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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 前編 13

 決して、蘇我氏をないがしろにしたわけではない。

 自分の志を達するために、今回だけは蘇我氏という一族が邪魔になっただけだ。

 彼女が大王になってからは、その後も変わらず豊浦大臣や林大臣を尊重した。

 が、大王測位時に、反蘇我派 ―― 軽皇子や大鳥臣(阿倍内麻呂)などの力を借りたせいで、その勢力の意見も尊重しなければならなくなった。

 宝大后は、その両者を見事な政治力で巧みに操りながら、自分の夢を実現化するために動いた。

 田村大王の代に発案され、計画が止まっていた大寺と大宮の建設を命じた。

 さらには、飛鳥全体の改造に取りかかった。

 飛鳥は………………彼女の箱庭と化した。

 彼女は、邪魔者を許さなかった。

 大抵の政事は、林大臣や大鳥臣、軽皇子の意見を聞き入れ、任せていたが、飛鳥に巨大な都を造るという夢だけは誰にも意見を挟ませなかった。

 彼女を大王から引き摺り降ろし、その計画を潰そうとしていると思った相手なら、たとえ国に貢献した者でも容赦はしない。

 それが、林大臣を代表する蘇我一族であろうと。

 だが、その考えが逆に彼女を窮地に陥れる ―― 乙巳(いっし)の変!!

 都造営を邪魔すると思われた蘇我本家の滅亡が、逆に反蘇我派を勢いづかせ、大王の座を奪われるだけでなく、都も難波に移されてしまった。

 彼女の計画は頓挫し、大都の話は二度と日の目を見なくなる。

 ―― ああ、私はなんて愚かなのだろう………………

 自分の策に溺れたとしか言いようがない。

 林大臣が、蘇我一族が大王を廃することなどあるはずがないのに。

 弟や反蘇我派の姦計に乗ってしまって………………

 あまりに政治力を発揮しすぎ、自分で仕掛けた罠に、自ら嵌まり込んでしまった。

 そして小墾田の地で、良く言えば残りの余生を静かに過ごしている、悪く言えば幽閉だ。

 ―― これじゃ、あの頃と一緒じゃないか………………

 宝皇女は、背中に何かが覆いかぶさる気配で目を覚ました………………そこは、誰も訪れることのない小墾田宮である。

「あっ、申し訳ありません、起こしてしまいましたか?」

 侍女である。

 どうやら、漢籍を読んでいて眠ってしまい、侍女が着物を掛けてくれたようだ。

「いえ、良いのよ、ありがとう」

 彼女は礼を言うと、庭に目を移した ―― 橘の木 ―― 花を付けるには、まだ早い。

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