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母の指輪 

一人暮らし続行不能となった92歳の父を大阪から東京に引き取ることになった私。私たち子どもには内緒で、父は、80代後半になってから、不動産を複数購入していた。法人まで設立し、なぜか不動産の一部のみ法人所有としていた。

 *事実と違うところもあります。

父が、一人暮らし続行不能となる数年前のこと。
私と弟には知らせずに、実家をリフォームして、賃貸物件にしてしまっていた。

当然、実家はきれいにリフォームされたはず。その時、リフォームを手伝ってくれたのは、父が懇意にしていた不動産屋さんのAさん↓

 後日、Aさんにきかされた話では、
永らく空き家だった実家は中も外も荒れ放題で、雨戸と戸袋にコウモリが巣を作っていたような有様だったという。
 長年放置された禍々しいほどの空き家を我々子供の代わりに、片付けてくれたAさんには、ある意味、感謝しなければならないのだが、
ひとつだけ困ったことがある。
実家に残っていたはずの
母や私達家族の思い出の品の
行方が全くわからないのだ。

父にきいても、

Aさんにきいたらわかる
あの人が全部
片付けてくれはったからな

という決まり文句が帰ってくる。
父が最後まで住んでいた大阪の家を探しても、
私達家族の写真や母の形見などは何一つ出てこない。
父も高齢ゆえ、
そういった品にもう興味を失ってしまったのか、他人事のように無関心である。

ところが、
そのごく一部だが、
思いもよらぬ場所から発見された。

それは父が不動産投資のために設立した法人の貸金庫だった。

名義変更に伴って、貸金庫を解約しようと、中身を確認したら、

見覚えのある、真珠と金の指輪と
和紙で包まれた私と弟の臍の緒
そして母の筆跡で書き留めた、
病院の支払いのメモらしきもの
旧札の現金
などなどが、
ひっそりと納められていた。

72歳で乳がんで亡くなった母が
最後まで大事に
手元に置いていた品々だろう。

指輪を手に取ってそっと自分の指にはめてみた。
もうとっくに亡くなってしまった母が私に力をくれたように思えた。

私はその頃、父から丸投げされた複数の賃貸物件や謎の法人の整理をメンタル的にも体力的にもギリギリでやっている最中で、かなりまいっていた。
母は子供達には、相当干渉的で何かというと愚痴ばかり言う、大阪弁でいうところの「文句タレ」だったけれど、
楽観的なところもあった。

母の真珠の指輪は何十年経っても色褪せず、白く美しい光沢を放っていた。その輝きが元気だった母のおしゃべりでよく笑う姿と重なった。


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