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性格とは「今ココの選択」である

「わたし、そういうキャラじゃないんで。」

ふたりでバカなことを考えていた。とりとめもなかったが、割といい感じのアイデアが浮かび、盛り上がっていた。そこで「一緒にやろう!」と切り出し、返ってきたのが冒頭のセリフである。

青空だったのに、雷鳴が響いたような気がした。

『いや。。。文脈おかしくない?ノリノリやったやん。』

キャラじゃない、と言われた。
そういう性格ではない、と。

あの時、どのような性格なら、ノッてくれたのだろうと考えていた。

考えてわかったのであるが、性格は関係ない。例えば「優しい」性格の人が24時間「優しい」かといえば、それはありえない。寝てる時間を除くとして、それでも“24時間”「優しい」としたら、それはロボットとどう違うと言うのだろう。その人が「優しい」のは、何らかのエピソードとともにある。エピソードは、具体だ。連続して流れ行く時の、記憶されるべき断片として「優しさ」が住まう。性格とは掬い上げた水のことであって、決して水源にはならない。水源になりうるのはロボットのそれである。「優しい」から「何かをする」のではなく、「何かをした」から「優しい」のだ。それゆえに性格とは過去の挿話に過ぎない。朗報だ。過去の如何に関わらず、自由意志を懐く人間は、性格を常に選べるのだから。

そう、あの時、彼女は言い訳をした。
定義という鎧を被り何かをブロックした。

無理矢理にでも閉ざした殻を壊すべきだったのか。
その幇助をすべきだったのか。
直前の盛り上がりはSOSだったのだろうか。

今でも考えている。

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小さなテーブルに花束を/神長広樹
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