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ラストメッセージ ーがん闘病の友人に捧ぐ

中学の同級生が亡くなった。
まだ32歳。覚悟はしていたつもりだったが、あまりにも早すぎた。

知らせを聞いた時、言葉がなかった。「まだしばらくは大丈夫なはずだ」っていう、なんの根拠もない無責任な思い込みをしていたことを痛感させられた。結局、僕は彼の病状の深刻さをちゃんと理解できていなかったのだと思う。その無理解を僕はいま、恥じている。

彼が亡くなる前の晩、Facebookを繋いで彼と話すことができた。

何年振りかに見た彼は流石にやつれていて、闘病の凄まじさがみて取れた。でも口調はしっかりしていて、翌日に亡くなるなどとは思いもしなかった。

彼と話した時、周りには中学時代のハンドボール部の仲間たちが集まっていた。久しぶりに見る、懐かしい顔が並んでいた。抵抗力が無くなってしまった彼の感染症予防のため、全員マスク姿だったけれども。

わずかな時間だったけど、彼を囲んで中学時代の部活の話とか、先生の話をした。絆というほどではないかもしれないけれど、同じ学校で3年間を過ごした同窓生にしか共有できない、特別な繋がりがやはりそこにはあったと思う。

そしてそこに繋いでくれた僕の友人の余命が幾ばくもないことを、そこにいる全員が知っていた。管に繋がれた彼の姿や仲間たちのマスク姿が、その事実を物語っていた。

彼がくれた「ラストメッセージ」

「本当に、ありがとうね」

最後になるかもしれないと思って、僕は彼に伝えたかったことを伝えた。

闘病記から勇気を貰っていたこと。
受取ったメッセージを大切にしていきたいと思っていること。
自分はまだまだ頑張れるから、幸せを噛締めて生きていこうと思うことー

彼はウンウンと聞いてくれた。
でも僕はそこで、

「頑張って」

という、無神経な言葉を投げかけてしまったのだった。彼にはもう頑張る手段さえ何も残されていなかったのに…

どんなに悔しかったろう。頑張りたくても頑張ることができないことはー

その彼に向かって「頑張って」という言葉は、なんと無神経で残酷な言葉だったろう…

でもー
彼は僕のその無神経な言葉をグッと飲み込み、言ってくれたのだ。

「俺のかわりに、幸せになってくれ」とー

ごめん、ごめんよたけむー。

頑張りたくても、頑張れなかったんだよね。本当にごめん。もうこの言葉すら、君に届けることは叶わないけれどー。

今思えば、あの時の彼は自分の死を完全に飲み込んでいた。自分はもう助からないことを悟った上で、「幸せになってくれ」って言葉をかけてくれていた。その言葉を発した彼の気持ちを思うとやはり言葉がないし、涙が頬を伝う。そして彼は続けた。

「うっちー、仕事も大変だと思うけどさ、それだけやってても仕方ない。やっぱり家族が大切だよ。家族を大事にね」

仕事に追い込まれがちな僕を気遣っての言葉だったろう。自分はもうすぐ死ぬと悟りながら、なんでそんなに優しくなれるのだろう。自分だったら、絶対に無理だー

「幸せになってくれな。うっちー」

その言葉が、僕にとっての彼の最後の言葉、ラストメッセージになった。死の直前に彼と話し、その言葉を聞くことが出来たのは、きっと偶然ではなかったと思う。しかしこの記憶もいずれ薄れてしまう。人間、そういう風にできている。忘れない、どれだけ強く誓ったとしても。

でも彼から受け取ったメッセージは絶対に忘れてはならない。
だから、ここに書き記しておこうと、そう思ったのだ。

追悼

たけむー。ありがとう。
君の言葉、ずっと忘れません。

闘病記から見えた君の強さ。
そしてその優しさも。

最後に受け取ったメッセージも。

人生、必ず終わりが来る。いつか僕も君の後を追う。その時、たけむーに胸を張って報告したい。

「幸せな人生を送れたし、精一杯頑張った。納得のいく人生だった」と。

僕に、人生の中で本当に大切なものは何か、考えるきっかけを与えてくれたことを感謝したい。そして酒でも飲みながらどんな人生だったか、話せたらいいな。

長きにわたる闘病、お疲れ様でした。苦しかったよね。

ゆっくり、ゆっくり休んでください。

謹んでご冥福をお祈り致します。また会う日まで。

(以下に彼の闘病記のリンクをつけておきます。病と必死に戦い、どれだけ苦しくても生きるために戦い抜いた彼の強さ、そして優しさがにじみ出ています。もしよければ読んでみてください)。



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