ラブソングを書く気

昨日のライブで「ラブソングはあまりなくて自分に向けて歌ったうたが多いですよね」と久しぶりに指摘してくださった方がいらして、『あ〜、昔そこすっごいよく言わたなあ…』と懐かしく思い返しました。
なくはないけど、確かに私、ラブソングっぽいラブソングがほとんどありません。
で、昔は、そう言われたら『やばい、やっぱラブソングも書かないと…』と思って書いたりしたんですが、作ったデモも大半は歌ってて楽しくないというか、むしろ『嫌』でした(表に出した数少ないラブソングは嫌ではなかったものです)。

なぜか。

曲の歌詞にすべて自分の体験を反映させるわけではないのですが、でも自分の感覚や感情で作ることで、歌詞を書くというのは結局自分と向き合う作業になるわけです(アプローチのしかたにもよりますが)。

今になって考えると、かつては自己肯定感が超絶低かったしその改善の見通しも立っていなかったために、(人を好きになることは多々ありましたけど)全体的に『恋愛関係』に対するやる気じたいありませんでした。
そしてそんな自己肯定感の低い、欠乏感を抱きまくった状態で書く恋愛の歌詞は、なんか未練がましくて押し付けがましい執着心のある感じになります。
私はそういう歌詞は基本的には嫌いで、でも当時の自分からは恋愛に関しては大抵の場合そういう歌詞しか出てこなかったし、その歌詞を自分で歌うたびに自分の大嫌いな姿を見せつけられるとか拷問だし不毛じゃん、と感じていたんだと思います。
昔から、暗そうに見える歌詞でも密かな着地点として目指す景色は常に建設的なイメージで書いていたので、『恋愛のフィルターを通すとそんな歌詞しか書けず自分の音楽が淀む感じがするくらいならラブソング書かない方がよくない?』だったんですね。

そんなわけで、『人を愛する前に、自分のこと整えないとどーしよーもないのでは』と思い結局自分の内面によくフォーカスするので『自分に向けて歌ううた』が増えたのだと思います。

それに、自分にとって大切な音楽では、自分にとって大切なことを歌いたいと単純に思うわけです。
『大切なことってなんだろう?』
『いま生きててどう在るべきか?かな』
『じゃあ、どんな心持ちでいま生きているの?いま感じているの?これから生きていたいの?これから感じていたいの?』
『私やあなたにとってこの世界はどんな存在?どんな世界に見えてるの?どんな世界を見ていたいの?』
…そんなふうにして、『自分に向けたうた』と『叙景詩のうた』はかなり増えていったと思います。

あと、アジテートするのも好きじゃないんです。
だから、「あなたの歌詞をどう捉えていいかわからない」と言われることもありますが、私の歌詞を聴いて、“右から左”になることなく何かしらひっかかりモヤっとしてくださったのだとしたら、そこにはあなたが見つけたい自分のカケラが隠れている可能性があると思うので、鏡のようにしてそれを見つけるのに使ってもらえたら最高だなーと思います。

で、今。
自己肯定感についてはかなり正常な状態なわけですけど、あらためてラブソング書きたいかっていうと、、、
やっぱあんまり興味ないんですよね。笑

自分にとって特別な人のことを考えてあったかくなる気持ちとか涙が出るような気持ちって、私にとっては頬を撫でる風が優しくて涙が出るような気持ちとけっこう似ていて。愛とか安心とか肯定とかがまざり合ったような感じです。
しかしその特定の『人』を思い描いて書こうとすると、打算的な言葉がやたら浮かんできて、もともと感じていた純粋な喜びの軌道に戻すのに苦労するので、ああもう、同じ愛なら頬を風が撫でるの方を書こ、、、などとなります。
それは私にとってはラブソングですが、一般的にはラブソングに聞こえないかもしれません。

そばにいることが嬉しいとか、触れ合っていて愛しいとか、存在してくれてありがとうとか、もっとキスしてたいとか、エッチが楽しいとか、そういう心地よい幸福感ももういい加減素朴に書けるとは思うんですが、なにしろ普段チューニングがラブソングに合ってないのでまずそこに合わすというのが面倒で、
と思うくらいには書く気がないのと、笑

あと曲に歌詞を必ずつける必要もないですから。
(歌詞を書く気じたい若干ない。。笑)

でもね、しばらく歌詞書かずにいたらふと書きたくてしょうがなくなる瞬間がやって来ると思うのですが、そんな書き方がいいよなあと思っています。

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Hiroko Arakaki
ありがとうございます!糧にさせていただきます。