Hiroaki Maccarthur
最近の自分はよろず中庸を重視しているが、中庸の効果は、複雑化を極める現実の中で、とりあえず間に合い、なおかつ自身にもラクだ。しかしそれで全て解決するとは思わない。3つくらいの考え方を併用できれば、それなりに対処はできるが、物事の進みの遅さに怒らず耐えなければならない。
最近心療内科通いを止めたので、薬でリラックスしてたところをどうするかが、最近の興味であり課題。幸いなんとかなっている。質のよい睡眠は大事だが、質のよくない睡眠にも、変な言い方だが、それなりの『悪さ』があり…最近は中庸・バランスを心掛けているが、そのよさはまあラクだということか。
陽明学の祖・王陽明の言葉に 『山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し』 というものがあるそうだ。出典は知らないが、司馬遼太郎の『峠』などでたびたび目にする言葉ではある。 「心中の賊」とは、何を指してそう言ってるのか、オレにはわからない。しかし、オレにおける心中の賊とはなにか、ということについて考えてみた。 考え過ぎる。オレの悪い癖だ。考え始めると、息もロクにしていない。呼吸を意識しても、ダメなのだ止まらない。 オレにおける心中の賊は、増すばかりの思考ではないか。
岩波文庫『韓非子』。美しい文体だなあとは思うが、読み進むにつれて非常に不愉快な内容が続出したので、いったん置こうと思う。人間社会の一側面では確かにあるとは思うが、老先生の愛情は師弟愛というより、むしろもっと根源的なものだったのではないかと。
-TwitterXで、共同親権の問題が指摘され続けているが、それはそうだろう。DV夫から逃げられないような法改正がなされるようであるからね。こんなんして誰得なんだろうか。 -DV夫ね、いるらしいんですが、まずなかなか表に出て来ず、内々で暴力が振るわれるわけでしょ、しかも巧妙に。 -「ブラックジャック」という鈍器をご存知だろうか。細長い布製の筒状の袋に、おそらくは多少は湿り気を含む砂などを詰めて使うのだろう。アル・カポネが私刑を施す際に好んで使ったらしい。これで身体を殴打す
・道理に欠ければ人でなくなる ・利害得失を考えられなければ、現実上役には立たない。 →以前の自分は、道徳好きだが道理に欠けていた。また利害得失、平たく言えば貸し借りでものを考えることを嫌った。 →貸し借り、大事だと思う。貸し借りについて考えなければ、たとえば他人の好意の行動などに、いくらでも平気で乗っかるが、なにも報いないということになり得るからだ。 これは儒教で言うところの仁と義の話か。
ビギナーズクラシックス『中国の古典』加地伸行著 角川ソフィア文庫 -少年時代は、当然老先生(孔子)にもあった。 孔丘少年は、貧しい農家の出身であった。たくさんの兄弟を抱えて、賢明に働いたことだろう。 -そんな折、父が、後妻を迎えた。孔丘少年の実母は早くに亡くなった様である。 -後妻すなわち義母は、儒と呼ばれる、儀式や占いを生業とする集団の女性だった。孔丘少年の父は彼女と同居しなかったようである。ただ、通った。 -孔丘少年も農作業の傍ら、義母の元へ通ったようである。義
ビギナーズナントカ・文庫『論語』つづき。 老先生一行がどこかの国を旅行中、つてがなく、食べ物に窮した時、古参の弟子の子路が老先生を詰めた。 「君子でも食べ物に困るのですか」 「ああ。ただ小人のように取り乱さない。」 苦しまぎれの言い訳みたいでなんだか微笑ましい。 宮城谷昌光『三国志』の序盤で、後漢の大儒である鄭玄が、弟子たちとともに、戦乱を避けて山に避難した時、餓えたが耕作などはせず、みんなでじっとしていたエピソードを思い出す。あくまで官吏・政治家候補学塾一行だから
ビギナーズナントカ・文庫『論語』 子曰く、とは、現代語に訳すと、「老先生は(こう)おっしゃられた」くらいの意味らしい。 老先生、浮世離れしながら、同時に軽率でおっちょこちょいなところがあり、私には非常に魅力的な人物に感じる。
講談社学術文庫『老子』二周目。ビギナーズナントカ『論語』も合わせて読んでるので、なかなか進まない。読み飛ばし追うだけの癖があるので、専ら精読を心掛ける。 老子は、貧しい人々に寄り添う一面が強いのでほないかと。貧しいと感じやすく緊張しやすい。
ああ、ハゲたらもう人生終わりだ…。異論は認める。
実際、ポルノが虚構だとして、虚構の方が共同幻想になってると仮定すると、余りに虚構に振れると現実味がないし、現実味の薄い虚構は説得力がないんで、結局見る気にならないという。
極端な話だけど、『クリスマスイブに、シティホテルの最上階とかで、若くてカワイイ日本人女性とラブラブセックス』みたいに、アッパー文化過ぎて色々ムリだよな…。
オレは2024年9月8日で49歳になる。死の苦しみ、それが50−1歳、ということなのだろう。 オレは一応4年制大学を卒論などは書かずに、なんちゃってで形だけは卒業したんだが、今思えば、働かずに、一生遊んで暮らそう、なんの根拠もなくそう決めて、その方針というものが…。 なかなかに強固で、とりあえず大学を卒業してフリーターになった。オレがフリーターになった2000年頃は、フリーターとは夢追い人のことであり、最先端の人種であった。 フリーターになって、25年余りが経過した。未
さて、何から書こうかな。 最近関心がある事柄、いや以前からずっと興味深い事柄として、緊張と緩和、交感神経と副交感神経の働きについてであるが、これに関しては、自分の中では一定の結論を得ている気がする。 なぜ『老子』が、「道」とか、大いなる自然の摂理に従えとか、反儒教的なことをうるさく言うのか、それはおそらく、副交感神経の優位を説きたいからではないかと思う。 交感神経→緊張、副交感神経→緩和とある程度強引に関連づけるなら、おそらく交感神経優位な状態が続けば、労働とかビジネス
金とは、すなわち生き物だ。最近勝手にそう思うことにした。自分の手元には常に無くても、誰かのために生きてりゃいいじゃねえかよ。そう思えばさ、まあ毎日の仕事にも、オレは行ってもいいからと思うよ。つまり、カネとは生き物である!