(明和・安永のころ、尾州名古屋の俳人、加藤曉臺の若き弟子に椎下園事紅という人あり。この事紅、実は、尾州家九代、権大納言宗睦の次男、左近衛権中将治興であったともいふ。
先日、徳川美術館にて治興の差料、黒蠟色塗鞘大小拵の展示を観て、曉臺の句、「わきさしの柄うたれ行粟穂哉」を思い浮かぶ。)
曉臺の姿うつししや治興の黒蠟色の脇さしの鞘
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?
(明和・安永のころ、尾州名古屋の俳人、加藤曉臺の若き弟子に椎下園事紅という人あり。この事紅、実は、尾州家九代、権大納言宗睦の次男、左近衛権中将治興であったともいふ。
先日、徳川美術館にて治興の差料、黒蠟色塗鞘大小拵の展示を観て、曉臺の句、「わきさしの柄うたれ行粟穂哉」を思い浮かぶ。)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?