【劇感想】ねぇ三週間ハネムーンのふりをして旅に出よう
“大人になった自覚”はどのタイミングで抱くのだろう。
それには社会人なった、税金を収めた、二十歳になった、
教わるから教える立場になったなど、諸説あり、一様には言えない。
僕自身、未だ“大人になった”と思えていない。
いつまでも下っ端だ、まだまだ半人前だと感じている。
10月で一つ歳を重ね、
「俺、三十が近いんだからさ」という言葉が嘘じゃない年齢となった。
同年代は新たな門出を迎え始めている。
三年〜五年前、ちょっと先のことや安定なんてことを
考えていなかった知人たち(決めつけ甚だしいが)も、
一生を共に歩む相手を見つけてる。
彼らをどこか遠い存在に感じつつ、自分はどうなんだろうか。
あの頃と変わらず、よく分かっていない。
11月5日。劇団GAIA_crew番外公演『アンリアル・マイ・ハニー』(@東高円寺・笑や)を観劇。ファンタジーであり、もしかすると魔術的リアリズム的な要素があるのかもしれない戯曲だった。
劇評として、例えば、長年の付き合いである占い師の演技からでる気迫にはじめて圧倒されたとか。“演技が板につく”はこういうことか!と体感したとか。「最後まで責任取れるの?」という言葉は愛玩動物に対してのそれじゃないかとか。いい歳した男なのに、そういうのは現実味がないんじゃない?とか。そういうことは言える。だけど、観ているときに感じていた、抱いていた感情はそうではなかった。
脳内の妄想作った恋人。その妄想は会話ができるほど重度で、人格を持った存在でいつも自分と共にある。それがとあるきっかけに、実態を持った現実となり、創造主はそれとどう向き合うのか……というのが大筋の今作。信じられないほど平べったく言えば色恋沙汰。話が進むに連れて、僕の脳内は「想い人が居ることが幸せなのではなく、想いを告げる相手がいることが幸せなんだ」というイメージが占めていた。
言うことは簡単に出来る。言いっぱなしなら、相手が受け止めなくてもいい。でも、受け止めて欲しいとき、それはだれでも良いわけじゃない。だから、劇中登場の「だいすき」「あいしている」という言葉は多くとも、そのひとつひとつの持っている意味合いは違っていて、受け止めて欲しいからとなると、途端に重みを増す。一番に届けたい、渡したい気持ち。それを相手へ贈ることができる事自体が幸せなんだ、と思った。
様々な結末を迎えた劇中人物は間違いなく幸せであったと思うし、涙は悲しいから流れたものではない。
“大人になった”と自覚するのは、何かをしたからではなく、経験を踏んだ振り返りの結果にしか過ぎないだろう。その経験は自己完結ではなく、誰かとの思い出が多くあるべきだ。自分がこうあるべきだ、という思いだけで積んだ経験は、得てして振り返っても面白くなく、相手のためになりたいや誰かとのつながりの変化が含まれているものは、噛み締めがいがある。
“大人になる”は、難しいな。なんで、痛みが無いまま出来ないんだろう。
−−三回泣いた、三回。あと、俺はあざとい女の子が好きなんだなって再認識したが、それはそういう匂いが滲んでる女性なんだ、結果ただの女好きなんだなって思ったよ!それと、途中から岡村靖幸『だいすき』のサビが脳内リピートしてて、ぐわーってなったよ。