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【まいぶっく15】思いを手紙で~ かはたれ ― 散在ガ池の河童猫
「かはたれ」
初めてこの言葉を聞いたのは、大学生の時。
「変な言葉だなあ。『馬鹿ったれ』とか『くそったれ』みたいな意味なのかなあ。」と思った覚えがある。 ああ、恥ずかしい(^^;
かはたれ(かわたれ)
夜明けがたの薄明(はくめい)。おぼろげな光のなかで、かれはだれか見分け難いとき、の意。「彼(か)は誰(たれ)」。かわたれどき。古くは、夕暮れどきもこう呼ばれた。 (「かはたれ」のカバーより)
こんなお話・・・
河童の八寸。81歳だが人間で言えば8歳くらいのまだこども。
たった一人で沼にすんでいる。
ある日、河童の長老に「猫」に姿を変えられて、人間の世界に修行に出される。
気をつけることは・・
「水」水をあびると元の河童の姿に戻ってしまう。
「月の光」河童の姿に戻っても3度まで助けてくれる「珠(たま)」。使ったら必ず 月の光で 充(み)たすこと。
「猫」の八寸がたどりついたのは、父親と二人暮らしの小学5年生の麻(あさ)の家。
麻にシャワーで洗われた八寸は、元の河童にもどってしまった。
「猫なの?河童なの?」と悩む麻。
さらに、自分の見方感じ方に自信がもてなくなっていく麻は・・・
書きたいことがたくさん
八寸のひとりぼっちさに、胸がしめつけられる。
考えて考えて、わからなくなっていく麻が切ない。
麻のお父さんのつらさや悩みが、心にしみる。
月のシーンが神秘的。
河童に戻った八寸がトイレットペーパーで遊んでぐるぐるまきに。(ミイラみたい(^^) )
陶芸家の浜先生の素晴らしい作品。芸術家っていいなあ。
など、あれもこれも書きたいことが、たくさんある作品。涙も出たし笑いもした。
どれを書こうかと、読み返しているうち、何度か登場する「すみれ色ノート」が、お話の中で 「大事な役割を担っているのでは?」と 思い至った。
すみれ色のノートに
その1 麻と母親~きれいなものをいっぱい書こう
「今日どんなに気持ちがよかったか、麻が見た きれいなものを 全部書いてみたら、どうかな。お父さんが後で読めるように」
お母さんは、いつかの すみれ色のノートを 取り出してきた。
「麻がどんな気持ちだったか、ってこともね。」
まだ幼い娘に、母親はこう提案した。そして、二人で相談しながらいろんなことを、「すみれ色のノート」に書いていく。
ふわりと頬をなでていく風が どんなにたくさん春の匂いを ふくんでいるか。ひっきりなしに歌っているのに、まだあまり上手でない鶯(うぐいす)の鳴き声のことも。
さらにその対象は、「見えるもの」から「目に見えないもの」「耳に聞こえないもの」に広がっていく。
「きれいなものを書いてみよう」こういう発想は素敵だなあと思った。
麻が美しいものに気づいたり、隠されたものに気づいたりという力を養ったのには間違いないだろう。
自分の心に余裕がないと、周りの美しいものや 季節の移り変わりに気がつけないものだ。
まだ私が、仕事をしていたころの話。
母が「桜が満開だよ」「花しょうぶがきれいに咲いてるよ。」と家の畑に花が咲いたことをよく話していた。でも、毎日見ている場所に咲いているにもかかわらず、私は全く気づいていなかった。
朝、家を出る頃は、頭の中は、今日の仕事の段取りでいっぱいだった。
帰ってくるころは、もう暗くて畑の花など見えない。
(今は、あの頃に比べると、芽が出た、伸びた、つぼみが出たとすぐに気がつくようになっている。)
その2 麻~自分の気持ち
あのころのように 自分の気持ちや考えを 書いてみれば、少しは考えがまとまるかもしれない。
母の死後、自分の気持ちや感じ方に自信がもてなくなった麻は、同じ「すみれ色のノート」に今、悩んでいること迷っていることを書き出す。
あれは猫なの河童なの?
先生が、「きれいな黄色のフリージアでしょう」って言わなくても きれいな黄色のフリージアだって 私は思っただろうか。先生がそう言ったから そう思っただけじゃないのか。
私も今まで何度か、自分のもやもやした心持ちを「書く」ことにぶつけたことがある。それも後から読めないような、なぐり書きで、ぐちゃぐちゃと。
書いたからといって、解決したわけではない。それでも少しは心が軽くなった覚えがある。
でも、麻は「すみれ色のノート」に、自分の気持ちを書き出しても、ますますわからなくなって、さらに自分の感じ方に自信がもてなくなっていく。
その3 父親~思いを手紙で
娘の麻が、自分が見るもの聞くものに 自信がもてなくなり、うまく言葉も出ないようになっているのを 学校からの連絡で知った父親。
そして見つけた。 麻が思いを綴った 「すみれ色のノート」 を。
これは父親として取り組むべき、今までにない正念場だと感じた。
(中略)
病院から逃げ出したように、たぶん麻の気持ちからも逃げていたのだ。
(中略)
手遅れにならないうちに、自分には何ができるだろう。
そして父親は、悩んでいる娘の麻に対して、直接話すのではなく「すみれ色のノート」に手紙という形で思いを伝えた。
父親として、
人生の先輩として、
一人の人として、
そしてともに生きる同志として、
言葉を、思いを綴る。
自分の若い頃の夢、
星野道夫さんの「旅する木」からの引用、
麻の母親が好きだったというロミオとジュエリエットのセリフ、
長い時間かけて 書いたその手紙。
「手紙で伝える」
ああ、こういう方法もあるんだなあ。この手紙、とても心にしみ入り、何度も何度も読み返した。
直接話を聞いたり、励ましたりすることも大事なことだとは思う。でも、時には「手紙」も、相手の助けとなる大きな力になるということを知ることができた。
「真剣に向き合った言葉は、人の心を動かす。」
きちんと麻のつらさと向かい合ったことで、麻の心は軽くなっていく。手遅れにならなくて良かった。
* * * * *
「かはたれ」の続編は、「たそかれ 不知の物語」(福音館書店 2006年)
麻は中学3年生。学校のプールにすみついた河童を 助けにくる八寸に 再会。
こちらもお気に入りの作品である。
かはたれ-散在ガ池の河童猫
朽木 祥 作
山内 ふじ江 画
福音館書店 2005年
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