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ひきこもりの解決4(しつけとの境界線)

不登校・ひきこもりの解決として3回記事を書きましたが、

表題が10文字目まで同じだと、
記事一覧の画面で全部おんなじ!
どれがどれ?? 見にくい!
と理解 笑

不登校の先にある、
ひきこもりの解決 
と題して書こうと思います。


しつけとの境界線

当時、娘(中3)は所属していたジャズバンド部でテナーサックスのソロパートを吹く予定があり、

部活最後の年の地元の夏祭りには何とか出演したものの、
それを最後に、二度と部活動へは戻りませんでした。(中3夏休みまでは練習と最後の本番あり)

ラストの演奏会は、
当日の朝、楽器とお弁当を持って家を出てそのまま逃げ、待ち合わせ場所に現れず。(近所で隠れておりました)

連絡を受けた私は、申し訳なさに青ざめて、何故迷惑をかけるのかと、あとで家に戻ってきた娘に頭に来ていました。

ダメならダメと最初から申し出ていれば、迷惑をかけずに済むのにと、出演しなかったガッカリ感も合わさって、その無責任さ丸ごと腹が立ちました。

(ソロパートは、急遽練習していた別の子がカバーしてくれていたと後で知りました)

今思えば、これは娘のウツ的な行動の始まりでした。

当人は、本当は頑張りたいから、
本気で一旦はやる気を見せるんですが、
いざその時が来ると大きな拒絶に変わってしまうというパターンだったんだと思います。

これは、ただの怠け者でも無責任でもなかったんです。

そのあとの数年間も、事あるごとに、
明日は行く!!と前の晩は元気な宣言をしていても、
翌朝になると、力が失われドロドロな人に変わっていて、テコでも動かないというパターンを、
数え切れないほど繰り返しました。

ガッカリするやら、
なんで!? あんなにやる気出して宣言していたのに?? のイライラに、私はよく苛まれました。

ウツの行動パターンを最初から理解するには程遠く、
善悪のジャッジで、私が正しいと、しつけする立場としての怒りを抑えられませんでした。
(他人事なら、情けない話、で済むけれど‥)

娘には、社会の一員として所属してしっかり役目を果たしていなければ、いい加減な人に育ってしまう、
そんなことで将来どうするの、どうやって生きていくの、という思いが私の中で渦巻いていました。

なにも立派な経歴だとかそんなことじゃないし、
ただ、ちゃんと食べて生きていける人間に育ってくれなければ困る、という思いがありました。

私が宗教2世という独特な環境で育った以外にも経済的に貧しく、それでも負けずに努力して生きて、もはや、しっかりした人間になり過ぎ、
友達が大切だったこともあって、

娘とは相容れない部分が大きかったです。
話がまるで伝わらない。

でも、のちに気づいたこと。

他人に迷惑をかけないことは私の中ではとても重要なことで、

そもそも集団生活が苦手でそこに価値を感じていない娘にはあまり重要ではないこと。

そんな大きな隔たりがあることにも気づいていませんでした。

私の正解と娘の正解は違う。

しつけとの境界線、正解と思うものが一致しない場合、難しいものがありますね。
力関係で親のほうが正しい、となってしまう。

でも本当はしつけの問題ではなく、性格の域の話なのかも知れないんですよね。
となると、正しさではないですね。

娘は娘の意志で、自分自身を守る行動を取っていただけでした。


モヤモヤする感情の処理

親も人間ですから、自分の正解をどう処理してよいのかわかりません。

でも押し付け押し通すことよりも、少しフワッとさせる、
結論を出そうとしない癖も身に着けて行く必要があると、後々繰り返す中でわかりました。

元々ふんわり出来る人なら、その能力は最初から備わっているんでしょう。

私には、それはハードルの高いことで、それよりずっと後ろにいました。


ちゃんと伝わっている

本気で伝えている限り、娘本人には、社会参加しなければ将来食べていけないということは、充分伝わっているのに、当時は知る由もありませんでした。

わかっていないんじゃないか、という気持ちが焦りとなっていました。
でも子供って、そこまでおバカさんではないですよね。ちゃんと親のやっていることは見ていますね。

今子供さんのやっていることを、子供の考えの全てと思わなくて良いんです。

見えているのは、あくまで表面です。

ひきこもりを生み出す環境

これは長期ひきこもりを生み出しかねない環境でした。
長期ひきこもりの一番の理由は、子供を理解しようとしない家族の存在だなと思います。

一番そばにいる家族の理解は不可欠で、それは単に優しく接して、腫れ物に触らないようなことではなく、

個々の違いをちゃんと理解している家族が味方である、ということが大切なんだと思います。

親には理解出来ない行動を取る子供。
そこには理由があり、それを間違っていると思う時には、
子供のことをちゃんと知ろうとしないことには一歩も進めません。

価値観の変換は親としての成長を促してくれて、
真逆の心情を想像することで自分を知ることになりました。

反省いっぱい。

つづく

次回は、高校受験と、娘の癒やしのペットについて書きますね


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