「休符は休みではなく、休みがあるという事」音価(音楽の価値)の話と空手の引手の話。
今回は、私が大学生の頃、約30年ほど前のお話です。
毎週月曜日が、ヤマハ音楽教室でのレッスン日、
火〜日曜日にかけ課題曲を一生懸命に取り組み・・・、
さあ、レッスンです!
課題曲の演奏は順調に進み、無事弾き終わりました。
自分では、なかなか良い演奏だったと思いました。
しかし、先生からあるポイントを指摘されました。
実は、その指摘が、
現在まで繋がるものとなります。
その指摘は、「休符」でした。
「ひろき君は、演奏の中で、休符の部分を休んでいたでしょう」
「休符は、休みじゃないよ・・・」
「休符が、あるんだよ。」
初めて指摘いただいた事にハッとしました。
その通り、
私は休符を「休み」だと思っていたのです。
休符には、全休符・四部休符など決まった長さがあります。
私は、ただ休みだと思い、それを無視していたのです。
「音を鳴らす音符と同じ様に休符も大事なんだよ。」
「これは、音楽の価値と書いて、『音価』って言うんだよ」
この指摘を受け、
過去に同じ様な経験した事を思い出しました。
実は、空手でも同じ指摘があったのです。
それは突きの練習をしている時、
「前に出す突き手だけではなく、引手も同じ様に重要、
引手もただ引くのではなく前に出しなさい・・・。」
その時は、意味がわからなかったのですが、
引手が「ある」という事と重心の事を言っていたのです。
音楽と空手の異なるものですが、大切な事は同じでした。
私が意識していない部分、不要だと思うところも全て重要だったのです。
これらの経験は、経営をする立場になっても大切にしております。
例えば、
「フルーツが年中ない」という事実に対し、
「フルーツが年中ないが、ある」という考えに変えたところ
トロピカル王国物語が生まれてきました。
沖縄北部地域に宿泊施設が足りないという事実に対し、
「ホテルが足りないが、ある」という考えに変えたところ、
コンドミニアムホテルナゴリゾートリエッタ中山というホテルが誕生しました。
そして、現在は街づくり計画につながっております。
不要なものはない、全て大切な事につながっている事。
先生に感謝しながら、
これからも教えていただいた事を大切にしながら、創り込みを続けていきます。
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