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「それ、冷やし中華じゃないからね」 うつわは今日もわたしをだます

お正月、といえばおせち。いつしか自分でつくるようになったけれど、気づけばすっかりオリジナル。見れば好きなものばかり並んでいる。今年は昆布巻き・筑前煮・だし巻き卵・ローストビーフ・チキンロール、などなど。エビの姿煮はアレルギー対策のため無し。なますと田作りは我が家であまり人気がないから無し。おせちというよりクリスマス寄りのラインナップだけれど、それでも漆のお重に詰めるとお正月の色香が漂ってくるから不思議だ。恐るべし、重箱のチカラ。

「器には、脳をその気にさせる力がある」。
というのは私の持論。さらにいえば、雰囲気やムードも大きく影響する。料理を料理以上に見せたり想像させたりワクワクさせたり。どの器にどう盛り付け、どんな雰囲気の中いただくかで、印象はぐっと変わる。
もちろん、その反対も然り。強くそう力説したくなるのは、赤っ恥な経験があるのだ、私には。

それ、冷やし中華じゃないからね。

何年も前、ある病気の疑いで検査を繰り返していたときのこと。検査入院が必要になり、夏の盛りに病院で寝泊まりすることになった。
初の入院。何もかもが新鮮で、まるで外国にきたかのようなカルチャーショック。眠くないのに「ゆっくり休んで」と言われたり、廊下を歩くだけで心配されたり。つい昨日までいたはずの、ハードな日常世界とのギャップがものすごい。

病室は60代ぐらいのマダムたちとの相部屋。みなさん点滴をしたり頭に包帯を巻いたりしていて、何かの病気を抱えているのは一目瞭然。この方々と相部屋か。病気の自覚などない自分も、ここにいる限りはいち患者に扮して病院の世界観に合わせた「良い患者」として過ごそうと腹を括った。
事件は、そんな中で起こった。

12時。初のお食事タイム。
看護師さんが「お加減がよければ、ベッドでなくフリースペースで召し上がっても」というので、率先して病棟入口にあるフリースペースへ。覚悟を決めたとはいえ、ベッドで食事をいただくのは抵抗があるのだ。一番乗りで壁際の席を確保すると、”普通食”と札の付いた食事を受け取った。

カラフルな樹脂トレーに載っているのは、カレー皿のような器に盛られたたまご麺、細切りチャーシューや野菜など。エンジの汁椀にはつゆが注がれている。
「冷やし中華?!」
病院食は能面のような顔の味気ないものと思っていたけれど、冷やし中華が出るなんてなかなかイケてる。自分の中の病院食のイメージがいい感じに崩れていく。
席に戻るとお皿につゆを回しかけ、麺と具材を絡めてよく混ぜた。たっぷりのつゆには薬味かなんかも入っている。残したってもったいない、余すことなく全部かけていただくことにした。

「あ、美味しい」。
冷やし中華はあまり好きな方ではないけれど、これは美味しい。つーんとくる醤油だれの酸味がなくてやさしいのだ。強いていえば、冷たくない。なま温かい。
「そうか、病院だから体を冷やさない配慮をしてるんだ」。
病院ならではの気遣いや常識を想像しながら、汁に浸かったあったか冷やし中華をいただく。こういう食事をいただくのも、入院したからこそ。知らない世界を知った気がして、新たな扉を開いたような気持ちになる。

背後から、ちゅるちゅるっと麺をすする音がした。
他の患者さんたちも続々と食べ始めているようだ。ちゅるちゅる、ちゅるちゅる。ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃ。ちゅるちゅる…。ん?
その音やリズムになんとなく違和感を感じて、そっと振り返ってみた。
見えたのは、箸で持ち上げた麺を汁椀にディップしている患者さん。え?
恐る恐る、反対側も振り返ってみる。お皿には、汁に浸かっていない食べかけの麺。その方も箸で麺をすくい取り、そっと汁椀に運んでいる。で、ディップ。麺をすする。
ずっこけた。「つけ麺かい!!」

壁に向かって心の中でそう叫んだけれど、時すでに遅し。私のは、じゃぶじゃぶの汁に浸かったあったか冷やし中華。もうそっちの形には戻れない。赤っ恥な顔を壁に向け、謎の新メニュー・あったか冷やし中華を背で隠しながら食べたのはいうまでもない。

うつわとシチュエーションが生み出す大罪

他の方が迷うことなくつけ麺をつけ麺として食べたのは、壁に「今週のメニュー」が貼ってあったから。だと思う。しかも本来2択で、前日までに希望を伝えることになっているらしい。後から知ったことだけれど。
そこまで周到なステップを踏めば私だって麺をディップしたろうし、せめて「小ぶりの汁椀とカレー皿」という組み合わせでなきゃ、あったか冷やし中華なんていう食べ方を開発しない。確かに多少の矛盾や斬新性も感じはしたが、うつわが冷やし中華へと誘導したのは間違いない。そもそも病院でつけ麺なんて反則だ。うつわと環境にだまされた。

脳は、事前情報がない限り、置かれた環境の中でそれをそれと認識する。
雰囲気やシチュエーションは気持ちを準備させるし、うつわに盛られた姿はそれがどういうものかを脳に伝えてくる。その情報の組み合わせで、食べる前から頭の中の半分は「それ」をいただいた気になっているのだ。

うつわとシチュエーションの罪は重い。
私だって、病院特製の「つけ麺」を食べてみたかった。なまぬるいあったか冷やし中華なんかじゃなくて。この後何度か入院したが、2度とつけ麺は出てこなかった。

食卓と、しつらいと。

私は元来「食卓の佇まいはとても大事」と思っている。
だからうつわや盛り付けにはこだわりたいし、食卓まわりの雰囲気や会話の中身だって気になる。
しつらい次第で、レンチンものも半額お惣菜も、みんなそれらしく見えてくる。楽しげに会話が弾めば、なんでもおいしく感じてくる。脳に届く情報が、どこかでバグっていい方に書き換えられるのだ。私たちがいっぱいにしたいのは、何もお腹だけじゃない。食事で気分が上がれば、気持ちだって満たされるのだ。

私が食卓に関するしつらいや情報を発信するのは、それをたくさんの方に伝えたいから。知って欲しいのだ、「食卓」が頭と心に及ぼすということを。それで皆が食卓で幸せを噛み締められたら、これほど嬉しいことはない。
今年はもっと、伝えていこう。
引っ込み思案を気取っている場合じゃない。たくさんの人と、舌も脳も心も満たされる”美味しい食卓”に辿り着きたい。


今年のおせちは、自分で言うのもなんだけれど、なかなか美味しかった。
溜め塗りの漆が施された艶ややかなお重に収まると、いつもの料理が急によそゆきな顔の上品なものに見えてくる。ついでに、ダイニングテーブルには和テイストのテーブルランナーを敷き、取り皿には漆の菊皿を選んだ。もうそれだけで、お正月指数はぐっと上がる。多分きっと、ハンバーグやナポリタンが入っていたってそれなりのおせちに見えたんじゃないだろうか。(言い過ぎ?)
でもうつわって、そういう説得力を持っている。


さんざん話題に出した「あったか冷やし中華」と「今年のおせち」、写真載せられたらよかったけど、なかった。。あしからず。またの機会に。




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