『光の庭 ( Garden of Lights"- Japanese version )』について (Hiroko's Monthly Tune Project #1)
何らかの楽曲を月イチで発表する私のプロジェクト、Hiroko's Monthly Tune Project ( HMTP ) #1、2019年11月度の曲『光の庭』について遅ればせながら書こうと思います。
これはHMTPを始めるタイミングで新しく書き下ろした楽曲です。
下のリンク先でもダウンロード、各種サブスクリプション利用可能です。
この曲は、蝶についての歌。
うちの庭には蝶がよく飛んでいて、ゆったり羽ばたく種類もいれば、パタパタとせわしなく舞う種類もいます。それぞれにみな洗練された模様があり、みな美しく、思わず目で追ってしまう。
優雅だなぁ、なんてこっちはいい気分になって見たりして、でも彼ら自身はどうだろう。よくよく見ると中には羽がボロボロだったり、鱗粉がとれて薄くなって弱っているのもいます。
一匹の蝶の一生って、、、と思いちょっと調べるだけで、一人の人間から見ると「なんて過酷なんだろう!」という気持ちになってしまう。(下記ブログ記事参考)
何を過酷と捉えるかにもよると思いますが、たとえばすごく単純な生存率で見ると、1つ目のリンクにある蝶のそれの平均値は、95.3個の卵のうち、成虫(蝶)になるのが0.6頭ですと。
(狭い世界観かもしれませんが)人間として私の今の立場から考えてみたら、同期生159人あたり生きて大人になれるのが1人という世界に。
(卵や幼虫や蛹の間に寄生ハチなどにやられてしまう場合についても、うっかり詳しく調べるとしばらく気分が沈む・・・)
蝶のような小卵多産戦略の生きものと、人間のような大卵少産戦略の生きものとでは、一個体の死生観や感覚は別世界なんだろうなと思います。蝶っていったいどんな気持ちなんだろうね。なってみないと私には想像もつかないだろうけれど、それでももし、私がその蝶だったら、とぼんやり考えたりします。
彼らは休む間も無く花から花へせっせと飛びます。
せっかく狭き門をかいくぐって蝶になっても、野鳥や蜘蛛にすぐに捕まってしまうかもしれない。
鱗粉も薄く羽もボロボロになってるのは、痛々しく見えるけど天寿をまっとうしたかもしれない、1週間の蝶寿命を存分に走りきって。
明日の天気もわからない。台風が来ちゃったりして、そうすると何匹か仲間で集まって羽をピタッと閉じて、大きな葉の裏っ側にしがみついていたり、ときどき吹き飛ばされてしまったりして、そんなのを「ああっ」と思いながら見ることもあります。
でも、どの蝶も、今の瞬間を必死に(という表現が適切かはわからないけど)与えられた命を生き切っているように見えて涙が出そうになります。
人間だって、側から見たら結局のところそうなのかもしれないけど、どうだろう、人間に比べればだいぶ早送りの蝶の一生を見ると、いっそうそんなことが際立って感じられてしまい、そしてそのことがとてもとても、美しく思えます。庭の蝶たちへのリスペクトをこめて。