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KOKORO・KUBARI 最終話
さて、ついに最終話
散々話を引っ張りやがって
との指摘も
最初から本題に入って入れよ
なんて話も
読者から聞こえてきそうだが、
十二分に承知しているが
まあ、これもnoteの良さと思う
私は私のスタンスを貫きたいと思う
時間の許す限り読んで欲しい
そしていつも好きをくれる読者の皆様、本当にありがとうございます
では、堅苦しい前置きも済んだところで
最終章KOKORO・KUBARI
スタートします
目配り、気配りまでお話をさせてもらった
今回は心配りについて話したいと思う
まず、心とはなんだ
目にも見えないし
わかるスケールもない
ただ、1つ言える事は心をつかんだものは
心を掴まれたものにとっては、とてつもなく強烈なインパクトを与えると言うことである
あなたが最近ハマっているものは何だろうか?
ゲームか
アニメか
はたまた韓流ドラマや
イケメンのアイドルなのか?
これらもあなたの心をつかんだものと言えるだろう
つまり、心配りの最終ゴールはビジネス的に言えば、心配りを行った人へのファン獲得の道筋でもあり
また、ここへ行きたい
また、このご飯を食べたい
また、この音楽を聞きたい
など、行動心理へのアプローチとも言えるだろう
先ほどまでの話はビジネスチックなお話を話させてもらったが、日常的に行ってもそうなのである
例えば
コンビニエンスストアに行ったとして
いつものバイトの人と思われる接客か
コンビニエンスストアの店員なのに
所作が綺麗で、話し方が丁寧で、表情がにこやかで
活き活きと仕事をしていたらどうだろう?
少なくとも私はとても感動するタイプである
どこかで、我々は大体こんなものだとイメージしていることも少し変わったサービスを受けたときにとても感動することがある
さらには、この店員の人間性の凄さに感銘や尊敬するだろう。
心配りは読んでで字のごとく心を配ると書くので
自分が心配りをしたい相手に対して
相手にどうしたら喜んでもらえるか?
相手にどのようなサービスをすればまた聞きたいと思ってもらえるのか
相手の心が穏やかになったり
相手の悲しみを癒すことができたり
相手が特別な時間を満喫できるように
など
この相手の視点に立ちながら行うこと
これこそが心配りなのである
いわゆる道徳心とも言えるだろう
皆さんは少しこの話を聞いて、もしかしたら気づいた方もいるかもしれない
ACジャパンのコマーシャルを見たことがある方も最近は多いのではないだろうか
ACジャパンは、啓発活動のコマーシャルの内容が多いのだが、このコマーシャルが流れる時は
ただ、単純にコマーシャルの差し替えだけではない
危機的、問題性のあるネガティブな状況の時に流されることが多くて
我々一人一人が考えるきっかけを与えられるコマーシャルになっている
例えば震災があった時は、被災地支援ができるようなコマーシャルが出るのは、募金を募った上で
助け合ったり
協力したりしよう
と、言う道徳心に訴えかけられるものが多いのだ
これも、被災地に対しての心配りとも言えるだろう
日本の教育では、小学校の授業で道徳の授業があるが
目配り、気配り、心配りの礎になっている事は間違いないない。
目配り、気配り、心配りはやろうと思って、すぐにできることではない
業務的に行うのは、本当に大変なことなのだ
相手が困らないように注意し、相手の事を考え配慮し相手が過ごしやすかったり居心地が良かったり、心が穏やかになるような行動
これが【目配り、気配り、心配り】なのだと
私は考えている
注意しなければいけないのは、奉仕の精神という意味ではなく最終的には相手への配慮なのだ
とても重要なことなので
私の考えを長く書いてしまったが
昨今では、経済が不安定化し、戦争が起こり
そのため、人々の心も荒んでしまいそうになることも多いと思う
誰かを蹴落とすために、嘘偽りを流したり、誹謗中傷の類が多くなってきている
私は少しでも世の中が平和になればいいなと常日頃思っている
これは嘘偽りなく本心である
だからこそ、私は自らの行動を考えながら
どんなに辛い逆境でも
立ち向かってきたつもりだ
これからもそれは変わらず、私の手の届くすべての人に出来る限りの私のKOKORO・KUBARIを届けたいと思う
読者の方へ
今回のnote執筆して、私から読者に向けて伝えたい事は
仕事でも良い
日常生活でも良い
あなた自身もあなたの周りにいるすべての人が
穏やかで、心が満足感が得られ平穏な日常をより長く続けられるように
目配り、気配り、心配りといった相手への配慮を
ぜひ行ってみて欲しい
すぐに実を結ばないかもしれないとか
自分はそんな配慮されたことがないから
なんて思うかもしれないが
悲観する必要は無い
takeを求めてはいけないのだ
家族でも
友達でも
彼女でも
彼氏でも
テイク(take)を求めるのではなく
ギブ(give)から入ることが
あなたにとってのすべての人生の転換期なのだ
順風満帆な人などいない
あなたを大切に想ってくれる人は必ずいるから
そうやって、私自身も言い聞かせながら
日々を生きている
このnoteが誰かの心に
温かい光が差し込むものになっていることを願うばかりだ
Hiro
KOKORO・KUBARI
終わり