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ヴィパッサナー瞑想 Day4〜5 妄想と内観 【世界旅行記096】
2013年1月23日(水)ヴィパッサナー瞑想 Day4〜5 - 回想 -
2013年1月13日(Day4)
ようやく4時過ぎに起きられるようになった。しかも、せっかく新しい目覚ましを用意してもらったというのに、目覚ましより前に勝手に目が覚めた。皮肉なものである。結局、以後は鐘の音だけで起きられるようになった。
ダイニングへ行くと、ボードに<Today is Vipassana Day>と貼りだされていた。昨日まではヴィパッサナーではなかったのか。とりあえず午後3時からインストラクションがあるとのことなので、それまでは昨日と同じように過ごす。
鼻の下の三角形のエリアに集中することにはだいぶ慣れてきたが、それでもやはり飽きる。この3、4日で、ありとあらゆる雑念と妄想に気を取られた。じっと瞑想していていちばん思い出すのは、やはり身近な家族のことである。家族・親戚の姿が順に脳裏をよぎる。
思い出すだけならまだしも、だいたいこうした妄想は勝手に広がっていき、やがて死の問題を考えるようになる。わたしは期間中、だいたいの身内の葬式に出席した。勝手に殺しているのである。しかし、妄想とはそういうものである。
あるいは、自分がどこかで大活躍している場面を思い浮かべたりする。実際にはやってもいないのに、過去に参加した結婚式や葬式の場で、なぜかわたしは立派なスピーチを披露している。ときには聴衆を大爆笑の渦に巻き込み、ときにはほろっと泣かせている。人前で目立ちたい願望があるのだろう。
こうした妄想は、バスや列車で長距離移動しているときにも、たびたび勝手に湧き上がってくるものだから、すっかり慣れたものである。ほとんどが焼き直しの妄想だ。
期間中にわたしがもっとも時間を割いたのは、この旅の記録が出版化されるという、なんとも他人が聞いたら恥ずかしくなるような妄想である。あるとき、出版社の人間からメールが来て、出版化の話がトントン拍子に進む。 ― これだけ書けていれば、ほとんど手直しの必要がないです。さっそく出版しましょう。分量が多いですから、何巻かに分けることになりますね。タイトルはどうしましょう。帯の文句は誰に書いてもらいましょうか。
わたしは、すでに頭のなかで、まえがきもあとがきも書いてしまった。タイトル案は20以上考えたが、いまだにしっくり来るものがない。マスコミを前に出版記者会見を開き、出版記念パーティーまで開催した。もうここまで妄想が進むと世話がない。しかし、妄想とはそういうものである。
わたしはむかしから、とんでもなく非現実的な妄想はしない。ヒーローになって世界の悪をやっつけるとか、空を飛んで妖精とたわむれるとか、そういうメチャクチャな妄想はしたことがない。現実世界の延長としての願望を思い浮かべるケースがほとんどである。
たとえば、就職活動中は、毎晩のように自分がコンサルタントとして活躍しているシーンを具体的に思い浮かべては、ひとりにやけていた。この世界旅行にしても、プランを誰にも話す前から、自分が世界をまわっているはっきりとしたイメージが、ありありと自分の頭のなかにはあった。毎日妄想するなかで、イメージをどんどん具体化し、強化していった。
わたしは、具体的なイメージを持って強く願ったことは実現すると思っている。それはけっして妄信的な考えではなく、自分のなかに具体的なイメージがあれば、実世界で実際にその場面に遭遇したとき、すぐにイメージどおり、とはいかないまでも、イメージにかなり近い形で立ち振る舞える。次々と夢を実現しているように見える人というのは、強烈なイマジネーション力を持っているのだと、わたしは思っている。
そういうわけで、これだけ出版化という呆れた妄想が次から次へと湧き上がってくるということは、わたし自身が心の底でそうしたいと熱望していることの証であるし、これはもしかしたら本当に実現するかもしれない。それほど強い妄想に、日々わたしは取り憑かれていた。
さて、それでもいま集中すべきは妄想でなく、呼吸の観察である。わたしは鼻がつまりやすく、だいたいいつも片方の鼻しか機能していない。ところがずっと呼吸を観察していて気づいたのは、いつのまにか呼吸している鼻の穴が変わっているということである。仮にいま、左鼻で呼吸していたとする。いったん部屋にもどって次の瞑想をはじめると、不思議なことに今度は右鼻呼吸に変わっている。そして次の瞑想時間になると、また左鼻に戻っていたりする。同じ瞑想時間中に、呼吸している穴が入れ替わることはけっしてない。部屋にもどってベッドに横たわった拍子などに、さっと入れ替わっているのだろうか。その瞬間を感じることはできないものだろうか。人体とは不思議なものである。
午後3時になって、いよいよヴィパッサナーのインストラクションがはじまった。いままでは鼻の下という1か所に意識を集中していたが、それを全身でやってみろと言う。具体的には、身体の表面を5センチ四方程度に区切って、その一つひとつに順に焦点をあてていき、その部分の感覚を観察する。これを全身でくまなく行っていく。
いまさらだが、ヴィパッサナーは、古代インドの言葉であるパーリ語で、「よく観る」「物事をありのままに観察する」という意味である。中国語では「内観」と書く。この「内観」という表現は、かなり適切にヴィパッサナーを表していると思う。
そもそも、瞑想には大きくわけて、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想という2種類がある。サマタ瞑想は、いわゆる一点集中の瞑想(止行)である。たとえば神の姿を思い浮かべ、ひたすらそこに意識を集中することで、サマーディ(一種の極限状態、日本語では「三昧」)の状態をつくる。無の境地に達すると言ってもいい。一般に「瞑想」と聞いてイメージされるのは、こちらの瞑想法である。
それに対して、ヴィパッサナー瞑想は、自身の感覚や思考を、ありのままに観る瞑想(観行)である。無の境地を目指すのではなく、自身の「いま」の状態を正確に捉えることで、煩悩を解き放つ。そういう意味で、サマタ瞑想とはアプローチが異なる。
振り返ってみると、今日まで行っていた呼吸の観察(アーナパーナ・サティ)は、サマタ瞑想に属する。3日半、サマタ瞑想で集中力を高めてから、次のステップとしてヴィパッサナーに移ったことになる。
さて、鼻の下だけでも観察するのに手こずったというのに、同じことを全身でできるだろうか。なんとか1時間かけて、頭から足先まで順に観察を続けた。空気があたっている感覚を感じ取るだけでもよいという。ホールに心地よい風が入ってきたときはしめたもの。風があたって「冷たい」という感覚を得ることができる。1時間やってみて、全身の70パーセントくらいの感覚を感じ取れた気がした。
今日からは、1日3回、各1時間のグループ瞑想は、<Sittings of Strong Determination>といって、姿勢を変えず、手も動かさず、目も開かないようにする。個人瞑想の時間は自由だが、すくなくともグループ瞑想の時間は、その3点を守らなければならない。強い意志で、じっと耐える。いよいよ修行という感じがしてきた。
1日のリズムもようやく整ってきた。昼の2時間の休憩時に、水シャワーを浴び、同時に洗濯もしてしまう。そのあとは部屋の掃除を毎日欠かさず行った。万年床のようになるのが嫌で、朝起きたらブランケットをきちんと畳んだ。シーツもたまに干した。起床時と就寝時以外にも、毎食後に歯を磨いた。とにかく瞑想以外にやることがないから、そういったところで気を紛らわすしかない。
ヨガや運動はしてはいけないことになっているが、この日あたりまでは、実はすこし部屋のなかで運動していた。あまりにやることがないし、瞑想だけでは運動不足になると思って、こっそりヨガの太陽礼拝をやったりしていた。ちなみに、たまたまインド系の参加者の部屋が開いていたとき、ちょっとなかを覗いたら、ヨガマットが置いてあるのが見えた。彼は毎日、部屋でヨガに精を出しているに違いない。
しかし、運動したあとに瞑想すると、身体が疲れてしまっていて、全然集中できないことに気づいた。それに、ヴィパッサナー瞑想に入ってからは、瞑想自体で身体が疲弊するようになった。瞑想を終えて部屋にもどると、グッタリしてベッドに倒れこんでしまう。それほどに疲れた。だからそれ以来、運動はやめて簡単なストレッチ程度にとどめるようにした。
散歩は許されているので、食後は多くの人が敷地内を歩く。といっても、歩けるのは150メートルほどの一本道で、そこをただ往復するだけである。同じくらいの距離の一本道が住居棟の裏にもあって、そちらは人が少ないので、わたしはよくその道を往復した。最初は日光を浴びたくて昼の休憩時間に散歩していたが、あまりに日差しが強く、散歩するだけで身体が疲れるのを感じた。ヨガと同じく、疲れてしまっては瞑想に集中できないので、やがて昼の散歩も控えるようになった。
2013年1月14日(Day5)
今日も昨日と同じで全身を観察する。ゴエンカ氏のインストラクションに変化がないということは、つまり昨日と同じことを今日も10時間近くにわたって行うことを意味する。これはけっこうしんどい。できれば毎日、何かしら変化が欲しいところだ。
今朝は、ようやくはじめて6時半まで瞑想ホールにとどまったが、最後の30分くらいはずっとゴエンカ氏のお経が流れ続けた。このゴエンカ氏の声が、わたしの耳にはあまり心地よくない。しかも、お経が流れていては感覚の観察に集中できない。ゴエンカ氏には申し訳ないが、明日からは6時前には部屋に戻ることに決めた。
グループ瞑想のあと、5人程度が順に呼ばれてホールの前へ行き、先生と話す機会があった。2、3日に1回程度、こうした時間が用意されている。順に「どうか?」と聞かれるので、「なんとかやってみた。昨日は1時間かけて全身を観察した」と答えたら、「それは長すぎる!」と笑われてしまった。夜の講義テープでは、最低でも20分ほどかけて観察するようにとの説明だったので、長ければ長いほどよいかと思っていたが、そうではなかったらしい。結局、このあと全身をエネルギーが流れるようにスムーズに観察していく過程に移るのだが、このときはそういうことを知らないものだから、要領を得なかった。
こうした、全体像を見せずに「黙って言うとおりに修行を進めよ」という教え方は、実にアジア的だと感じる。ゴールを意識してはいけないのである。そもそもゴールが何かも教えられていないのだから、意識のしようがない。結果ではなく過程を重視した学習方法を取っている。
西洋的あるいは現代的な考え方では、こうした学習方法は実に非効率的に見えるだろう。実際、先生から「どうだ?」と聞かれたとき、わたしや右隣にいたマレーシア人は、「がんばっているけど、どうもうまくいかない」といった曖昧な返事をした。つまり、「全身に感覚を感じるような気もするけれど、そうでない気もする。自信がないので師匠にぜひ助言を仰ぎたい」といった弟子の態度である。
それに対して、うしろにいた欧米人は、先生に質問されて、すかさず「ノープロブレム」と答えた。このときほど欧米とアジアの文化の違いを強く感じたことはない。10日間かけても成果が出るかわからないような難しい修行をしているのに、彼は指示通りのことが100パーセントできていると、自信を持って答えたのである。昨日指示が出たばかりなのに、今日はもうそれが完璧にできていると思っているのである。わたしは前で聞いていて、「本当かよ!」と突っ込みたくなった。
一方で、左隣にいたシンガポール人は、「全身に感覚を感じるか?」という先生の同じ質問に、悲しそうに「ナッシング」と答えた。これはこれでまた極端な回答である。「さすがにナッシングということはないだろう」と、こちらも思わず突っ込みを入れたくなった。
「ノープロブレム」の欧米人は別の機会に、「何分で全身を一周するのがいいのか?」と先生に質問した。彼は「何分で全身を観察するのが正解だ」という答えがあると思っている。何もかもがシステマティックなのである。わたしや右隣のマレーシア人のような曖昧さを、彼は許容できないだろう。ゴールがあって、そのためのステップがあって、いまそのうちの何パーセントまで達成している。そうした全体像が見えないと落ち着かないのだと思う。彼はスポーツと同じ感覚で、この瞑想に取り組んでいるのかもしれないと思った。別にそれはそれで悪いことではない。ただ、考え方や取り組み方が根本から違うことがわかって、わたしは非常に新鮮な感覚を覚えた。
夜の講義テープは、「もう5日目が終わってしまいました」 という、いきなりネガティブな文句からはじまった。この講義テープをわたしは日本語で聴いている。講義の時間は、中国語は瞑想ホールで、英語は別の小ホールで、スピーカーから流れる音声を聴くことになっている。ただし、英語も中国語も苦手な人のために、瞑想ホールの後部に視聴覚室が設けられていて、そこでヘッドホン越しに各言語の音声を聴けるようになっていた。男性側はわたしのほかに、2人の男性がスペイン語で講義を聴いていた。
こうした設備が整っているおかげで、わたしはすべての講義を日本語で聴くことができ、ヴィパッサナーに対する理解を深めることができた。ウェブサイトでさまざまな情報を提供し、そしてさまざまな国の人が世界のどこのセンターでも受講できる環境が整っている。そのグローバル対応ぶりにわたしは驚き、そして感謝した。
しかし、この講義テープを1時間半も聴き続けるのは、けっこうしんどい。そもそもがブッダの逸話や道徳的な話がメインで、聴いていて退屈する。日本語の翻訳自体に違和感はないのだが、内容はかなりナラティブである。
なかでもいちばんの問題は、説明の仕方がすべて倒置的になっている点である。「○○(新しい概念)は、AとB(パーリ語のカタカナ)からできています。AとBがなければ、○○は成立しません。これは必然なのです。このどちらかが欠けては、○○とは言えないのです」と散々煽り立てたあとで、「では、AとBとは何でしょうか? Aとは……」と説明がはじまる。これでは全然、頭に入らない。しかも文字情報がなく、一切を耳で理解しなければならない。こんな説明が1時間半も延々と続く。瞑想よりも、毎晩この1時間半を耐え抜くほうが修行ではないかと思えてしまうほど苦痛だった。
あまりに苦痛なので、みな姿勢がだんだん崩れてくる。視聴覚室はガラス張りになっていて、瞑想ホールの様子がよく見渡せる。胡座に疲れた人は、体育座りになったりして休んでいた。
この講義の時間にも、また欧米とアジアの文化の違いを感じることとなった。わたしと一緒に視聴覚室にいたスペイン系のふたりが、視聴覚室のなかで、すっかりだらしないのである。
そもそも、ホール内では前に向けて(つまり先生に向けて)足を投げ出すことは禁じられている。足を投げ出す際は、正面ではなく横を向いて行うようにと言われている。それなのに、視聴覚室のなかはホールではないと思っているのか、堂々と前に向けて両足を投げ出すのである。しかし、視聴覚室はガラス張りで、ホール前方に座っている先生からも、そのなかが見えるようになっている。ときには半分寝転がって片足を組んだり、柱にもたれかかってグッダリしたり、彼らはとにかくだらしがなかった。
講義はたしかに退屈だが、それでも一応はゴエンカ氏という先生の講話を聴く時間である。ホールにいるマレーシア人は、誰ひとりとしてそんなだらしない格好はしない。疲れているのはみな一緒である。わたしだって、どうせ音声テープなのだから、横になって聴きたいと思うが、そういう場ではないことは感覚としてわかる。しかし、彼らにはそういう感覚は一切ないようだった。目の前にゴエンカ氏がいるわけでもないし、瞑想の時間でもないのだから、なんで胡座をかかなければいけないのか。そんな感じであった。
アジア人であれば、正座や胡座、あるいは体育座りまでなら許容できるだろうという、なんとなくの共通認識があるのが、ほかの参加者を見ていてもよくわかった。しかし、椅子の文化の欧米人にはそういう感覚はないのだろう。失礼と感じる仕草や態度が、決定的に違う。文化の違いだから仕方ないとはいえ、もうちょっとまわりを見て同調するということがあってもいいのにと思った。そういう「まわりに合わせる」という感覚自体が、アジア的なのかもしれないが。
視聴覚室には、女性の参加者も4人いて、外国語の音声テープを聴いていた。こちらを観察しても、アジア人のふたりは、わたしと同様、胡座と体育座りを交互に繰り返し、欧米人のふたりは、すっかりくだけた格好でだらけていた。
夜の講義だけでなく、午前と午後のインストラクションも、各言語のバージョンが用意されていた。こちらは、視聴覚室で自国語でガイドを聴いたあとに、ホールに戻ってみなと一緒に瞑想するという流れになっていた。
何日か繰り返せば、いつ視聴覚室に入るのかはすっかりわかる。ところが、このだらしない欧米人たちは男女とも、毎回ほかの参加者とともにホールにいて、視聴覚室に入ることをすっかり忘れてしまう。スタッフの人に呼ばれて、はじめて視聴覚室に入ってくる。そして、わたしの目の前でだらしない姿勢を取る。「こいつらは何も考えていない。まったく頭を使っていない。こいつらはサルか! 毎度スタッフの手を煩わせて、申し訳ないという感覚はないのか!」と、わたしは毎回苛立った。自分でも驚くほどに苛立った。
なかなかどうして、隣人に優しくなれないものである。刺激がほとんどなく、自分ひとりで修行している感覚になっているからこそ、なおさらそうした他人に配慮しない行動が、強い刺激となって不快な思いになる。修行の成果は、そうそう簡単には出ない。今日でコースの半分が終わってしまった。
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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。