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61. 思想が先か、現実が先か、
ときどき、自分が失敗や不幸、災難のあとに、その地続きで失敗や災難が起きてしまうのではないか、そんなことを考えてしまいますが、
その状況が起きている瞬間瞬間では、その地続きかどうかはわかりません。
自転車に転んで怪我をしたら、次の日は風邪をひいたなんてこともありますが、偶然がかさなっただけで、個人の力では、この不運の因果関係を証明することは難しいのではないでしょうか。
人に対して抱く感情もそういった側面があるように思います。
Aさんは、実は裏では悪事を働いているから近寄るのはやめよう。
Bさんは、道端で子犬を拾っていたから、きっと優しい人なんだ。友達になってみよう。
なんて、今時、こんなことを愚直には思わないのかもしれませんが、こういった初対面に近いかどうかはさておき、事実が混じった情報を手にすると、意外と印象はそっちに引っ張られてしまう瞬間があります。
しかし、実際はどうかはわかりません。
AさんBさんも、抱いた印象とは真逆かもしれませんし、言えない理由があるかもしれませんし、意外と何にも関係ないのかもしれません。
Netflixで鑑賞した映画「ザ・ハント」もタイトルや物語の序盤から受ける印象を覆すものでした。
なんの理由もなく集められた人々は無作為に殺されていくのだけれども、
実は、彼らが標的となったのは、ネットに書き込んだ内容が原因になっていき、のちにこのハンティングゲームの真意が明らかになるというものです。
やはり、言葉である以上は、その形を問わず、人を変えてしまうもの。
「芝浜」という落語があります。私も好きで、時折聞くのですが、
怠け者魚屋の亭主が、早朝に仕事へ出かけると革財布を拾うと、お金がたんまりはいってて、遊んで暮らせる!と思ったのも束の間。
翌日の酔いが覚めた朝には、まるまると亡くなっていました。
この奥さんは、実は財布を隠していたんです。
夫は真面目に会心して働き直すということを信じて、「あんたばかね、まだ夢なんか見てるんじゃないのかい」と強い口調で言います。
「ちゃんと働いて、少しずつ返していこうよ」
そう言われ、奥さんと誓い奮起するという話です。
映画は最後、なんやねんって笑っちゃう爽快ささえも感じましたが、
案外、言葉によるきっかけは、現実も側から見ればそう思うのかもしれません。がしかし、当事者たちは違います。
サムネイルは、劇中でジョージオーウェルの動物農場が、
引用されていました。これもまた、皮肉めいた感じもすごくあります。
しかし、その映画の中のフィクションは、形を変えて現実にありそうだからゾッとしました。
最初はパージのようなパニックホラーかなと思ってました。
簡単に言葉が吐き捨てられる時代だからこそ、
文学的な意味や作者の意図を汲み取ることと同じく、
自分の発する言葉によって影響力をもつことは、有名人関係なく、
一般人のわたしたちにとっても時代に関係なく、
大事にしないといけない価値観なのかもしれません。
たとえ、それが「独り言」を前提としたプラットフォームでも。