「自分以上にいいものを書く必要はない。しかし、自分以下になってはいけない」 〜『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
罹っていたのは「書けない」病ではありませんでした。
最近、当noteと本家ブログともに、更新頻度がめっきり減りました。
「あ〜、書けない病に罹っているぞ」と思い込んでいたのですが、山田ズーニーさんの連載「おとなの小論文教室。」の1000回記念コラムを読み、どうもそうではないと感じたのです。
あなたの中に想いはある
「Lesson1000 あなたには書く力がある」と題したコラムにはこんな言葉が登場します。
「書けない病」だと落ち込んでいたところ、「あなたの中に想いはある」と力強く言い切られ、ハッとしました。心を温めてくれる、優しい言葉です。
とはいえ、我に返るとさらに疑問が湧いてきます。
その「想い」はどうやって見つけるのでしょう?
想いを知るために書く
コラムは次のように続きます。
「書く」ことに真摯に向き合うと、「そもそも…」「なぜ…」「どうなれば…」という疑問にぶつかります。この疑問を解決しようとするならば、「考える」「自分に問いかける」を繰り返すことになるのです。
その問いから出た答え(まだ仮説レベルかもしれません)を文章にまとめる過程で「想い」を認識・再発見できる。そして、明らかになった「想い」のなかから明示的に選択したものが「意志」になる、という流れのようです。
自分以下になってはいけない
山田ズーニーさんといえば、初の単著『伝わる・揺さぶる!文章を書く』を2003年末に読みました。いまも自宅本棚に刺さっています。
本を手にとると、端を折って書きなぐったページがありました。
前半の主張「自分以上にいいものを書く必要はない」には素直に頷けます。そりゃ肩肘はってちゃダメだよな、と頭で理解できました。
一方、「自分以下になってはいけない」という禁止表現は、頭ではなく心に訴えかけてきます。ズーニーさんからの叱咤激励のようにも感じました。
上のフレーズの後には、こんなフレーズが続きます。
この部分、該当ページの「考える」の下に二重線を引いているところをみると、当時の僕にはここが響いていたようです。
「誰かの問い」に答えること
振り返ってみると、noteやブログを「書けない」時期も、定期的に書き込んでいた場所がありました。それがQ&Aコミュニティ Quora です。
Quoraとは、誰かが問いかけた質問に対して誰かが回答を返す、というQ&Aサイト。「世界中の知識を共有し、広め深めること」をミッションとして運営されています。
サイトには、誰かが投稿した質問が並んでおり、自分の知識や経験をもとに回答できそうなものを選んで投稿する仕組みです。(以下、これまでに回答した実例の一部)
Quoraには、現実社会での困りごとに関する質問もありますし、そんな質問に答えることもあります。ただ、僕はどちらかというと、自身の疑問と重なる質問をみつけ、調べたり考えたりした結果を投稿する傾向にあるようです。
言い換えると、「知りたい!」を唯一の原動力として、誰かの疑問・質問に答えるために時間を使っているわけです。
それができるのだとすれば、「誰かの疑問・質問」の代わりに「自分のライフワークに絡む疑問・質問」へ意識を集中させれば、そのテーマについて考える時間を増やし、書く回数をさらに増やせるんじゃないか。そんな風に考えました。
「自らの問い」を考えつづけるために…
冒頭に「書けない病」ではなかったと書きました。「書けない」という結果だけを見ていては事態の改善は望めません。実際は、その手前にある「考えない病」への対処が必要だったわけです。
そんなわけで、まずは「自らの問い」へすぐに思考を向けられるよう傍に置くことにしました。具体的には、「ライフワーク疑問・質問リスト」を作成し、メモアプリ(Evernote)に入れています。随時、追記・編集もできるように。
しばらくは、このリストとともに生活していきます。
さて、どんな効果が生まれるのか。楽しみです。
◇ ◇ ◇
なお、『伝わる・揺さぶる!文章を書く』には、考えるヒントとなるフレーズが数多く書かれていました。未来の自分に向けて、以下に抜書きしておきます。(似た状況に陥っている誰かの助けにもなれば幸いです)
(追記)
山田ズーニーさんの連載1000回達成を知ったツイート。あらためて、おめでとうございます。
過去著作とあわせて「考える」題材をくださったことにも感謝します。ありがとうございました!
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