ぼくものがたり(戦後80年にむけて)㉗民主化へ・弟、タケヒロ
《 民主化へ 》
マッカーサー率いるGHQは日本の軍主主義を排除して民主化をはかった。僕たちの学校も色々なことがガラッと180度色が変わった。
教科書は戦争や天皇に関することは全部が不適切とされた。国語なんてほとんどが戦争とか神の国とかの話しだったから全部ダメ。だから先生たちが教科書を墨で黒く塗りつぶした。真っ黒け。何が書いてあるかさっぱりわからない。
体育の時間も、それまで歩く時は隊列を組んで行進してたんだ。それもダメ。癖になってたから、つい手足を高くあげて行進してしまうと怒られた。
それまでさんざん訓練させられていた木銃、竹ヤリもみんな撤去された。
学校に飾ってあった天皇陛下の写真も無くなっていた。それまでは陛下の
写真にお辞儀をしなきゃいけなかった。みんなで「万歳」もダメとなった。
今まで厳しかった先生も「これからはね自由主義ですからね。みなさん、のびのびと勉強しましょう」と優しくなった。
校舎は半分焼けちゃって、校庭で授業する青空教室も多かったけど、みんなの顔は明るかった。戦争がないってだけで心が解放されて、先生も生徒も、これから良い方に変わるような気がしていた。
《 弟、タケヒロ 》
僕には5つ下の弟がいる。孟弘(タケヒロ)は僕とは性格が180度違っていた。ガキ大将だったんだ。背も高くてケンカっ早い。怒らせると、逃げても逃げても、ずーーーと追いかけてきた。だから僕は兄弟ゲンカはほとんどしなかった。
僕は大人しかったから、たまに僕がイジメられたような話を聞くと、相手が6年生だろうが、中学生だろうがタケヒロは構わずに仕返しに行った。僕は頼んでないんだけど。
アニキがバカにされたって言うのが許せない性格だった。だからいつからか、「あいつをいじめると弟が怖いぞ」ってそんな風に言われた。
お袋はしょちゅうカンカした子の家に謝りに行っていた。ケガをさせるようなことはなかったけど、子供が泣いて帰ってくるから「どうしたんだい?」って近所の人づてにケンカしたことが分かった。
子供たちは空き地や道路、その頃は車も入ってこなかったし、焼け跡で道も広かったから道路でも遊んでいた。外に子供たちがいっぱいいて、何かあれば大人たちの目にすぐに付いた。だから何かあるとすぐにわかった。
ガキ大将気質でも、弱い子が上級生にイジメられても助けてあげていたから、意外と人気があって「タケちゃん、タケちゃん」と家には友達がたくさん集まってきた。ケンカしてもすぐに仲直りできる性格でもあった。「俺も悪かったよ」って素直に言える性格だった。
タケヒロはお神輿(みこし)を担ぐのが大好きで、阿佐ヶ谷の地元の祭りとなると、大勢の友達を集めて神輿をかついでいた。神輿好きは大きくなっても変わらないで、「天龍会」って神輿の会を作って日本中の神輿をかついだ。タケヒロは戦争の思い出はない。終戦は3歳だったから。僕はタケヒロが学童疎開に行かなくて本当に良かったと思っている。
つづく