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日本史創世秘話~現実「リアル」の日本神話~
~はじめに~ 世界文明の発祥地「日本」
さて、皆さんは、世界の文明の発祥地がどこであるか分かりますか。
紀元前5300年のメソポタミア文明、紀元前3000年のエジプト文明、紀元前2500年のインダス文明、紀元前3000年の黄河文明と、教科書で覚えたことでしょう。
さることながら、日本の文明については、分かっている限りでも、青森県外ヶ浜町大平山元遺跡においては、16500年前の縄文土器が見つかっています。
また、福井県鳥浜貝塚では、12600年前の漆器が見つかっており、鹿児島県上野原遺跡からは、12000年前の稲のプラントオパールが検出されています。
この通り、日本は世界文明の発祥地と言えます。
第一章 国の興り
神道の祝詞、大祓詞にある通り、大倭日高見国が最初に興りました。年代は分かっていません。場所の推定は、岩手県の北上川流域で、北上市臥牛の水乞山を神山としました。大倭日高見国では全ての国民にお米を支給する国民配当が行われていた為、人寿も長く、国は安泰していました。
次に興った国は、石川県金沢市の耶靡堆国(やまたいこく)です。邪馬台国は中国からの蔑称であることを覚えておいてください。耶靡堆日子(やまとひこ)とも阿毎氏(あめ)とも言われる初代王は、耶靡堆国明日香(やまたいこくあすか)の箸香(はしはか)の山を三輪山(みわやま)と名付けました。
第二章 日本神話
耶靡堆国が飛騨高山に営まれていた折り、大倭日高見国の多賀の皇子伊弉諾命(いざなぎのみこと)が飛騨に赴き、皇女伊弉冉命(いざなみのみこと)と結婚なさいました。
二人の間に、長女、大日靈貴命、長男、月読命、次男素戔嗚命が産まれました。
紀元前250年頃、大地震と疫病が飛騨の首都を襲いました。
伊弉諾命、伊弉冉命、高木神は、高天原で諸王を集めて遷都の協議をしたところ、現在の奈良県桜井市に首都を移すことになりました。
飛騨高山より、8万4000人が伊勢白山道を下り、大和の地を目指しました。
そして、大和に着いた際に、受け入れてくれたのが、桜井市笠の秦家の人々でした。
まだ、当時の大和盆地は湖のような状態で、広海(ひろみ)と申しました。その大和盆地の水を海に出す灌漑工事をなされていたのが、三嶋湟咋(みしまみぞくい)です。
この頃、大和盆地は三嶋湟咋の所領でした。
笠の鷲峰山に皇居を構え、素戔嗚命がまだ幼少であったため、長女の大日靈貴命が天照大神の位を継承し、高木神の御子の八意思兼命が夫となり政治しました。
長男の月読命は、出羽の国を治めるため赴任されました。
次男の素戔嗚命も成人して、侍女の替矢姫と生活していましたが、やがて懐妊して、素戔嗚命が、次の皇統位をこの子に授けたいと替矢姫に言ったのです。
素戔嗚命に子が出来た噂を聞いた姉の大日靈貴は、皇統位を奪われると思い、素戔嗚命夫妻を皇居から追い出しました。
そうして、二人が住んだのが、皇居から離れた東の淋しい所でした。
冬の寒い時期に替矢姫が機織りをしていると、気性の優しい素戔嗚命は、すでに死んだ馬の皮を剥いで、機織りの椅子にかけてあげました。
大日靈貴命からの迫害が厳しくなり、 会議の結果、素戔嗚命を国外追放にするという知らせを替矢姫は聞いて、替矢姫は自分のせいだと思い苦しまれ、箸でほとを突いてお亡くなりになられたのです。
亡くなられた替矢姫の亡がらが細川で洗われ、帰らずの墓に葬られました。
替矢姫を失った悲しみを胸に、素戔嗚命は、ダンノダイラの出雲族の人々を引き連れて、桜井市の三輪山の東南の出雲の港を出発しました。当時初瀬川の幅は数百メートルあり、湖のようであったといいます。
そして、現在の京都府の亀岡(旧亀山)まで行き、その後、和歌山県有田の千田から出港して新羅へと向かったようです。
新羅で農耕するにはこの土地は向いていないとして、日本に帰る際に、秦の遺臣たちが、わたしたちもどうかあなたの国に連れて行ってくださいと言って、素戔嗚命に御伴したようで、その秦の遺臣たちを、歴史では八咫烏と呼んでいます。
素戔嗚命一行は、島根県出雲に到着しました。
素戔嗚命は奥出雲の主足名稚命(あしなづちのみこと)の娘櫛名田姫命と結婚しました。
また、大山祇命の娘、神大市姫とも結婚し、大歳を儲けています。
素戔嗚命の娘の須勢理姫命と、大国主命が結婚しました。
やがて、笠の八意思兼命が崩御して、困った天照大神大日靈貴命は、素戔嗚命を笠に呼び戻すことにしました。
大日靈貴命と八意思兼命との間には、5人の子どもがいました。天忍穂耳命、天菩日命、天津日子根命、天活津日子根命、熊野久須毘命です。
古代は末子相続の習わしであったので、熊野久須毘命が、皇統位を継ぐ予定でした。
天菩日命は、素戔嗚命が笠に帰ってきてから、出雲の視察に行っていましたが、すぐに戻ってきました。
次に、笠から天若日子命を送りましたが、8年経っても戻ってきませんでした。
それで、笠から視察の雉鳴女が出雲に派遣されます。
天若日子命は、大国主命の娘、下照姫命と結婚していたのです。
雉鳴女は、天若日子命の家の戸を叩き、泣きながら笠に戻ることを懇願しますが、天若日子命の召使いの女性が、あの声は不吉ですから殺してしまいましょうと言って、天若日子命は雉鳴女を射殺してしまったのです。
これを聞いた高木神は、天若日子命の射殺を部下に命じ天若日子命は命を落としました。
熊野久須毘命も、出雲に居て、大国主命の娘と結婚していましたが、さすがに双国に暗雲立ち上ることを察して、離婚して笠に帰ったのでした。
大国主命は、熊野久須毘命を追って、ダンノダイラで談判しましたが、その際に、熊野久須毘命は脚を滑らせて、谷に落ちて亡くなられたのです。
このことで、笠と出雲は戦争の火蓋を切ったのでした。
熊野久須毘命を失った天照大神大日靈貴と叔父の高木神は、深い悲しみの中にいました。
皇統位を長男の天忍穂耳命に授けようとしましたが、天忍穂耳命は熊野久須毘命の事件を忌み、皇統位を受けようとしませんでした。
そして白羽の矢が立ったのが、天忍穂耳命の長男の饒速日命です。
饒速日命は、祖母の天照大神大日靈貴より、皇統位継承の彌徴である十種神宝を授かり、32人の御伴を従えて、出雲に行き、大国主命の娘天道日女命と結婚します。
その後、秋田の鳥海山(鳥見山)に行くや、九州の大山祇命と話を付けて、日本全国を統一して周りました。
それで、戻ってきた地が、東大阪の日下(くさか)で東北の日ノ本の名を近畿におろしたわけです。
生駒を順路して、笠に帰る途中、三嶋湟咋の王子登美明国(長臑彦命)に出会い、妹の活玉依姫と結婚し、宇摩志麻治命と櫛玉姫命を儲けました。
饒速日命は耶靡堆国を耶馬臺国と改め、桜井市の神山を三輪山と称して、お住まいになられました。
饒速日命が九州を統一した後、邇邇芸命は九州へ天孫降臨して、大山祇命の娘鹿葦津姫と結婚して九州を治め、九州が耶馬壱国となりました。
桜井市の耶馬臺国の下(もと)に筑紫九州を耶馬壱国、南海道三重和歌山を耶馬弐国、出雲を耶馬三国、東国関東以上を耶馬四国と称しました。
高木神は出雲を完全に笠の傘下にしようと、建御雷神と経津主神を出雲に派遣し、この最後の決着が、出雲国の伊奈佐之小濱(イナサノオバマ=稲佐の浜)で行われて、出雲国側が負けたことにより、建御名方命は信濃長野へ逃れて、そして開かれたのが諏訪大社の地域です。
勝った笠の健御雷神は坂東の守りをして鹿島大明神となりました。経津主神は、香取大明神として香取神宮に祀られています。
降伏を促される際に大国主命は、息子たちに聞いてくれと言い、建御名方命は、兄に聞いてくれと言い、長兄の八重事代主命は、美保関(みほのせき)より旅立ち、大和入りしました。
八重事代主と、阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ・加毛大御神・賀茂建角身神)は、奈良県の葛城山で、笠と対峙していました。
八重事代主命は、理不尽なこの争いを早く終わらせたいと考え、 船で笠を目指しました。白川を上り、辿り着いた所に美しい女性と巡り会ったのです。
女性は櫛玉姫と言いました。
何と、櫛玉姫は饒速日命の娘だったのです。
八重事代主は、饒速日命に事情を申し上げ、笠と出雲の戦争を終わらせるために、櫛玉姫を妻に娶り結婚して、ここにめでたく、笠と出雲は和睦したのでした。
時は経ち、九州地方が干害や飢饉に見舞われた折りに、邇邇芸命の孫である五瀬命(いつせのみこと)、稲氷命(いないのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)、佐怒彦命(さぬひこのみこと)が、大軍で大和を目指したのでした。
最初、難波の港より大和に侵入しようとしました。
ところが、登美明国(長臑彦)が、これを阻止し、五瀬命は矢に撃たれて亡くなりました。
佐怒彦命は、東の太陽に向かって進軍したのがいけなかったと反省し、今度は和歌山から熊野道を通って、八咫烏の人々に案内されながら、大和入りを果たします。
この八咫烏のメンバーに居たのが、 阿遅鉏高日子根神です。
佐怒彦命は、吉野の山を来る折りに、井光姫命(いかりひめのみこと)に出会っています。
饒速日命が、佐怒彦命に招集をかけた際に、天孫の皇子ならば天の彌徴(みしるし)の弓矢を持って来るように申し渡されたのですが、佐怒彦命はこれを持っていなかったので、再び井光姫命の元を訪れ、彼女の父君白雲別命より、天の彌徴の弓矢(天羽羽矢)を借りて、それを饒速日の命に見せたようです。
饒速日命に考えがあり、三輪山の池の辺に孫娘の伊須氣余理姫命を待たせ、佐怒彦命がうまく彼女をエスコートして宮へ連れてきたら合格としようとしました。
すると、佐怒彦は上手く彼女に取り入り、気に入られて、めでたく、婿養子として迎えられ、その佐怒彦命こそが、後世に神武天皇と呼ばれる初代天皇です。
全国に三輪神社があり、大物主命(饒速日命)を祀っている通り、饒速日命は、日本全国の祖である皇祖ですから、皆さんそれぞれにこの物語を胸で育ててください。
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