見出し画像

不安を打破するには罪悪感の打破が近道

メンタルが低迷して良くならない原因の一つは、罪悪感を持ち続けていることに起因します。

  • 私が話しかけてもいいのかな?

  • 私も会話に参加してもいいのかな?

  • 私もイベントに参加していいのかな?

  • 私にもできるかな?

  • 自分の意見を言ってもいいのかな?

  • 反対意見を言ってもいいのかな?

  • 本心を言ってもいいのかな?

自分はうまく立ち回れる人間なのだろうか、という内罰的な、自分の存在に対する「罪悪感」。

あるいは、きっと自分には無理という「信じ込み」。自分は出しゃばってはいけないという「非合理的ビリーフ」。全員を喜ばせなければ、という「自分を駆り立てるドライバー」。

心理学的には様々な罪悪感に似た信念・概念があったりしますが、今回はその中でも、「罪悪感」に焦点を当てます。


■その場の期待と罪悪感

例えば、あるオンラインサロンのオフ会があって、参加したい!となったとします。サロンオーナーにも会いたいし、その中で存在感を出していて輝いている人にも会いたい。

ここで、主催者からすると、その場を楽しみたいと思ってくれる参加者はウェルカムです。

ただここで罪悪感を強く持っていると、参加を考えた時に、個人的な悩みとか、ネガティブな自動思考が出てくるんですね。

  • 自分みたいな者が行ってもいいのかな、場違いじゃないかな

  • 以前、別の集まりで、うまく溶け込めずに傷ついたことがあるけど、今回は大丈夫かな

  • 自分の意見を言って否定されるのが怖い

  • 初めて会う人だらけで緊張する

  • 怖い人がいて、ダメ出しされないかな

  • 絶対に安全な場だと分かってればいいけど

そう思って、参加を断念したりする。

でも、たいていのコミュニティの主催者は、色んなメンタリティを持つ人がいて全然OKで、オフ会には沢山のメンバーが参加して欲しいと思っています。

実際に主催者に不安をぶつけて聞いてみてください。「全然OK」「みんなフレンドリーですよ」「何かあれば私が対処するので大丈夫」と言ってくれます。

そういう意味では、罪悪感を持つ必要は全然ない、ということなんです。だって、オンラインサロンとか、基本みんな同じ方向を向いているわけじゃないですか。これがファンクラブでもスポーツサークルでも会社でも基本同じです。

■話題さえ選べば、本心でOK

で、そのコミュニティが向かってる方向なら、本心でズケズケとものを言っていいってことなんです。ビジネス系のサロンなら、「初心者の自分にもできる最短の方法教えてください」とかね。

でも、罪悪感や不安感を持ち続けて「私なんかが発言してもいいんでしょうか?」「私には無理な気がするんです」・・と言って足踏みしてても、コミュニティの向かう方向とちょっと異なってくるんで困ってしまうとういことなんです。

これって、「その場によって会話を選ぶ」というということと同じです。

例えばジャニーズ好きが集まってる場で、野球の話しても盛り上がらないですよね。その場に会う話題を選ぶというのは、それなりにみんなしてることだと思います。ネタはなくてもいい聞き役に徹することもできます。

何かに「同じ悩みを持つ人同士」のコミュニティであれば共感もできるんでそういう場合は罪悪感に関する話をしても全然OK。でも、そういうコミュニティではない場合は、分からない話題になってしまうのであまり盛り上がらない可能性が高くなります。

罪悪感や不安感を持つ気持ちは分かるけど、その話題はちょっと置いといてもいいじゃないですか。

そのコミュニティが目指してる話題、並々ならぬ興味がありますよね? だから所属してるんですよね? そっちにフォーカスして、本心で向かってきて大丈夫なんです。罪悪感を打破して、素直になって大丈夫なんです。

 私が話しかけてもいい? →OK

 私もその楽しい会話に参加してもいい? →OK

 私もそのイベントに参加していいのかな? →OK

 私にもできる? →できる

 自分の意見を言ってもいいのかな? →OK

 反対意見を言ってもいいのかな? →OK

 本心を言ってもいいのかな? →OK

■まとめ

「相手目線で考えた時に、相手は理解できなさそうな話題」とか「その場の空気を悪くしてしまう話題」とか、普通に避けますよね。

相手目線で考えて、その場に沿った内容なら、バシバシ本心から発言しちゃってOKです。

不安打破のためにポジティブ思考になろう、とかいうことではなく、罪悪感情は置いといて、その場の話題に沿ってるかだけ見とけばグイグイ行っていいんじゃない?という話でした。

今日はそんなところです。それではまた!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?