道具と貨幣/落語「大工調べ」より
1 はじめに
今回は落語「大工調べ」を素材に,道具と貨幣の観点をからめて「占有原理」について考えてみたいと思います。
この記事は,下記PDFで述べた「占有原理」についてイメージ的に例解するものです(念のため:この記事は「大工調べ」を対象として現行法を解説するというような種類のものではありません)。
一般に知られている落語「大工調べ」について,拙文ですが下記テクストを作ったので,これをもとに考えていきます。
2 テクスト
3 落語「大工調べ」への一視角
(1)費用果実連関,信用供与
Pは基盤資源を有するがこれに投入すべき費用がないとき,Qから費用を融通してもらい,これを基盤資源に投入して果実を得る。Pはこの果実から生活費を捻出し,Qに対し費用分に利子をつけて返す(一期間で完結しない場合,これがサイクルで繰り返される)。
Aは畑を有するが蒔くべき種がない。買うお金もない。その時は,余剰の種を有するBから種を融通してもらい,Aはこれを自分の畑に蒔く。畑の手入れという労力投入も当然必要であるが,やがて果実が生じる。Aはこれを市場で売って貨幣を得て,融通してもらった種相当額分に利息を付してBに返す。
この連関により,Aは生活の維持・向上ができ,Bは信用供与したことにより余剰の種を無駄にせずむしろ利息という利益をえ,社会はAによる果実の供給を受けられるのであり,したがって,社会は豊かになる。
こうした費用果実連関や信用供与は社会に必要不可欠であるが,同時に,あらゆる不透明な互酬関係が生じる危険性の始原でもある。
(2)与太郎の基盤資源
さて,大工 与太郎の基盤資源は何でしょうか。
与太郎は土地などは持っていませんので,当然,大工としての技能と大工道具がその基盤資源となります。そうすると,与太郎にとって大工道具は死活の物品であり,両者は強い緊密関係にあることになりますので,これを「占有」の対象として保障し,この関係性に直接手を突っ込むことは「暴力」として違法認定されてしかるべきです。
よって,大家の源六が質屋の株を持っているかどうかを問わず,滞納家賃のカタに与太郎の道具箱を持って行ったことは,占有原理から直ちに違法ということになります。
例えば場面は違いますが,現在の民事の強制執行において,大工職人の大工道具は差押禁止財産です(民事執行法131条6号)。
(3)源六の意図
さて,源六は与太郎の4ヵ月の家賃滞納に業を煮やし,その大工道具箱を質に取っていったわけですが,その行動の意図の方も確認しておきます。
与太郎は大工であり,家賃を支払うお金は大工の仕事で稼ぐほかありません。そのために必要な大工道具を持って行ってしまっては与太郎は支払う原資を稼げません。では,どうして源六はそんなことをしたのか。もちろん,与太郎を窮地に追い込むためです。源六の意図は,「道具のない与太郎は大工仕事ができないが,金を借りることはできる。よって,他からお金を借りて私に支払え」というものであったと考えられます。
この構造はよく見ますと大変興味深いものです。つまり源六は,与太郎がその大工道具を使って稼いで滞納家賃を支払うということを信じていません。しかしながら同時に源六は,与太郎が誰かから信用供与を受けてお金を借りることを当て込んでいる。これを短縮して表現すれば,「私はお前を信じない。そういうお前を信じる者からお金を借りて,私に支払え」ということになります。
(4)道具と貨幣
与太郎の道具箱を持って行った源六の問題性は,このお話の上でも表面化されており,着目点というほどではないかと思われます。
このお話で着目したいのは,むしろ,与太郎と政五郎の関係性なり関係構築の在り方です。そこでの問いは,「なぜ政五郎は,与太郎に道具を貸さないのか」です。
政五郎は若いながらも棟梁であり,屋敷改修の大きな仕事をとってきて与太郎に仕事を分け与えることができる立場にあります。また,滞納家賃の件を聞いて,すぐに1両2分を与太郎に貸すことができる程度の財力もある。棟梁ですから,与太郎のような配下的な大工はたくさんいるはずで,当然,政五郎が与太郎のために大工道具を用意しようと思えばできるわけです。
しかし,政五郎は,与太郎に道具を用意するのではなくお金を貸します。それはなぜか。
政五郎のメンタリティーは,大工たる与太郎の基盤資源たる大工道具は与太郎に排他的に専属しているべきであって,それゆえに,「道具を貸す」という方策は念頭にすら浮かばない,というものであったと考えます(そうであるから,与太郎の道具箱を源六から取り返すことにこだわり必死になる)。
「冷たいじゃないか。あるなら道具を貸してあげなよ」と思うかもしれませんが,むしろ逆です。道具を貸せば,それは道具に手がかかっている状態となります。与太郎が使う大工道具に,貸した人の見えない手がかかっているわけです。これでは,与太郎の大工としての自由独立はいつ危険に瀕するか分かりません。
基盤資源となるべき道具を貸せば,それは与太郎の独立性を奪うことになる。だから,貸すのは貨幣なのです(なお,もちろん「貨幣を貸す」といっても,その金銭消費貸借が与太郎の自由を奪っていく無限の危険性を秘めていることは論を待ちません。しかし,その危険性の性質は,大工道具という基盤資源に手をかけたままこれを与太郎に供する関係性と,貨幣という媒介物を供するという関係性とでは,まったく異なるものとなるはずです)。
4 おわりに
以上を踏まえると,鮮明な対比が見えてきます。
基盤資源として占有原理により保障されるべき与太郎の大工道具,これに直接手を突っ込んでいく源六と,道具を貸すという形であってもこれに手をかけることを考えない政五郎,という対比です。換言すれば,現在目の前にある物しか信じられない源六と,大工仕事をしてくれる与太郎という未来の抽象的事柄を信じられる政五郎の対比,ということもできるでしょう。
【参考文献】
・木庭顕『笑うケースメソッド 現代日本民法の基礎を問う』(勁草書房,2015)
・麻生芳伸編『落語百選 春』(ちくま文庫,1999)
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