なぜ人は推すのか。推し活の奥の奥。
ずっと書きたかったテーマを書こうと思う。
それは、推し活について。
なぜ、人は、推しを推すのか。
なぜ、推しが必要なのか、いや、人生に現れるのか。
わたし自身、どれくらい長い間、きっと人生の半分以上、推しがいる生活を送っており、
元気をもらったり、良い影響を日々もらっている。
その経験と、近年、自分が内観を通じて得た知恵や知識を総動員して、
書いていこうと思う。
きっと長くなる。
けれど、それほど深いのだ。
推しを押すということは・・・。
少し前、ある方に、なぜ、BTSをそんなに長い間推すのか、と質問いただいた。
わたしは、バンタンを好きになって、かれこれ7年、8年?ほどになるのだが、
そんなこと考えたこともなかった。とても良い質問だと思う。
わたしはこう答えた。
「彼らの中に自分を見ているから・・・かもしれない。」
「わたしの中にもナムジュンはいて、ジョングクも、テヒョンもいて。
彼らを通して自分を見ているからこんなに長いとも思わないし、飽きないwのかも。」と。
バンタンを好きになったきっかけは、わたしはたまたま出てきた練習動画がきっかけで、ほんとうまいし、歌もめっちゃかっこいいし、振り付けも最高!ソンドク先生まぢ天才!なのだが、、
ずーっと見ているとあることに気づいた。
この人、なんか自分と似ている。。。
基本箱推しなのだが、ナムジュンのラップが最高に好きで、彼がメインで歌っている曲とか、ラップラインが目立つ昔の曲がとにかくわたしは好きで、
国連でのスピーチとか、タルバンでの様子を見ながら、リーダーシップを真ん中の年齢ながらもとっていく姿であるとか、彼の紡ぎだす言葉にすごく共感した。
それは、昔の自分を見ているようだったから。
わたしもかつて、リーダーをしていたことがあり、スポークスマンのようにテレビやラジオにも出演したり、ダンスを教えたり(ダンスサークルやお祭りの踊り連を自分で作ってリーダーをしていた)チームをまとめたりと、
似たような経験をしていたのだ。
もちろん、規模は違う。
けれど、やっぱり感覚とか、言うこととか、行動とか、やっぱそうなるよな、、そうよなあ と、共感することがとても多かった。
だから、なおのこと、防弾会食はちょっと悲しくてほんとナムジュン大変だったよな、、、って思ったんだけど、この話しだしたら脱線しまくるからここまでにしよう。
話を戻して。。。
そうやってナムジュンを見ながら、自分を見て、自分を思い出す。
そして、知らず知らずのうちに「過去の自分」や「今の自分」を肯定しているのだ。
あのときはがんばったよなーとか、
今もなかなかがんばってるよなーとか。
そして、わたしにとっては、ナムジュンだけでなくほかのメンバーの素質ももちろんあって。
彼らのいろんな姿を見るたびに、自分を肯定しているのだ。
知らず知らずのうちに。
わたしたちは、他人と自分とを実は、切り離しては見ていない。
深いところでは、相手は自分だとわかっており、
相手の中に自分を見る。見ている。
しかし、自分を自分で肯定したり、自分で自分を鼓舞したりするのって意外とっていうか、かなり難しい。
令和世代ならできるかもしれないが、思いっきり昭和世代だし、
ラブマイセルフってほんと実は一番難しいことでは?と思う。
でも、だからこそ!
わたしたちは、推しを推すのだ。
推しを自分の人生に登場させ、実は、自分を鼓舞しているのだ。
推しのために時間とお金をねん出し、テレビやCMやいろんなところで
推しを見聞きし、元気をもらい、
日夜推し活に励む。
推しが悲しむと、励ましたり、自分もいっしょに悲しんだり、
推しになにかあったら全力で守ろうとする。
これは、本来ならば、自分にできたら一番良いけれど、それがなかなか難しいから、
推しという、アバター、のような感じ?と、言えばよいのだろうか、
そのような自分と非常に似ている人を人生に登場させて
自分を応援しているのだ。
そう、推しは本当は「自分」なのだ。
だから、推しへの愛を、少しでいいから、自分に向けていくと、
さらにハッピーな推し活がそこには待っているはずだ。
推し活ってだけでも、もちろん幸せだけれど、
自分で自分を応援してあげられる視点をもてることは
ものすごく人生を豊かにする。
やっぱり最後は自分だから。
自分しかいないから。
一番の味方は自分だから。
推しのことはだれしも、全肯定するはずだ。
宇宙を敵に回しても、わたしは味方だ!って言えると思う。
けれど、本当は、
自分にそう言っているんだよ。
本当は、自分に一番そう言ってあげたいんだよ。
それが
推し活の奥の奥。
ほんとのところ。
だと、わたしは思っている。