多面的な自分をスキになったら生きやすくなった話
SNS上の辻田のキャラクター、だいぶやりにいってるよね??
これは以前、仲の良い友人から言われた一言です。
なお、友人は悪気など一切ないと思いますし、わたしも嫌な気持ちには全くなっていません。
この一言がきっかけで生きやすくなったので、むしろ感謝しています。
(なんならnoteのネタにもさせてもらっているので大感謝だよ)
友人から言われて初めて気づいたのですが、友人が見ている"自分"とSNS上の"自分"にはギャップがあって、一方が"真"だとするともう一方は"偽"に見えるようです。なるほど。
ちなみに自分の感覚は、友人に見せている自分も、SNS上の自分も、どちらも嘘はありません(SNSは嘘でやれなくもないかもだけど、たぶん自分はそれだと続かないです)
どちらか一方が真ではなく、どちらも自分を構成する要素のひとつだと思っています。
家族といるときの自分、仕事中の自分、友達とお酒を飲んでいるときの自分、大人数の交流会に放り込まれた自分…それぞれキャラクターや立ち振舞いは違うけど、全部ホンモノで、場面や環境に合わせて使い分けています。
いろいろな顔があるというと、裏表のある人という印象を抱かれがちですが、それはちょっと悲しいです。
「裏表がある」イコール「二面性」だと思うのですが、二面というより多面なので、裏とか表ではなく、あなたから見えている部分と、見えていない(複数の)部分なのです。
ただ、自分自身の多面的な部分について、以前まではなんとなくモヤモヤしていました(あ、でもそこまで重く悩んでいたわけではないのでサラサラ読んでもらって大丈夫です)
自分には軸がないんだな…と思ってしまったり。
コミュニティによってキャラクターが違うことでガッカリされてしまうことも少なからずあったり(爽やかだと思ってたけど意外と毒吐くんですね、と少し切なそうな顔で言われました笑)
でも、冒頭の友人の一言をきっかけに、自分の多面的な部分と向き合ってみたら、どうやら自分はその使い分けを楽しんでいる節があるぞ、ということに気が付き、そこから生きるのがラクになりました(繰り返しになりますが、そこまで重く悩んではいません笑)
この話題についてnoteで書こうと思ったのは、同じように自分に対してモヤモヤしている人がいたら、たぶんそれ大丈夫だよと伝えたかったからです。
あと、これは余計なお世話かもしれないけど、自分から見えている他者の顔が全てではないから、違う一面を見たときにガッカリしたり落ち込んだりしなくてもいいのでは?とも思ったりしています(爽やかに見せて毒吐いてすみませんでした笑)
あまりにも内省的すぎる内容なので公開するかだいぶ迷ったけど、いつか書いてみたいと思っていたテーマなので、勇気を持って公開します、
最後まで読んでいただきありがとうございました!
スキを押してもらえると「こんな内省的なnoteを公開して大丈夫だったかしら…」と不安になっているつじたが安心しますので、よろしくお願いします!