心に蓋をするクセが抜けない
今朝もマイルーティンのスタバ。
イヤホンつけて音楽を聴いていたけれど
どうにもこうにもそれをつんざく喚き声が
聞こえてくる。
振り返れば、そばの席で20代前半ぐらいの
女の子がウチの親ぐらいの世代のじいさんに
どえらい剣幕で怒鳴られてる。
イヤホン外して聞き耳を立てた所で
楽しそうな話でもなさそうだからわざわざ
そんな事はしなかったのだけど
まぁ、どうやら、ぶつかったのに無視して行くとは
何事ぞ!みたいな感じだったのかな。
じいさんのあまりにもの勢いに女の子は泣き出し、
スタバではなく何故か併設のTSUTAYAの店員が
フォローに入っていた。
冷静にならないじいさんに店員が警察を呼ぶ旨を伝えると、引っ込みのつかなくなったじいさんは呼べばいいじゃないか!とボルテージは上がる一方。
しばらくして警察が来て、それぞれ別々に聴取されてる感じだった。
警察とのやりとりも一切聞いていないから、その女の子が言い掛かりをつけられただけなのか、本当にぶつかって無視をしてしまっていたのかは、私はわからない。
"わぁ。こういう時に咄嗟に泣けてしまう人
羨ましいなぁ。私は意地でも泣くまいと思って
しまうタイプやもんなぁ"
泣き出す女の子を見た時の私の率直な感想。
母親ほど年の離れた感じのTSUTAYAの店員と
元々知り合いなのか、抱きしめられて頭をなでなでされている。
まぁ、あんなにデカい声で怒鳴られりゃビックリして泣いちゃうか。
じいさんもじいさんで、泣かれたり警察呼ばれたりで引っ込みがつかなくなっただけで、冷静に対応していたらきっとひと怒鳴りぐらいで済ませてたのかも知れない。
私がその状況の渦中にいたとしたら、きっと全然違う流れになっていたのではないだろうかと考えたりもしていた。
面倒くさいから警察なんていちいち呼んでもらいたくないし、「お互いに気をつけましょうね」とテキトーに謝り、長々と聴取される事もなくサクッとそれぞれ帰路につけたかも知れないのにな、なんて。
でも、自分に非があろうとなかろうと"テキトーに謝る"を登場させてる時点で「自分の本心」には嘘をついていると言う事になる。
非があれば本気で謝罪するし、非がなければじいさんと警察抜きでタイマン張るのが私の本心であるはずだから。
驚いて怖くなっても"泣けない"という選択をし、
その場をやり過ごす"テキトーな謝罪"という方法を思いついた私は、自分の心に忠実に誠実に向き合うという事を随分忘れているのだな、と愕然としてしまった。
店で泣き出す女の子も、
怒りの琴線に触れて激昂するじいさんも、
私は正直好きじゃない。
こっちはお金払ってくつろぎに行ってる場所で
自分の感情だけをお互いに爆発させて店内をとんでもない空気にしてしまっているのだから。
だけど、自分の感情を圧し殺す事が癖になっている私自身を「本当の私」はきっと"これぐらい素直になってもいいんじゃない?"と伝えてきていたように思う。
だからって店内であんなに感情露わにはしませんけどね(笑)。
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