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92歳 初めての補聴器


 一人暮らし続行不能となった92歳の父を大阪から東京に引き取ることになった私。父が80代後半に私たち子どもには内緒で、謎の不動産投資を複数件おこなって家賃収入を得ていたことが判明。
 *事実と違うところもあります。記憶保持のために文章化しています。

六、92歳、初めての補聴器

父との東京での介護生活を始めるにあたって、障壁のひとつとして父の放置された難聴があった。通常の音量では到底だめ。声をしっかり張って話さないと全く通じない。当の父は
「大丈夫や、お父さん耳聴こえとるで」と平然としている。
そうはいっても絶対遠い。
前エピソードの時のように込み入った書類を書いてもらわなければならない時や、ちょっと複雑な話をする時、私は病院でも老人ホームでも大声で話しかける。しかも標準語よりも大阪弁のほうが父によく通じるのである。
 例えば、
「お父さん、こないだアマ〇〇でテーブル注文したみたいやけれど、こんなサイズの大きいもん、この老人ホームの部屋に入らへんがな。悪いけどキャンセルさせてもらうで!」
「そうか、そらすまなんだな(残念そうに)。せやけど、部屋にテーブル無かったら困るやんか」
「せやから、無理やねんて。ほらパソコンデスクがおいてあるやんか。これ以上増やしたら歩くとこ無くなってまた転ぶで!この部屋に置くもんは、私に相談してからこうて!」

というようなやり取りを幾度となく職員さんの前で繰り返した。

職員さんには
「本当に大阪弁なんですね。漫才みたいでおもしろーい。」
と、大ウケ。
それこそ私も関西人なので大ウケすること自体は大歓迎なのだが、いちいち声を張り上げるので、父と会話すると喉が痛い。もともと父は若い頃から、人の話を聞かず、話が通じにくいタイプだったせいか、超高齢者となった今は尚更、理解してもらうのに何度も何度も同じことを説明せねばならない。

そこで、補聴器専門店に予約を入れ、父を説得し、連れて行く。補聴器専門店はお年寄り慣れしているせいか、父の足元に気をつけて下さったり、とても親切。
キチンとした丁寧な聴力検査の結果、補聴器使用が適切と、告げられた。
 何度も補聴器をつけてテストを受ける父の表情は真剣そのもの。
検査士さんの質問に、
「よう聴こえます」とキチンと答える。

父は不動産がどうとか株式取引とかそういうものが大好きなじいさんだが、脂ぎったゴウツクジシイといった風体ではなく、特にヒト様の前では極めて物静かで小柄ないわゆる可愛いじいちゃんなのだ。

結構な高額だけれど、性能バッチリの補聴器を購入した父。

これでもう大声出さんでもええな。
補聴器、使ったら父との会話もスムースになるかもしれん。

とその時は、ホクホクで老人ホームに父を連れ帰ったのだが‥。

しかし娘の目論見は見事にはずれた。
老人ホームの生活の中で
父は、
「自称 聴こえとる モード」に
戻ってしまい、自分からは全く補聴器をつけようとしない。

補聴器は生活の中で使い込んで不都合があったらお店で調整を繰り返して使いこなすものだと説明を受けていたのだが、
父の「聴こえとるモード」が邪魔して、補聴器専門店に連れて行けない。

ある時、父に電話してもらわねばならない要件ができたので、私が補聴器をつけて横で見守りながら通話開始。相手の話しかけに対して「何も聴こえん!」と父が焦り出した。慌てて私が補聴器を外したら、電話での会話が可能となった。

不思議に思い、私は、補聴器をうちに持って帰った。充電器にセットすると自動的に充電が開始される仕組みになっているそれは、老人ホームの父の部屋に置いてあった間、キチンと充電器にセットされておらず、完全に充電が切れていた。
うまく充電器にカチンとセットするのも一人じゃ難しいんやな。そら聴こえへんわ。

充電完了のサインを見ているうちに、
このところ、若いヒトの早口なおしゃべりなどが聴き取れなくなっている私は、ちょっと試してみたくなった。補聴器をよくよくアルコールで拭いて慎重に自分の耳に装着した。

これは⁈
すんごい聴こえる!
でもテレビの音は響きすぎだし、自分の声は反響するし、まるで異世界。

そうか。この違和感が嫌やったんかな。お父さんは、92歳まで自分の聴こえる範囲の世界で生きてきたんやもんな。
そりゃ適応でけへんわな。
と、自分の遅すぎた対応を自覚した。

そう、マッチのCMじゃないけれど、
六十の声をきいたら、耳鼻科を受診し、補聴器は早めに検討したほうが良さそうである。



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