【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その三 おりつの一件始末 7
それから3日間、勝五郎と伝兵衛は寺に通い、おりつを何とか説き伏せようとした。時に、〝お腰掛り〟から怒鳴り声が聞えてくることもあった。
が、おりつの決心は揺るがなかった。
いよいよ、離縁しかあるまいと、惣太郎も判断し、勝五郎たちに夫側と縁切りに向けて話し合えと申し渡した。
だが、勝五郎は承知しなかった。
そこで、あまりこういう手は使いたくはないのだが、拒否するなら〝お声掛り〟にするぞと脅した。
やくざ者でもないかぎり、大抵の者はこの脅しで観念するのだが、勝五郎は娘同様頑固だった。
なるほど、似たもの親子である。
「なぜ、それほど娘を拒否するのです。娘の幸せがかかっているのですよ」
「だから言ったじゃないですか、もう娘じゃねぇって」
「あなたには、親としての情はないのですか」
「がきに言われたかねぇや」
「がきとはなんだ、がきとは!」
「待て待て」と、清次郎と伝兵衛が間に入った。でなければ、つかみ合いの喧嘩になっていたところだ。
惣太郎を落ち着かせながら、
「勝五郎、そこまで言うのは、他に何か理由(わけ)があるのではないか。言うてみい」
と、清次郎が尋ねた。
勝五郎は、むすっとしたまま座っている。
代わりに、組頭の伝兵衛が答えた。
「実を言いますと、向こうのお袋さんから金を出せと言われてまして……」
「確か、おくまだったな。金とは、趣意金(慰謝料)か」
「それもありますが……」
伝兵衛は、言っても良いかと勝五郎を見る。
勝五郎はぷいと他所を向く。
仕方なさそうに伝兵衛は口を開いた。
「おりつが甚左衛門のところへ嫁に行くとき、金を出してもらったんです」
娘を金で売ったのか、この男、どこまでも非情なやつだと惣太郎は憤った。
「それで、いくらだ」
清次郎は、手で惣太郎を制しながら訊いた。
「十両ほど」
「それは大金だな。で、その金はどうした。酒でも買って飲んだか、博打に使ったか」
「冗談じゃねぇ」と、勝五郎が吐き捨てた、「娘を売った金で、酒なんか飲めるか」
伝兵衛も頷く。
「その通りでございますよ、お役人さま、娘を売った金で酒なんて。借財を返したら、金は全部綺麗になくなってしまいましたよ。当時は日照り続きで、思ったほどの収穫はでず、それでも年貢は変わりませんから、種籾まで出す始末。自分のところには殆ど残りません。それでも、子どもを食べさせていかなければならない、来年の種籾も必要だ、となると、あとは金を借りるしかない。だが、来年の米で返せるかどうかはお天道さまとお代官さま次第です。それが溜まりに溜まって……」
首が回らない状態になった。
「そこに、先代の甚左衛門さんから、おりつを息子の嫁にどうかという話があったんです。実は当時、おりつには好いている男がおりまして、一度は断ったのですが……」
借財を肩代わりしてやると言われ、泣く泣く嫁に行ったらしい。
やっぱり娘を売ったのではないかと、惣太郎は勝五郎を睨みつけた。
勝五郎は、格子窓から霞がかかったような空をじっと見つめていた。
「まあ確かに、口さがない村の連中は、娘を売ったなどと噂はします。しかし、それはどこも同じような状況でして、幼い子どもたちを食べさせるには、年かさの者に犠牲になってもらうしかしょうがないのです。ときには、その幼い命を犠牲にすることだってある。それが、百姓の悲しい運命(さだめ)なのでございます」
「うむ、それで、おくまは、離縁をするならその時の金も返せというのだな」
「はい、しかも利子をつけて。それが、あの女(ひと)の凄いところで、おりつが嫁に行くときに、離縁となれば、利子をつけて金を返すと証文をとっていたのですよ。だから、勝五郎さんとしては、どんなに可愛い娘が帰ってこようが、別れさせてくれと言おうが、分かったとは言えなかったのですよ」
伝兵衛が話し終わったとき、惣太郎は誰かの嗚咽をきいた。
見ると、勝五郎がぼたぼたと大粒の涙を床に零して泣いている。
「親としての情がないだと、ふざけんじゃねぇ。親はな、どんなにがきが年とろうが親なんだよ。娘のことが可愛くて、心配で、でも、親として何もしてやれね自分が情けなくて……」
勝五郎の肩が激しく揺れている。
「娘が糞婆にいびられてるんだ、オラだってどうにかしてやりてぇよ。だが、どうもできなぇんだよ。なあ、あんたに分かるか、甲斐性なしの親父のせいで、不幸になっていく子どもたちに、慰めの言葉もかけてやれねぇこの辛さが」
勝五郎は涙を浮かべた目で、ぎっと惣太郎を睨みつける。
「馬鹿な親のもとに生まれてきたばっかりに、辛い目に遭わせるしかねぇ、これも宿命(さだめ)なんだと心で子に詫びる寂しさが!」
惣太郎は、勝五郎に返す言葉がなかった。
ただ、いまにも零れ落ちそうになるものをぐっと堪えて、膝の上に置いている握りこぶしを見つめていた。
「勝五郎、もういい。それ以上は口が過ぎるぞ」
清次郎の言葉に、勝五郎はまだ何か言いたそうだったが、押し黙った。