Perth 新しい日々
今日の東京は曇り、そして雨が降り出した。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
東京は緊急事態宣言が延長されるようですね。
あとどのくらい不要不急の外出をしないでと促すのでしょうか?
職場の後輩とも話しましたが、サウナに行けずに整えてませんとの事です。じゃあ他にどうしたらいいかなぁ。という話になりまして、メディテーションを提案してみたところ、共感していただけたので、少し嬉しかったです。
他にも、運動や、読書、散歩、密な状況に出て行かない手段はたくさんあるので試していきたいと思います。
noteを書いている方は、共感頂けると思うのですが、熱中して書いていると、あっという間に時間が経っていたということは無いでしょうか?
これも整いの一種なのかもしれませんね。
さぁ、そろそろ『ひとつ屋根の下』での江口洋介のようなロン毛にしたい。
(どうした急に!!)
はい、どうもー今晩もやって参りました。よろしくおねがいします!!
旅の青年はノーザンテリトリーのダーウィンから、西オーストラリアのパースへ向かっているようです。
地図を貼っときましょうか。ぺた。
まったくでっかい大陸だぜ。頼むぜ!!
今日はもう本編にいっちゃいます。
それではいってらっしゃい。
Perth 新しい日々
ナイトクラブではしゃいだ翌日、まだ日が明けきらない早朝。辺りは真っ暗だったなぁ。
ダーウィンのバスストップで飛行場まで行くバスを待つ。
街から飛行場は近かったけど乗り遅れたくないから早めに向かったんだ。
次の街は西オーストラリアのパース。実は、ブリスベンの語学学校に通っていた時、日本人の女の子ちさちゃんが「いつか私パースに行きたいの」って言っていたのを聞いた時から、なんとなく気になっていて、行ってみることにしたんだ。俺が出会った旅のみんなもパースはいい街だなっていう。単純に興味があった。
パースでしばらく働いてから東南アジアに旅に出たかった。
そういえば、ダーウィンで出会ったじゅん君も東南アジアを旅してきたとかで、国境の越え方とか、物価だとか、安全かどうかだとか。気になっていた事は全部聞いていたんだった。それで何となく道が開けたのかもしれないな。なんてことをさ、パースまで行く飛行機の中で思っていただろうね。
オーストラリアはでかいからさ、同じ国の中に時差があるんだ。確か、2、3時間日本よりも遅れてるんだ。ダーウィンからは何時間くらいかかったのかな。着いたのは朝9時頃だった気がする。
十月のオーストラリアと言えば春先だ。
ダーウィンは暖かかったけど、パースは少し涼しかった。
空港を出たら光が射していて、僕は青空を見上げた。
ジャンパーに袖を通して、これから起こる新しい日々の出来事なんかを想像していてさ、そう。いつだってそうなんだ。本当に期待してたようなことが現実に起こってくる。そういう旅にしてる。って言うかなっているから、今回も期待してるぜ。
これを書いている今、俺はもう実家の千葉県、日本にいるよ。特に変わったこともなくて、ただ黙々と英語のスキルを上げたり、これを書いたり、日本の生活にまた馴染むように頑張っている。これからなんだ、いつだってそうじゃん。俺はやるぜ。と、まぁ意気込んだところで、この素晴らしい思い出ってのは消えないわけだし、これからの生活の中でどんどん輝きを増してって欲しいことなんだ。
パースに着いてから、僕はケアンズで出会ってみんなでなんどもBBQをしたりして仲良くなったフレンチのモナが泊まっていて、ルームメイトだったセドリックもお勧めのパース中心地から程近い安宿に向かった。
目指す場所があるってのは心強いもので、そこを拠点に仕事も探せるし、意気揚々と向かっていった。
空港からのバスはパースの中心地に着いた。だけども、やはりそこからどう動いていいかがわからない。またいつものようにわくわくしてくる。
あぁ。迷うってのはたまには心地いいぜ。みたいな感じで、いい顔していたと思うんだ。
何とか見つけて、そのまま宿にチェックインした。やっぱドミトリーなんだけどさ、三人部屋で、なかなか広くていいんだ。
そこのルームメイトが、「ヒッチハイク」でオーストラリアを縦横無尽に動きまくってるっていう、なつき君と、まさき君の二人組。年も近かったし、僕たちはすぐに打ち解けた。
ダーウィンから来たって話してたら確か、なつき君の荷物がダーウィンに置いているとかなんかで、じゅん君の事も知っていたんだよね。
こんな偶然がよく起こるんだ。
俺も今日来たばかりだし、彼等も昨日の夜中、外の車で車中泊したみたいで、同じタイミングでパースに着いたっぽかったし、ガールズドミにモナもいなかったし、一緒にパースの街に出掛けることにしたんだ。
この日も快晴。青空の下、キングスパークの高台からパースの街を一望した。
パースの街には無料で乗れるバスが走っててそれに乗っていけば、だいたいどことでも連絡取れるんだ。帰りはそれに乗って帰ってきたよ。
それにしても、キングスパークの空とか、公園の緑とか、色あせないだろうな。平和な街だったなぁ。この時もケアンズの時同様に、隙さえあれば仕事を探してた。
宿に戻ると、たくさんの日本人、台湾人がいた。どうやらここは、アジアのみんなにも人気らしい。そっちの方が友達も出来やすいから安心だ。たつ君とも、しょう君とも、こう君ともここで会ったなぁ。そんでもってさ、モナにもケアンズぶりに再会できた。嬉しかったなぁ。俺まだ全然英語喋れなかったのに、かまってくれてさ、いい子なんだよ。
翌日、モナと一緒に「カンガルー」が放し飼いにされているっていう近くの島に行くことにした。そこは街の中心地からでも歩いていける距離で、街はずれの川を渡る橋の途中から行ける小さな島に柵がしてあって、その中に入っていくと、もうそこはカンガルーの住家なんだ。
あいつら可愛くてさ、人の事も恐れてないし、なんかオージーにそっくりなおおらかな感じで好感持てたなぁ。
カンガルーと一通り遊んで、モナにパースのこといろいろ聞いてダーウィンの事とか話した。
そして俺は、いつも宿で出会ったみんなとパースの船着き場にある、アナラキシムっていうカレー屋に行ったりして、そこは決まった値段がなくて「ドネーション」で払うシステムだったから、その頃金がなかった俺達は、小銭でお腹満たしていた。
それから夜飯も節約したかった俺達は、パースの駅の近くの公園でやってる「ホームレス」への炊き出しにも交じって、晩飯代も浮かせてた。
まったく今思えば何やってんだって話だよな。
ある日、なつき君と俺と、モナとネイラで一緒にみんなしてパースのカジノまで行った。俺達は金もないし遊びはしなかったけど、中に入ってどんなもんか見てきたよ。
カジノから、カンガルーのいる島は近いから、またみんなで一緒にカンガルーと遊びに行ったんだ。
あいつら相変わらず可愛かったなぁ。モナももうすぐシドニーに行っちゃうっていうけど、俺達炊き出しいかなくちゃいけなかったからカンガルーの島から走って帰ってきちゃったんだ。
そんなこんなで始まったパースでの生活。来る日も来る日もカメラを片手に仕事を探していた。
そんな時、道端でピノキオっていう香港の子に出会った。この話は香港の時に。
編集後記
そういうことなんです。
今回も読んで頂き、ありがとうございます。
こうして始まっていった西オーストラリアでのパースの日々。
ここでも忘れられないくらい輝かしい日々が僕を待っています。
まじで、『光の中を旅してた』っていうタイトル通りの胸熱な展開が繰り広げられていきます。次回以降も乞うご期待願います。
パースでは約三ヵ月くらい過ごして、一回目のワーキングホリデーのビザが切れるタイミングで、東南アジアへの旅が始まっていくんだ。
東南アジア編もマジで、熱い!! 日本編のような、旅に次ぐ旅が繰り広げられていきます。これはひょっとしたら前半のクライマックスかもしれない。
自分の旅をこうして振り返ってまた興奮してる。
ありがたき思い出。みなさん、好きな事していきましょう。
みんながみんなそうできたら、世界はどうなるかな。想像してみて。
出た!! イマジン!! ここで。思いっきり、ジョンレノンにあやかって、今回の記事に意味を持たせようとする男!!
さて次回は、パースの近くの海が綺麗な街フリーマントルでのお話をシェアしていこうと思います。楽しみにしててください。
インディアンオーシャンの目の覚めるようなブルーの写真と共にお送りしていきます。
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よろしく。またね!!