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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第二章「槻の木の下で」 前編 16

 三嶋に来て2年、父の中臣御食子が亡くなった。

 中臣鎌子にとっては煩いだけの父だったので、死んだことに対して何の感情も生まれてこなかった。

 祭壇に横たわる父の白い顔を見ても何も感じなかった。

 むしろ、清々とした気持ちであった。

 母は、取り縋って泣いていた。

 木棺を閉める時に、彼は改めて父の顔を見た。

 その顔には、中臣という小豪族を、大豪族にしようという男の野心は、微塵も感じられなかった。

 そこには、小さくなった男がいた。

 それを見た時、鎌子は初めて泣いた。

 舒明(じょめい)天皇の治世11(639)年7月、田村大王は百済川の辺に大宮と大寺を造る詔を出した。

 百済宮(くだらのみや)と百済大寺(くだらのおおてら)である。

 この時、蘇我蝦夷から、西国の豪族から宮造営の人員と資材を、東国の豪族から寺建立の人員と資材の提供を求める命令が下されたが、誰一人としてその命令に従うものはいなかった。

 その年の9月、新羅から使者が来たと言うので、鎌子は気分転換のつもりで、久しぶりに難波津まで足を伸ばした。

 相変わらずこの港は活気がある。

 目当ての新羅の船は、すでに舫を取り、荷物を降ろし初めていた。

 その中に、見知った顔がいた。

 —— 魚主だ!

 鎌子は、迷わず声を掛けた。

「おう、中臣の坊主やないか、随分とご無沙汰やな。いまじゃ、部屋に篭もって木簡ばかり読んでるんやて? そんなんばっかりしよったら、病になってしまうで」

「大丈夫ですよ。ほら、顔はこんなに黒いでしょ」

 魚主の言うとおり、ここ数年、鎌子は部屋に篭もっていたのだが、それでも日焼けが落ちなかった。

 彼は初めて知るのだった —— 自分が地黒だったということを。

「ほんまか? まあええ、なんや、今日は新羅の船を見に来たんか?」

「ええ、何か、珍しいものはないかと思いまして」

「珍しいちゅうてもな……、おっと、珍しい人ならこっちに来よるで」

 鎌子は、魚主の目が指す方を見た。

 そこには、一人の貴人が、お供を大勢引き連れてこちらに歩いてくる姿があった。

 どこかで見たことがある顔だ。

「普段は、港なんかに来んのにな」

「誰です?」

「ワシの雇い主の山田様(蘇我倉)や」

「ああ、あの方が」

 そうか、父の葬儀で顔をあわせた蘇我倉麻呂(そがのくらのまろ)殿か。

 麻呂は、魚主の下まで来て、声を掛けた。

「どうです、魚主、荷物の陸揚げの方は?」

「はい、まもなく終わります」

 魚主は深く頭を下げ、顔を上げない。

 麻呂は、鎌子の顔を見た。

「はて、どこかで、お会いしたような?」

「はい、父の、中臣御食子の葬儀の際に」

「ああ、御食子殿のご子息か」

「御食子と大伴の娘 —— 智仙娘の子、鎌子です。」

「おお、そうか、そうか。いや、こんな所でお会いするとは、なんとも奇遇ですな」

「はい」

「私も、お父上には随分と世話になったものですから。それで……、今日は新羅の船を見に?」

「はい、興味があるものですから」

「そうですか、私は何度も見ているので、もう飽きてしまいましたが。おお、そうだ、今夜、我が家で新羅の使者を招いて酒宴でも催そうと思っているのですが、如何ですかな、お暇であれば?」

 鎌子は考えた。

 今日中に読み終えたい木簡があるのだが、新羅の使者とも話をしてみたいし………………これも勉強だな。

「お邪魔でなければ」

「邪魔だなんてとんでもない。是非お越しくださいよ」

 麻呂はそう言い残すと、新羅の船の中に入って行った。

「おい、お前、気に入られたな。蘇我倉様が、他人を誘うなんて滅多にないぞ」

「えっ、そうなんですか?」

 この日の夜、鎌子は久しぶりの酒を口にした。

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