【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その三 おりつの一件始末 1
「名は」
「りつです」
「年は」
「数えで24です」
「生まれは」
「武州新座郡舘村」
「父及び母の名は」
「父は勝五郎(かつごろう)、母はまさです。百姓をしております。いまだ生きてます」
「兄弟はいますか」
「はい、上に兄がひとりと姉がふたり、弟が三人と妹がひとり」
「多いですね。それで、亭主の名は」
「甚左衛門(じんざえもん)です。同じ村の名主をしております」
「年は」
「あたしと同じ、数えの24です」
「舅姑(きゅうこ)の名は」
「舅も甚左衛門で、昨年亡くなりました。姑はくまといいます、まだ……生きてます」
「それで、ここに駆け込んできた理由(わけ)は」
「はい、その……」
「理由があるから、わざわざ遠くから駆け込んできたのでしょう。言ってみてください」
「は、はい、では、その……、姑との仲が、上手くいっておりませんで……」
「どういうふうに上手くいっていないのです」
「はい、その……、強く当たられるんです、飯が固くて食べられないだの、汁が辛くて飲めないだの、埃が落ちてて見苦しいだの、洗い物の汚れが落ちていないだの……、挙句に、お前は、あたしが死ねばいいと思ってるんだとか、この家の財産が狙いで息子の嫁になったんだろうとか……」
「なにか、そういわれる原因というか、そういったことに心当たりとかないのですか。いくら酷い姑でも、自分の機嫌が悪いという理由で、嫁に当たる者もいないでしょう。何か、その姑の機嫌を損ねるようなことをしませんでしたか」
「それは……」
「心当たりがありますか」
「私が……石女(うまずめ)……だからだと……思います」
「そ、そうですか……、それで、甚左衛門に嫁いで、いくつです」
「17でしたから、7年です」
「それで、一度も」
「……はい」
「そうですか……、で、姑は跡取りが欲しいというわけですね」
「はい。息子の代で血を絶やすわけにはいかないと、口癖のように」
「養子とかは、考えていないのですか」
「甚左衛門には兄弟はおりませんし、親戚も皆女の子で」
「なるほど。で、亭主はなんと言っているのです」
「主人は……、子は授かりものだから、できればいいなというような、そんな曖昧な様子でして」
「亭主は、どういう男です。酒癖が悪いとか、すぐ手をあげるとか、口が悪いとか、仕事をしないとか」
「全然、真面目に名主の仕事もしますし、酒は飲みません、女に手をあげるような人でもありませんし、何かとあたしに気をかけてくれます。ただ、母親には頭があがらないようです」
「では……、女癖のほうは」
「それは……」
「あるんですか」
「妾はおりませんし。ただ、姑が……、あたしに子どもがないなら、妾でも作れと申しておりまして、実はそれで……」
おくまの身内に当たる、今年18になる女を妾にしようとしたらしい。はじめ、夫は拒んだが、おくまが「どうしても孫の顔が見たい、一度でいいからこの手に孫を抱いてみたい、でないと死んでも死にきれん」と泣いて、息子に迫ったようだ。母親に頭のあがらない息子は、その娘と関係を持ったとか。
それはあまりに酷いと、おりつは家を飛び出し、実家に戻った。
が、実家では、そんなことで戻ってくるなと追い出され、どうしようもなく、ここに駆け込んできたという。
顔には、まだ幼さの残る女であった。大きな瞳に、ちょんと盛り上がった鼻、小さいが厚みのある口元。きちんとお白粉を塗り、紅をつければ、さぞかしいい女であろう。が、家事が忙しくて、手入れができないようだ。肌はかさかさで、粉がふき、乾いた唇にはひびが入り、所々皮が剥けている。
身体は小さく、襟元から覗く首には、筋が浮かんでいる。膝に重ねられた手は爪先が黒く汚れ、何本かの指は赤くはれ上がっている。関節部分は、痛々しいほど赤みが覗いていた。
相当、姑に扱き使われているようだ。
それでも、『女子三従の教え』ではないが、親に従えと耐えてようだ。
しかし、はじめは調所の寒さと役人に取調べられるという不安から強ばっていた顔も、姑から子ができないと責められるという話になったところから、涙を浮かべ、鼻を啜り、夫が他の女と関係を持ったと話した途端に、いままで必死に耐えていたものが、どっと溢れ出して、床に伏して泣き出した。
女の涙には勝てぬというが、初めての取調べで泣かれてしまい、惣太郎はこれ以上、おりつを取調べることはできなかった。
後ろを振り返ると、清次郎は腕を組み、目を瞑っている。清次郎も、女の涙に耐えられないのか。いや、いかなるときも冷静な御仁だ。ともすれば、冷静が通り過ぎて、女に酷いことを言って泣かせることもある。おりつが泣いたところで、動揺はするまいと思った。何か、別のことでも考えているのだろう。
取敢えず、おりつを寺預りとし、世話は母に任せることにした。