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2024年の写真と本

毎年、年末には1年間に撮った写真や読んだ本を振り返る文章を書いている。ただ、なんとなく今年は書かなくても良いかなと思っていた。

だけど、年末にかけて色々とトラブルが巻き起こり、「いや〜困った」という感じになってしまった。そうなると、焦って物事を進めるよりも、ゆっくりと文章を書く時間を持ちたくなった。とりあえず書くことから始めてみたかったのだ。そう思って、年末に書いた文章をnoteにも載せてみる。

読んだ本

今年読めて良かった本を記録してみる。全部で71冊の本を読んだようだが、18軒の家を渡り歩いたので、読書が捗る環境の家だった場合以外は、フライトや電車などの移動中に読んだのだと思う。

読書環境には、電球色(オレンジ)のライトとソファが欠かせない。だが、そういう環境の家はほとんどなかった。ソファが恋しい。あとはダイニングテーブルのある家だと、ご飯を食べながら本を読むという習慣が形成されることに気付けたのは収穫であった。

同時に、「家」という空間への問いも立ち現れてきた。「生活」と言い換えてもいい。「家の哲学」や「居場所のなさを旅しよう」などを読んでいても思ったのだが、人々が暮らすスタイルはあまりにも個人的なので、対話をしようにも分断が生まれやすいということであった。

各自の物語の良し悪しを語るのは時に面白いけど、どこかに橋を掛けて、同じ出発点から対話できないだろうかと思ったりする。なので、これらの取っ掛かりになりそうな本は読んでいきたいし、最近は「ファッションスタディーズ」という分野を知ったので、哲学的・社会的な観点から、広義的な家としての「服」を捉えてみたい。

今年読んだ本は、以下でリストにしている。毎年思うのは、「今年は幅広い分野の本を読んだぞ〜!」という実感があっても、こうして並べてみると、なんだかんだ順当に自分が読みそうな本を読んでいることだ。

読みたい本は無数にあるので、わざわざ興味のない分野の本を読もうとは思えないのだけど、「絶対になし」だと固定せず、目に留まった本は今後読んでいきたいと思う。

・旅をする木(星野道夫)
・居場所のなさを旅しよう(磯前順一)
・臆病者の自転車生活(安達茉莉子)
・影との戦い ゲド戦記1(アーシュラ・K・ル=グウィン)
・お嬢さん放浪記(犬養道子)
・不完全な司書(青木海青子)
・生涯未婚時代(永田夏来)
・知の体力(永田和宏)
・暗闇のなかの希望 語られない歴史、手つかずの可能性(レベッカ・ソルニット)
・神谷美恵子 島の診療記録から(神谷美恵子)
・転職ばっかりうまくなる(ひらいめぐみ)
・忘れられた日本人(宮本常一)
・まなざしの地獄(見田宗介)
・中学生から知りたいウクライナのこと(小山哲、藤原辰史)
・「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済(小川さやか)
・チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学(小川さやか)
・密やかな結晶(小川洋子)
・スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険(谷川嘉浩)
・生きるとは、自分の物語をつくること(小川洋子、河合隼雄)
・センス・オブ・ワンダー(レイチェル・カーソン、森田真生)
・人類学とは何か(ティム・インゴルド)
・博士の愛した数式(小川洋子)
・心はどこへ消えた?(東畑開人)
・武器としての土着思考(青木真兵)
・虎のたましい人魚の涙(くどうれいん)
・コーヒーにミルクを入れるような愛(くどうれいん)
・生きのびるための事務(坂口恭平)
・野生のしっそう(猪瀬浩平)
・街場の親子論(内田るい、内田樹)
・はてしない物語(ミヒャエル・エンデ)
・溺れるものと救われるもの(プリーモ・レーヴィ)
・生成と消滅の精神史(下西風澄)
・ありのままがあるところ(福森伸)
・センスの哲学(千葉雅也)
・21世紀の楕円幻想論(平川克美)
・夜明けのすべて(瀬尾まいこ)
・東大ファッション論集中講義(平芳裕子)
・超バカの壁(養老孟司)
・濃霧の中の方向感覚(鷲田清一)
・人間たちの話(柞刈湯葉)
・家の哲学(エマヌエーレ・コッチャ)

撮った写真

今年は「フィルム」という存在が、常に傍にあった。スペインで暮らすことは、自身へのひとつの区切りであったのだが、そこに立ち現れてきたのが、「フィルム」という存在なのだと思っている。

写真を撮る際に、「佇む」ということが増えた。「途方に暮れる」と言ってもいい。目の前にやってきた流れを逃してしまうこともある。だが、それは運を持っていなかったわけではなく、自身の気持ちとその流れを共存させて観察する機会でもあるのだと思った。

ずっと撮り続けてきた「デジタル」に対して、「フィルム」はどのようなものであるのか。確かにデジタルへの興味が薄れた時期もあったが、両者に明確な線を引いて分けるのではなく、その淡いに漂っている「撮る」を捉え続けてみたい。その上で、来年はフィルム文化をさらに探求していきたいと思い始めたのだった。

フィルムを取り巻く文化にまで興味を持てたのは、信頼しているスペインのフィルム現像所「Carmencita Film Lab」と出会えたことが大きい。今年の初めにバルセロナの家を引き払い、想定外のスペイン移動生活が始まった。今後の不安を抱えていたとき、たまたま現像のためにフィルムを持ち込んでみると、フィルムへの情熱の高さ、そして何より仕上がりとケア体制が素晴らしく、まさに生活に光が差し込んでくるようであったのだ。

フィルムカメラはほとんど中古だけで市場が回り、フィルムは新品ではあるが年々値上げしている。それでもフィルムを使い続ける人たちがいる。そのおかげなのか、世界中どこに行っても、フィルムカメラやフィルムの価格はほとんど一定である。何か動きがあれば、世界中のフィルムコミュニティが連動していく。そういった「うねり」のようなものは、なんだかおもしろい現象だと思ったのだ。自身もそういった「うねり」に巻き込まれて、撮り続けてみたいと思う。

では、今年撮った写真を載せてみる。書かれているのは、自身で撮った写真を見返してみて、自然と生まれてきた文章である。当時の思い出を語ることもあるし、一見関係のなさそうなことを連想して書かれていることもある。自分にとっては、日常の発見を探求する過程に、写真と文章があるので、このような混ざり合った形になるのだと思う。

追い出されるように、住む家を出た。家が帰る場所であるという気持ちが消えかけていると、まるで社会から自身の存在がなかったことにされているような気持ちになるのだと知った。行き場所のない中で、ただ居ることのできる場所があるのは、どれだけ嬉しいことか。腰を下ろせる空間(無料だとなお良し)があるほど、「人」として暮らせる街なのではないかと思う。

長らく、バルセロナという街に惹かれ続けてきた。いつしかそれは神格化されたものとなり、亡霊のように付いて回るようになった。「好き」と言うことは、ときに「好きではない」と言えない縛りが科されることがある。理想化することで支えにしていた存在が、崩壊してしまうのは怖いことだ。だが、「好き」の中には、大変でめんどうで意外と微妙であったりする瞬間があるものだ。そうすると、バルセロナは亡霊ではなく、地球上に数ある街の中で、思い出が確かに存在する、ひとつの街だと思えたのであった。

知らない電車と知らない景色から、見飽きた手元へと視線が移り変わっていく過程に、「生活」があるのではないか。スマホばかり見ている現代人への批判をたまに見かけるが、人が少し背中を丸めている様子と、そこに光が差して作り出される影は、案外美しいものであると思っている。

散歩が好きだと長らく思い込んできたが、カメラを持ち歩くことが多いので、そうすると感じ取る情報量が多すぎて、案外疲れてしまっていることに気付いた。ついに言うと、雨が降ったり、花粉が飛んでいたり、暑かったり、寒かったりすると、歩くことが格段にめんどくさくなる。だが、「散歩なんて好きでもなかったか」と思って出掛けてみると、確かに「歩いて良かった」と思える瞬間が来たりするのであった。

「不在の存在」という現象について、たまに考えるようになった。そんな現象があるのかは知らない。だが、感触として覚えたのだから仕方がない。「そこにいない」という見方をするとき、「いるはずであった」という前提があるように思う。言葉だってそうだ。言葉の広がりに感嘆はするけれど、言葉の限定性を決して甘く見てはいない。同時に、言葉で表現できないことを写真に任せられるほど、写真はメディアとして機能していないだろう。言語、非言語と簡単に切り分けて考えられるものではないと思うのだ。

この写真をとても気に入っている。どうしてなんだろうか。まず、撮る際に「木が佇んでいる」という認識があり、思わず目を惹かれたのだ。その「佇む木」に対して、縦にラインが入るように少しだけ影が掛かっているところが、素晴らしく美しいと思った。奥に立つ街灯がニョキっと顔を出していて、道路に伸びる影は生き物のようだ。「騒がしさ」と「静けさ」が共存しているように思えた。いつだって、その両者が共にある写真を撮っていたいと思い返せるからこそ、この写真を気に入っているのかもしれない。

対話において、沈黙がもたらす作用についてよく考える。ためらいや言い淀み、間が許容されている場は、自身の気持ちを点検するように話すことができたりする。だが、遥々異国からやってきた男4人で、颯爽と海へと出掛けたのに、会話が途切れて沈黙がちの車内では、「それは違うじゃない」と思ってしまうものであった。あれはしんどかったな...

数年ぶりにダイビングをした。あれだけスムーズに身体に馴染んでいたものが、これほどまでに崩れていたことを受け入れるのには、時間が掛かった。ダイビングというものは、海という自然に身を任せるところから始まる。だが、強張った身体は、息を吸おうと過剰なまでの反応を見せる。潜らない期間に抱いていた、呼吸で身体を動かすことへの理想は、すぐにかき消されてしまう。「潜る」という身体性への過信ばかり育ってきていたのだと実感した出来事であった。感覚を取り戻すには、さらに回数を重ねる必要があるだろう。それでも、「潜る」という行為は、決して幻想的な身体性ではなく、浮き沈みすることの平熱性を思い出させてくれるものである。

中判フィルムカメラを手に入れた。一般的な35mmフィルムカメラとの違いは色々あるが、36枚撮れる35mmに対して、今使っている中判は1つのフィルムで12枚しか写真を撮れない。何でも撮っていたら、すぐにフィルムを撮り切ってしまう。そういう撮る際の体験が異なることにまず驚いた。そもそも、中判も二眼レフというカメラも扱うのは初めてで、あらゆることが新鮮な体験となって楽しかった。撮影する度に手動でフィルムを巻き上げる必要があるのだが、今まで35mmでそのような習慣がなかったため、何度も巻き上げを忘れてしまう。そうして仕上がった最初の現像では、1つのフレームにいくつもの情景が重なっていた。そのときの思い出が凝縮して写り込んでいるようで、写真なのに写真ではないような姿に思わず感動した。もう今は巻き上げを忘れることは稀になってしまった。あえてしないで撮るときもあり、それは技術的には向上ではあるのかもしれないが、少し寂しくもあるのだった。

友人をこうして撮影できたのは、間違いなく、今後への布石になった出来事だと思う。人物を撮影することは、「ポートレート」と言われている。思えば、自分はこの「ポートレート」という存在との距離感をずっと計りかねていた。簡単に物語性という言葉で語られやすいことにも、もどかしさを感じていた。果たして自分は「ポートレート」を撮りたかったのだろうか。そう問い直してみると、自分は「ポートレート」を撮りたいのではなくて、日常の発見であったり、対話が成されたりしたプロセスの先に、「撮る」が構えているのであった。どこを出発点をするかは自分にとって大事なことであり、その結果がどのようなものであれ、始まりを捉え続けることが何かをつくる原動力なのだと、このときに気付けたのだと思っている。

ラ・コルーニャ(A Coruña)という街が、スペインにはある。北部のガリシア地方にある小さな港町である。第二の故郷と言えるような場所が、まさかこのラ・コルーニャになるとは思わなかった。当時は1ヶ月ごとに住む場所を移動していたのだが、その法則を破って、2ヶ月間いることに決めたのだった。自分がどのようにして街を好きになるのかは、今だにわからない。そういう微細な感覚を忘れないためにも、ラ・コルーニャにはまた必ず行きたいと思っている。

屋上で洗濯物を干すのは楽しいと知った。洗濯機から洗濯物を取り出し、籠に入れる。籠を抱えて部屋を出て、エレベーターのボタンを肘で押す。屋上に上がると、いくつもある洗濯紐の中から好きな場所を選び、洗濯物を洗濯バサミで留めていく。広々とした屋上で、干した洗濯物が静かにはためく。なんだかその情景を見ると、満足感があるのだ。屋上が使える宿のあった場所は、乾燥した気候であったので、数時間もすれば洗濯物が乾いてしまう。わざわざ屋上に干さなくても、部屋に干す場所があるのだけど、つい屋上まで足を運んでしまうのであった。

もしかしたら、自分にとって写真を撮ることは、日常的な行為ではないのかもしれない。ものすごく不自然で、違和感のある行為。ときにめんどくさく思えて、疲弊することもある。それは、わざわざ行うことで生じる重みに対して、とても受け止めきれないと思うからではないだろうか。長年撮り続けてきて、その受け止めきれなさを認めたくないと思うこともあった。だが、重みがあるこそ、その実存の温かみを感じられることもある。「撮る」と「撮らない」の間に、自身で枠を設けるのではなく、ままならなさの前で、立ち尽くすように写真を捉えていたいと思う。

歩くことは、何かから遠ざかろうとする行為である。それは悩みであるかもしれないし、もう戻らないと決めて物理的に離れることでもあるかもしれない。「逃げる」という言葉に付随する意味合いは計り知れない。だが、少し言い換えてみると、「落ち延びる」と言えたりする。その言葉に対して、自分は好印象を持っている。どこに出発点を置くかで、「落ち延びる」という行為は、むしろ始まりに繋がるのではないかと思うからであった。

スーツケースに入るだけの荷物で生活していると、これ自体が自身の「家」であると思うようになった。普段出掛けるときと、スーツケースを持って移動するときでは、道の見え方も変わってくる。たとえば、旧市街の石畳の道は壮大な風景ではあるが、自分にとっては「家」の耐久度を下げてくる悪路である。都市はコンクリートジャングルと言われるが、石畳や舗装されていない道を歩いてみると、コンクリートがどれだけ「まろやかなもの」であるか気付く。「家」を抱えて歩くのは大変ではあるが、予想していなかった光景や気持ちが見えてくるのであった。まろやかさは、取っ掛かりを全て排除してしまうのではなくて、受け止めきれない尖りだけを削ってくれるのかもしれない。

ベルリンにはずっと行ってみたかった。そこに住んでいる友人やアーティストなどを通して、何年も前から自身の中に漂っている場所であった。大いに期待して訪れたベルリンは、その期待に念入りに応えてくれる街であった。数日間でたくさんのおもしろさと、大変さに見舞われた。理想と現実とはよく聞くが、それらは綺麗に分かれるのではなく、人は見たいように見るものであって、それでもどこを観察点とするかが、人との違いのおもしろさになるのではないかと思った。

写真においての距離感。思うのは、距離感というのは帰結にやってくるものであって、その過程の最中には、見つめた先にあるものとの対話が開始された時点での「撮る」が存在するのではないかということだ。だから、引いて撮ればいい、近付いて撮ればいいとかではなく、ここから始まったと思える場所を感じ取ることに着目していたいと思っている。

いくつかの街に滞在すると、そこで見聞きした話を「現地の声」と簡単にまとめたくない気持ちが生まれた。だが、事前に言われていたり、ニュースで流れていたりすることとは、異なった生活がそこにあったりすると、どのような語り口でいたいのかわからなくなる。自分はいつも「外と内」「地域」といった語り口に、得体の知れない気持ち悪さを覚えてしまうのだ。それは、そこに存在する人や自然の「生活」が見えなくなってしまうと思うからかもしれない。そのようにまとめたくはないという「ためらい」を抱えながら、「生活」を続けたいと思っている。

トビリシにて、近所の猫に引っ掻かれて、スーパーまでの道を自由に歩き回っている犬たちに威嚇される生活が続くと、犬猫も野生動物なのだと実感する。めちゃくちゃに吠える犬3匹をお尻に感じながら、絶対に走らず振り返らずに歩き続けることは、慣れようと思って慣れるものではなかった。だが、決して犬の目を見ないことで、ある程度牽制できることに気が付くと、生きのびる術を覚えたと思った。そう思うと、友好的な猫もいて、彼にはまた動物を信じてみようと思える希望をもらったのであった。

以前、『「フィルム・ブリコルール」と「デジタル・エンジニア」の共存』という話を書いたのが、改めてほんとにそうだなぁと思っている。ツギハギしたように生きる人々と家に触れると、一見カオスであるように思える。だが、その中でも確かに彼らの中に秩序は存在しているのだと実感する。誰しもが、全てをブリコラージュして生きているわけではなく、エンジニアリングを施すように計算して積み重ねているものがあったりするのだ。今年はたくさんの街を見てきた。だからこそ、人々の「生活」をわかった気にはなりたくないし、それでもわかろうとしたいのだと思えたのだった。

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2024年はたくさん移動をして、たくさんの写真を撮り、文章を書き、本を読み、対話をしてきた。だから、どのように写真を選ぼうか迷った。写真を選ぶというのは、大事な作業であり、なんなら何を見せるかという編集点が、見せどころなのかもしれない。

だけど、つくるものはつくれる。つくってしまうとも言えるわけで、誰かに見られるために何かの枠に収めようというのは、ときにはやりがいであり、ほとんどは苦痛を伴うものであった。だからこそ、その先のことは、AIと協働していこうかと最近は思っている。

フィルムだって、既に多くの人たちの協力があって、仕上がっている。全て自分ですることが良しだとも思わないし、手放すことの心地よさとためらいを見過ごしているとも思っていない。なので、AIに手伝ってもらうことを「ガイドを頼む」と呼ぶようにしていて、共存する相手として共にありたいと思っている。

年末になると、「良いお年を」とは言うが、実はあまり納得感のある言葉ではないと思って使ってきた。だけど、区切れないことを区切ろうとするのは、むしろ人間味があるかもしれなくて、そういうのも良いかなと思えた年の瀬であった。

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