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「事実」を書くとは?表現の無限性は視点の無限性
ランゲージアーツ(言語技術)の世界を,今日も自由に探訪します。
事実を書く。
その場合,事実は誰が書いても同じである,ということが指摘されることがあります。
例えば,「今日も太陽が東から昇る」という文は,確かに事実を書いているでしょうし,その表現も適切なものです。誰が書いても,こうなるような気がしてきます。
しかしよく考えますとこれは天動説を前提とした表現で,いささか地球中心のすこし傲慢な言い方であって,太陽からすれば自分の周りを青い星が周遊しながら,くるくる自転しているのですから,「今日も太陽の周りで地球が自分で回っている」と言いたくなります。こう表現しても,事実の記載として正しいように思います。
こうした言葉の側面を,佐藤信夫『レトリックの記号論』50頁(講談社,1993)が,「創造性としてのレトリック感覚」として分かりやすく説明しています。
「コインの形は?」と聞かれたら,私なら「丸いよ」と答えると思います。
「コインは円形です」という表現で事実を言い表してもいいけれど,別の視点からすれば確かに「コインは長方形」なのであって,うっかりコインは円形だと思い込んでいると,自動販売機のコイン投入口を丸く設計しかねない,とこの著者は大いに含蓄の深い言葉で笑わせてくれます。
事実を書く,事実をそのまま表現する,というのは一見単純なことのように見えて,極めて奥深い世界があるようです。
【参考文献)
佐藤信夫『レトリックの記号論』(講談社,1993)
【ランゲージアーツ(言語技術)関連】