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一年は早いのか遅いのか

歳を取ると一年が早く感じる、と言われる。
しかし私は、一年が早いのか遅いのか、正直わからない。

昨年11月末に35歳になってから、2ヶ月以上が経過した。はっきり言って35歳は若くない。
ただ、それでも私は、若い頃より一年を早く感じるとは断言できない。

遅く感じることもあるし、早く感じることもある。本当にわからないものだ。

それよりも、一年は「重い」と感じる。
早い・遅いは大した問題ではない。
生き延びている限り、一年は誰でも等しく訪れる。
誰がどのように感じようが、一年は確実に存在するのだ。

そして一年で自分は何を成し遂げたのか?
一年をどう過ごしたか?

人間なのだから、時にダラダラ過ごしても良い。
人間なのだから、重い腰を上げて努力を重ねても良い。
人間なのだから、最初からフルスロットルで努力を続けても良い。
過ごし方に正解などなく、どのように過ごしても一年は平等に訪れる。

正解がないからこそ戸惑い、焦る。
どのような過ごし方を選んでも、結局は時間が流れるだけだ。
そして、自分の思い通りに過ごすことができたのか、それとも思うように過ごせなかったのか、後になって気づくことも多い。

だからこそ、一年は「重い」と感じる。
決して軽く捉えることはできない。

一年の過ごし方の成果は、後になってわかる。
この一年が自分に何を与えたのか、それが理解できるのはもう少し先だ。
今はただ、「一年が経った」という事実が目の前に存在するだけで、その実態がよくわからない。
わからないからこそ焦り、迷い、一年を「重い」と感じてしまう。
早いのか遅いのかは大した問題ではない。


一年が経つ。
また一つ歳を重ね、死に近づき、また一つ学ぶ。


さて、この文は、昨日私がスレッズに適当に書いた文章を無理やり広げたものである。
今、いろいろやることが多く、マイペースに文章をのびのび書く余裕がない。
しかし、インスタやスレッズに適当に書いた文を無理やり冗長に広げることはできる。

昨年の今頃の寒椿(カンツバキ)の写真とともに、適当に書いた文だ。


一年の重みは実感している。
振り返りつつ、これからの一年のことを考える、つもりだ。




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