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日本×キューバ夫婦のアラバマ子育て物語 第13話 キューバのこども時代

この連載は、アラバマ州タスカルーサに住む日本出身の著者とキューバ出身の妻ダイレンが、文化と言語と社会のはざまで右往左往しながら、初めての我が子ヤスオ(仮)を育てる物語です。出産予定は2025年4月15日。1話ずつ単独でも読めるように心がけていますが、まとめて読みたい方はこちらのマガジンよりどうぞ。

語り手、ダイレン・エチャバリア=ペニャ
聞き手、有好宏文

 いちばん古い記憶は、暗い廊下をひとりで歩いていたこと。両手を次の段にかけて、よじ登るように階段を上がっていたんだから、すごく小さかったんだと思う。おぼえているのは、それだけ。

 ハバナの家族がいまのところに引っ越す前のアパートだったから、たぶん2歳くらいの記憶だと思う。家族が言うには、2軒隣の建物の3階に住んでいたおばさんが、窓からわたしにむかって手招きして、よくこう言ってたらしい。

「Escapate. Escapate.(逃げておいで。逃げておいで)」

 で、わたしはそれにいつも「Escapate tú!(あんたが逃げておいで!)」って返事するもんだから、おばさんも、わたしの家族も、みんな大笑いだったらしい。

 ところが、ある日、家族が見ていないときに、おばさんがまた「逃げておいで」と呼んだみたいで、それでわたしは家族に何も言わずに家を出て、おばさんの住むアパートにひとりで行った。

 階段の記憶は、このときに登った鉄製の外階段。それから、建物に入ると、中が暗かった。たぶん暗闇が怖かったから、記憶に残ったんだと思う。

 そのあとのことはおぼえていないけど、おばさんのアパートの部屋にたどり着いて、そのうち家族が迎えに来て家に帰ったんじゃないかな。たぶん。

* * *

 暗い部屋でひとりで寝るのが怖かったのもおぼえてる。わたしがクリブ[柵付きのこども用ベッド]で先に寝てると、パピ[祖父]とマミ[祖母]とママ[母]が居間でテレビを見てるのが聞こえてた。たぶん5歳くらいのころかな、目を覚ますとドアのむこうは明るくてにぎやかなのに、わたしだけ暗い部屋でひとりで寝てる。さみしいような、暗いのがこわいような、心細い気持ちになって呼ぶと、パピが来てくれた。

 いま思うとびっくりなんだけど、パピはいつもベッドの柵の中まで入ってきて、添い寝して歌ってくれた。

――ベッドって、このヤスオのクリブくらいの大きさ?

 うん、たぶんこのくらいだったと思う。よく大人の体がおさまったなと思うし、それにかなり頑丈だったんだろうね。でも、そのときはもちろん、そんなことは考えてなかった。

 パピの持ち歌は3つくらいしかなかったんだけど、どれもぜんぜん子守唄じゃなかった。いちばん覚えてるのは、酔っぱらいで女たらしのカウボーイが殺されるっていうメキシコのコリード(笑)[コリードはメキシコの民衆音楽で、歴史や事件を歌で伝えたのが起源とされ、西部劇音楽にも影響を与えた]

 どうしてこどもがそんなの好きだったのかわかんないけど、ストーリーがあるからかな。いつもリクエストしてたから、いまでも1番は歌える。

――歌ってみてよ。

みんなが噂してるコリードを歌おう
花の屋敷で起こった出来事について
愛のカウボーイの悲しいストーリーだ
そいつは酔っ払いで、パーティ好きで、遊び人
名前はフアンで、あだ名はチャラスケアド[ナイフ傷のある男]
勇敢で、愛のためなら無茶をした
いつもいちばん美しい女たちを持っていった
野原には花一輪残らなかった

ある日曜日、彼が酔っ払っていると
ひとびとが酒場にやってきて言った
「気をつけろ、フアン、おまえを探してるやつらがいる
大勢の男たちだ。殺されなければいいが」
彼には馬にまたがる時間がなかった
ピストルを手に、やつらはフアンを囲んだ
「酔っぱらっていようが」とフアンは叫んだ。「おれは立派な雄鶏だ」 
銃弾が彼の心臓を貫いた瞬間のことだった

「フアン・チャラスケアド」より(有好訳)

 ね、ぜんぜん子守唄じゃないでしょ。パピはたぶん知ってる歌をただ歌ってたんだと思う。でもわたしは好きだったから、ひとりで悲しくなると「パピ、パピ」っていつも呼んだ。

 このあとの2番はお葬式の話になるんだけど、あまりおぼえていない。いつも1番の途中で眠りに落ちてたのかな。それとも、パピが1番だけを繰り返してたのかも。パピも2番は知らなかったりして。

――おばあちゃんとの思い出は?

 こどものころは怖かった。わたしの子育ての責任者みたいな感じだったから、叱るのはいつもマミ[祖母]だった。

 小学校に入ってすぐのころ、家で宿題をやるのに、ノートに覆い被さるみたいに顔をすごく近づけて書いてたら、「どうして隠すの!」って怒られて、頭をビシって叩かれた。

 だって字が見えないんだもんって必死に説明したら、やっと先生に伝えてくれて、視力を調べたらぜんぜん見えてないことがわかったわけ。じつは黒板もさっぱり見えてなかったんだけど、ちゃんと見える状態っていうのを知らないわけだから、こんなものなのかと思ってだれにも言ってなかった。眼鏡をかけたら、まさに霧が晴れたように世界が見えるようになって、授業もわかるようになった。

 一年生のときの教科書はよくおぼえている。たくさん絵が描いてあって、それでアルファベットをひとつずつ勉強するようになってる。もしかしたらネットにあるかもね……あ、あった、あった、これこれ

――かわいい絵と革命軍の絵がごちゃまぜでキューバっぽいね。

 クラスでひとりずつ当てられて読まされるんだけど、視力のせいでみんなより出遅れてたから、家でたくさん勉強した。ついにある日、当てられたところをちゃんと読めた。カミロ・シエンフエゴスの話の一節だった。カストロとかゲバラとかといっしょに戦った革命家。あとで殺されちゃうんだけど。

 アルファベットが読めるようになってからは、マミにむりやり英語の塾に行かされた。遊びたかったからいやだったけど、マミには逆らえないからしぶしぶ行った。

 4年生から新しい英語塾に行き始めて、そこの先生がすごくよくて、英語が好きになった。たしかソビエト製の英語のワークブックを使ったり、単語を書いたプリントをくれたりして。このころにはテレビで流れてるアメリカの映画も、スペイン語字幕を読まなくてもわかるようになってきた。英語塾に行くのも楽しみになった。

 キューバっていまでも英語しゃべるひとあまりいないでしょ? あの当時のキューバでこどもに英語を勉強させるなんて珍しかったから、マミには先見の明があったんだと思う。いまこうして何不自由なく英語を使って暮らしてるのは、マミの強制のおかげ。大好きだし、いちばん感謝してるひと。

――英語の本をくれるひとの話もまえにしてなかったっけ?

 近所にマミの知り合いの老女がひとりで住んでて、たしか元ジャーナリストだったと思うんだけど、そのひとがマミを通じて英語の本をわたしにくれた。それが本を1冊くれるとかじゃなくて、マミが行くたびに本を数ページずつ破ってくれるっていう変な仕組みで。赤ずきんちゃんとかシンデレラのストーリーとか、ゾウやキリンの記事とか、そういうの。もらったページの切れ端を集めたら、最後には2冊分くらいあったと思う。

 1回か2回だけ、そのひとの家に本を見せてもらいに行ったことがある。寝室と居間だけの小さなアパートにひとりで住んでて、暗くて埃っぽくて、本と古新聞と1940年代みたいな古いファッション雑誌がいっぱいあった。背中の曲がった老婆で、眼鏡をかけてて、その数ヶ月後に亡くなった。

――お母さんとの思い出は?

 わたしのベッドはママの寝室に置いてあったから、ちいさいころは毎晩、夜中にママがトイレまで抱きかかえて行っておしっこをさせてくれた。ママに抱かれながら、頭がかゆくて掻いたんだけど、掻いても掻いてもまだかゆくて、なんかおかしいなと思ったら、寝ぼけてるもんだから、ママの頭を掻いてたわけ(笑)そりゃあ、かゆみがおさまらないにきまってる。ママの頭は、わたしの頭じゃないからね。

――お父さんには会ったことあるんだっけ?

 パピ[祖父]の田舎のちかくに住んでたから、わたしたち一家がパピの親戚の家に滞在してたときに会った。小学校に入るか入らないかくらいのころ。

 家族が「ほら、おもてにおまえのお父さんがいるから会ってきなさい」って言うから外に出たら、道路のふちの小さな段差に座ってた。酒を飲んでて、「おまえには弟がいるんだよ」って言ってた。

 その田舎でよくおぼえてるのは、近所の男の子が教えてくれた遊び。家からちょっと行ったところに頭の大きいアリがいる場所があって、それを2匹つかまえて、体のところを持って頭と頭を向かい合わせる。そしたら互いを噛み合うから、頭を食いちぎられたほうが負け。

――こどもって残酷な遊びするよね。

 それがすごく楽しくて、あとで家をこっそり抜け出して、ひとりでそのアリがいる場所に行った。アリをつかまえて、両手で1匹ずつつかんで向かい合わせたら、ちゃんと片方がもう片方の頭を食いちぎった。



第14話につづく(未公開)



叔父が撮ったと思われる、こどものころのダイレンの写真

↓こちらのマガジンに全話まとまっています↓

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