【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第二章「槻の木の下で」 前編 9
集団生活が長くなると、そこにははっきりと上下関係ができるもので、それが年齢や入学順によるものであれば、ある程度納得もいくのだが、謂れのない理由によって、明確に線引きされることがしばしばある。
これが、単なる当人同士の喧嘩程度なら良いが、周囲を巻き込み、仕舞いに集団で一人を傷つけるようになると手が負えなくなってしまう。
旻の講堂でも、群臣の子弟が多く集れば、必然的に力関係ができ、そこに、ある種の「いじめ」に近いものが生まれた。
狙われたのは中臣鎌子である。
鎌子は、大きな目と太い眉を持っていた。身長もそれほど高くない。おまけに、難波津の頃に、荷方の真似事で港に出ていたため、肌は浅黒く、周囲から、
「あれは、隼人の子だ」
と言う、からかいを受けていた。
おまけに、鎌子が木簡に埋もれるかの如く勉強している姿を見て、
「中臣の小倅の癖に」
との反感も買うようになっていた。
が、当人は、そう言った周囲の態度には全く鈍感で、相変わらず真黒な顔をして、講読に励んでいるのであった。
そんな鎌子の日常を変える出来事が起こったのは、講読した木簡の数が彼の背丈の二倍に達した頃のことである。
その日、彼の定席はなぜか埋まっていた。
席は特に決まっている訳ではなかったが、そこには暗黙の了解というものがあった。
しかし、この日、吹負の隣の席には、御行が座っていた。
「悪いな、御行が、どうしても中を見てみたいと言うもので」
鎌子は講堂を見回した。
席は空いる ―― 旻法師の目の前だ。
彼は迷った。
他の席ならば迷わず座っただろうが、その席に座るのには躊躇した。
別に、旻法師の目の前だからではない。
いまの鎌子には、それは願ったり適ったりだ。
だが、問題はそんなことではなく、隣に座っている人物にあった。
隣の人物とは、蘇我入鹿である。
入鹿は、旻の講堂で並ぶものがいないと言われるほど優秀であった。旻曰く、「吾が堂に入る者、宗我太郎に如くは無し」と。
加えて、現大臣の長男である。
群臣の子弟の多くが、入鹿のことを鼻持ちならない人物だとして敬遠していた。
入鹿もまた、それを知ってか知らずか、彼らのことを無視していた。
鎌子は、別段、彼のことをなんとも思っていなかったが、講堂の皆とは一線を画するような入鹿には、やはり、どことなく近づき難いものを感じていた。
しかし、今日は席がない。
周囲にいる人間も、鎌子が如何するのか面白がって見ている。
早くしなければ、旻法師が来てしまう。
彼は覚悟を決めて、問題の席へと就いた。