【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 後編 20
「漢詩ではなく申し訳ございません」
額田姫王は、葛城大王に頭を下げる。
「いや、漢詩であろうとなかろうと、そなたの歌に誰も文句はつけられまい。なあ、大海人よ」
葛城大王は、大海人皇子に話を振るが、彼はぶすっとした顔で酒を飲み続けている。
何がそんなに気に食わないのか?
葛城大王も、大海人皇子を睨みつける。
「大海人よ、そなた、いつもの歌なら詠えるだろう」
「……いえ、自分は不調法ですから」
「なら、何ができる?」
「何が……?」
再び場が静まり返る。
「このような酒の場だ。それぞれが、ぞれぞれの特技で場を盛り上げる。ただ酒を飲んでいるだけではつまらないだろう?」
「……私ができるのは……、槍の舞ですかね」
「なら、それを踊れ!」
大海人皇子は酒をぐびっと煽ると、杯をすぱんと床に叩きつけ、近くにいた舎人から槍を受け取ると、ふらふらな足つきで踊り始めた。
―― 槍の舞が始まった!
安麻呂は、馬来田を見る。
―― これは、予定どおり………………?
馬来田は一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐさま戦の顔になり、いつでも飛び出せるように身構えた。
大伴一族も、臨戦態勢である。
予定は大幅に違うが、こうなったら流れに身を任せるしかない。
安麻呂も杯を置き、息を詰める。
大海人皇子は、槍を抱えながら右へよたよた……、左へよろよろ……、舞うというよりも、千鳥足でふらついているようだ。
右へふらふら………………
左へとことこ………………
そのまま大王の前まで進み出る。
みんな、大海人皇子のあまりの姿に、呆然と見つめている。
大海人皇子は、葛城大王の前に来ると、ぎろっと睨みつける。
葛城大王も、大海人皇子を睨む。
刹那、大海人皇子は槍を大きく振り上げると、葛城大王の目の前の床にめがけて、一気に突き立てた。
激しい音とともに、槍の柄が左右前後に揺れる。
みな、何が起こったのか分からず、唖然としている。
肝心の馬来田も、動けずにいる。
「斬れ! こいつを斬れ!」
大王の怒声に、やっと周囲が動き出す。
舎人たちが、わっと駆けつけてくる。
皇族たちが我先にと逃げる。
「くそっ、こんな形で。仕方がない、やるぞ!」
と、馬来田たちが戦闘態勢に入る。