時計はいつでも動いてる。
実はこの間、コロナに罹患した。
ちょっと頭が痛いかも。ちょっと節々が痛いかも。ちょっと悪寒がちょっとじゃないかも。なんて思っているうちにみるみる熱が上がり、コロナと判明。ブーム終焉と思われたのに今さら初罹患、すべての予定をキャンセルして家に閉じこもることになった。
当初は39℃に迫る発熱にウンウン唸っていたけれど、3日も過ぎれば熱は落ち着き、4日目の朝にはほぼ平常に。それでも5日間はウロウロしてはいけないことになっている。仕方ない。残り2日はオマケと思ってのんびり過ごすことにした。
ようやく解禁日。天気がいいので近くの神社へ散歩に出た。道端に顔を出したご近所さんの草花を観察するのがお決まりの、いつもの散歩コースだ。
久々の屋外。なんだかいつもより空がキラキラして見える気がしたが、途中、とんでもないことに気づいてしまった。
「世界が、5日、進んでいる!!!」
当たり前だ。5日経っているのだから。
でも、そういうことじゃない。「5日」という時間がどれだけ世界を前に進めるかに驚いたのだ。
5日前、植物たちはまだぎゅっとしていて冬の延長みたいな顔をしていたはず。それが、蕾の梅は花を咲かせ、スイセンは背を伸ばして黄色く色づき、地面にはオオイヌノフグリが咲き乱れている。まさに「春が来た」という感じ。5日の間にこんなに姿を変えるなんて。
正直、コロナになった時点で「だって、仕方ないでしょ」と進もうとする時計の針を押さえたつもりでいたけれど、時計が止まるわけがない。自分が止まっているからって、時計まで止まるわけじゃない。どんな時でも時計の針は動いていて、一秒一秒、過去になる。
「5日もあれば、僕らはここまで成長できる」。
そう言いながら植物たちは「5日」の重さを私に突きつけてくるようで、ずしんと心臓を押しつぶす。
ふと、ニュース番組で見たオリンピック選手の映像を思い出した。
凛々しい顔で抱負を述べる選手だが、子どもの頃を写したVTRには、他の子に混じって「オリンピック選手になりたいです!」と無邪気にはしゃぐ姿がある。あれから5年。無邪気な子どもは本当にオリンピック選手になった。
5年は、何者でもなかった子がオリンピック選手になるほどの時間。私も同じ時空の中で同じ5年を使ってきたと思うと、重みの違いに愕然とする。
何かしても5年、何もしなくても5年。
結局、同じ話なのだ、植物たちの5日間と。時間は一刻一刻、止まることなく過ぎていく。それがやがて5日になり、5ヶ月になり、5年になる。蔑ろにしていた5日間も、決して取るに足らない小さな時間じゃない。植物たちには姿を変えるほどの大きな時間で、積み重なれば、無邪気な子どもはオリンピック選手になる。
小さな時間の積み重なりは、いつか、なんらかの答えに結びつく。何かしても、しなくても。コロナ明け、春を迎えた植物たちに大事なことに気づかされた。
積み上げなくちゃね、意味ある一秒一秒を。時計はどんな時でも動いているんだから。