら、いつの間にか見物人がいっぱい来ていて、沢山の人がそのキラキラしたものを見に集まっていた。どこかでは広がらないまま塊で落ちていたのもあったと言う。すると、勇気ある人が触ってみて、
「軽くて、なんだかスズのテープのようだ」
と、手で触っても大丈夫なので破いてみたら破けた。なので、
「なんでもないよ!」と。すると、一人の人が、
「なら持ってこう」って拾い始めたら、そこにいた人みんなが拾い集めて丸めて持って帰り始めた。ものすごい人が集まってたけれど、みんな、
「なんでもねーや」とか、「火なんかでねーや」とか口々に言って記念に持って帰って、その場はおさまった。
 
 しばらくたってラジオで、
「東京にそんなテープのようなものが落ちたけれど、それは通信妨害をするもので、火が出たりとか人に危害はないものです」と、放送した。
 みんな、「なーんだ」と笑った。うちもしばらくは取っておいたけれど捨ててしまった。記念に取って置けばよかったなと今では思ってる。
 

#戦後80年 #戦後79年 #太平洋戦争 #学童疎開 #終戦 #戦争 #空襲 #B29 #昭和 #阿佐ヶ谷 #エッセイ #小説  #昭和100年 #WW2 #WWII

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?