『ジョン・ウィック:コンセクエンス』ひとつのフィクションに押し上げられたリアリティ
卓越したアクションシーンが魅力の『ジョン・ウィック』シリーズであるが、最新作の『コンセクエンス(Chapter 4)』では防弾仕様のスーツを主人公ジョン・ウィック以外のその他大勢にも装備させる大胆な采配によって、アクションのリアリティをこれまで以上に押し上げることに成功した。ここでは、備忘録としてスーツの果たした役割について書き留めていく。
(なお、スーツの機能以外の内容には踏み込まない)
道具以上の存在となったスーツ
現実にも特殊な裏地を仕込んだ防弾仕様のスーツ(以下スーツ、防弾スーツ)は存在しており、軍用の防弾ジャケットやチョッキのような野暮ったい格好が、かえって不自然で危険を増してしまう要人警護のような場面で既に使われているそうだ。複合材や繊維、衝撃吸収ゲルなどの材料科学分野はホットな先端技術であり、装備品を軽量化する要請は軍からも当然なされるだろうから、より高度なスーツが存在していてもおかしくはない。
とはいえ、『ジョン・ウィック』内のスーツは敢えて無粋な言い方をするならば、フィクションである。Chapter 2から登場した防弾スーツは「セラミック基複合材と炭化ケイ素を織り込んだ」「弾の貫通は防ぐが、激痛が走る」ものとされているが、強度そのものよりも弾丸の慣性を無視できることが現実とは異なる。
これはChapter 4で頻繁に見られた、ジャケットの前裾を盾のように持ち上げて頭部をカバーする、独特な戦闘スタイルによく表れている。スーツがいかに強靭で弾丸を通さないものだとしても、裏に抑えががなければ、弾丸は生地を押しのけてしまう(日本語的に言い換えると「のれんに腕押し」だろうか)。が、作品内では押しのけるどころか弾丸をはじいているように見える。
本稿で指摘したいのは、そのフィクションの「ありえなさ」ではなく、そのフィクションによって顕在化した「リアリティ」である。この防弾スーツによって『ジョン・ウィック』のアクションはこれまで以上にリアルさを増したと言えよう。防弾スーツは単なる道具以上のものとなり、物語の中で新たな緊張感と戦術的な深みをもたらした。
見慣れているが、新しい
先述の通り防弾スーツは過去作から既に登場しており、ジョン・ウィックを中心とした主要なキャラクターや、Chapter 3終盤に登場する精鋭部隊のような「簡単には死なない、あるいは死んではいけない」人物に配布されていた。
ゲーム的に言えば、「エリート兵」や固有の名前が付けられたいわゆる「ネームド」キャラである。そういった特殊なキャラクターが単純に強いことや、弾丸に貫かれたにも関わらず倒れないことは不思議ではない。
リアルではないが、リアリティを損なう要素ではなかった。
対して、Chapter 4の主要な敵はほとんどが(おそらく相当高価であるはずの)防弾スーツを着用していた。これまでの暗殺者たちの序列を上回る首席連合配下であるため、さすがといったところであり、また、かなり大胆な設定の導入である。一部のキャラクターにのみ許されていた特権的な地位が開かれた結果、何が起こったのだろうか。
平たく言えば、主人公ジョン・ウィックのプレイするゲームの難易度が上がった。それもハードモードやサバイバルモードを超えた、ゾンビモードである。
ゾンビとはいえ、人間の知能を持つため、サバイバルゲームでいうところの「ゾンビ」に近い。
サバイバルゲームはおもちゃの銃を使った遊びであるため、撃たれた側の自己申告「ヒットコール」によって生死の判定を行っている。あくまで自己申告制であるため、この「ヒット」を言った言わないが諍いを生むことがある。そのような場合、「ヒット」を自己申告しない(つまり死なない)人を指して「ゾンビ」や、「硬い」と呼称するのである。「ゾンビ」を殺すためには大量の弾を浴びせ、痛めつけることで「ヒット」と言わせるか(ほとんどの人は痛いのが嫌なので積極的にヒットコールする)、多くの人から見える位置で弾を当てるしかない。
Chapter 3の終盤やChapter 4の全体は、まさにこのゾンビが大量発生している状況だ。多くのゾンビ映画と同様で弱点は頭部だけであり、それ以外にはいくら撃っても怯むだけで殺すことができない。まさに玄人好みの難易度だが、4作目に臨む観客は歴戦の猛者であり、制作側は見事にその期待を見抜いていた。
今更ゲームと映画を別のエンターテインメントとして切り分けて考えるのは実にナンセンスであるが、『ジョン・ウィック』では映画にゲームの要素をより多く加えることに成功したと言える。
例えば、中盤の俯瞰視点で撃ち合いを観るのは、かつての見下ろし型シューティングを彷彿させ、またインドアフィールドに行ったことがある人であれば、「見たことある!」となったはずだ。天井をくりぬいたような視界はリアルではないが、観客はまるでジョン・ウィックを操作しているかのような感覚をリアルに掴むことができる。常に観客を飽きさせないために、あらゆる絵作りをしようと試みられている。
対照的に、長い階段は珍しい光景ではない。にも関わらず、これまでの条件であればそこが良い銃撃戦の舞台にならなかったがゆえに、大きな新鮮さがある。
銃撃戦のリアリティ?
話を戻すと、映画はフィクションであるので当然のことではあるが、ガンアクションや銃撃戦では一般人が撃った弾は大抵はずれて、主人公が撃った弾は大抵当たる、それが基本的なルールである。ブルース・ウィリスやシルベスター・スタローン、近年復活したメル・ギブソンら往年のスターが演じるように、散々撃たれながら泥臭く戦うキャラクターも少なくないが、それでも、主人公が撃たれる(致命的なダメージを負う)のは決定的なシーンに限られる。
主人公が撃ち負けてしまえば話が続かなくなるし、そんなことは観客の誰も望んでいないので当たり前といえば当たり前だ。かえって銃撃戦のリアリティを高めようとすると、登場人物たちがバタバタと倒れるか、塹壕戦のように何も起きない時間がいつまでも続き、どちらにしても面白さに欠ける。(極端に撃たれない俳優といえばジェイソン・ステイサムであり、銃撃戦のリアルさを極端に追求した作品には『フリー・ファイヤー』等が挙げられる。また、登場人物が簡単に死んでいく状況をゲームのように再現した『ハードコア』も斬新であった。これらについては別の機会に改めて書きたい)
銃撃戦のリアルさが面白さに直結しない一方で「銃が戦争を平均化した」、という文句は伊達ではなく、あまりに主人公が強い状況が続くと、観客も飽きてくる。プロットの都合によって弾が当たったり当たらなかったりすることの不自然さは、シリーズが長期化すると避けられない。
それまでいくつもの弾丸を当然のようにくぐり抜けてきた主人公が、何かに気を取られて撃たれてしまう。一回だけなら、その「何か(ヒロインやこども、思い出の品など)」の重要性が強調されるので、ピンチの演出として全く問題はない。しかし、それが二回三回と続くと、強い主人公像と矛盾が生じ、主人公の学習しなさに観客も呆れてしまう。
『ジョン・ウィック』の場合はどうだろうか。銃・ナイフはもちろんのこと、鉛筆、犬、馬、本、とその場にあるものをなんでも使う彼のダーティで泥臭いファイトスタイルは本シリーズの象徴であるが、Chapter 3までに既に完成されていた感があるのではないだろうか。
キアヌ・リーヴスの鮮やかなリロード、エイム、スイッチング等々のテクニックは本作でも益々磨きがかかり、動作のひとつひとつから目を離せない。作品のリアリティ、あるいは「らしさ」はこれまで以上に高められている。が、それを目玉として見せるのではなく、当然のものとして扱っているのである。
既に3時間に迫る長尺だからだろうか、武器の紹介や銃の取り扱いなどの「魅せ」シーンは今回大きく省略されていた。ここに制作側の意図が見受けられよう。それはもうやったよね、と。このような配慮が実にこの作品の憎いところで、見せようと思えばもっとできるが、同じ内容は見せないという割り切りがある。観客はそれだけで満足しないと、見抜かれていたのだ。
防弾スーツが果たした役割
Chapter4はタチの悪いサバイバルゲームのようだ。次から次へと湧いてくるゾンビたちは痛い!!!と叫ぶどころか、頭を撃たれるまではヒットコールをしない。しかし、それゆえに、根気強く当て続けられた方が勝つ、という新たなルールが生まれている。
撃ち合っているだけでは決着が付かず、頭部を無理矢理にでも露出させるか、刃物を使う必要があるため、自然に勝負は超のつく接近戦になる。ジョン・ウィックにとっても敵にとっても、新たな戦術やアプローチが要求される。
この設定を起点に、それぞれの敵もただの餌ではなく、ジョン・ウィックを倒すためにどうすれば良いのかを真剣に考えるリアルな存在として立ち上がってくる。
以上からわかるように、フィクションとしての防弾スーツは、これまで積み上げられてきたアクションに新たなレイヤーを加えるとともに、その解像度を劇的に変化させた。『ジョン・ウィック』の戦闘は現実ではないが、よりリアルに感じられるように進化したのである。単純に「弾が当たっても死なない」、それ以上の意味をキャラクターとシナリオの双方に与えたと言えよう。
加えて、この新しい環境では、銃をはじめとした各種武器の取り扱いや、周囲すべてのモノ・環境を利用する技巧だけではなく、なにより、戦い続けるための不屈の意志が必要となる。
ジョン・ウィックが恐ろしきババヤガたるゆえんは、本人の暗殺者としての技量もさることながら、異常なまでの肉体的、精神的タフネスさによるのではないだろうか。
車に轢かれようがビルから落ちようが、彼は止まらない。止めることはできない。もちろん、弾丸をしこたま撃ち込んだとしても。
そして、それは彼が身体的に優れていて無敵だからではなく、闘志によるものだと改めて示された。
「なぜ死なないんだ?」という観客と敵の疑問に、正面切って答えたのである。
防弾スーツというフィクションは、「主人公に弾は当たらない」というルールを崩すだけではなく、ジョン・ウィックと敵の間の、そして観客の緊張感を高め、彼の卓越性と執念の強さを裏打ちするリアリティを一層際立たせる役割を果たした。
このように、あるフィクションを仮定として置くことで、作品内のリアリティはてこのように押し上げられる。
元来フィクションにおけるリアリティとはそういうものであろうが、『ジョン・ウィック』は過去にも登場していた要素を活用したという点で特異であり、個人的にも創作において大きな気付きを得ることができた。