没頭に取り憑かれた小学生の頃の僕
こんにちは.広域性通信高校サポート校・CAP高等学院の代表をしている佐藤裕幸です.最近は『シン・ニホン』公式アンバサダーとして,“サトティー”というニックネームで活動もしています.
「売れる学校とは?」という問い
僕は毎週水曜日の夜に開催されているベネッセ総合教育研究所主催のオンライン座談会に参加していて,全国のさまざまな先生とさまざまな話題について対話をしています.
今回,僕が参加したグループの話題は,「売れる学校について」.少し表現が悪いのですが,これからどんな学校が子供達に求められるか?みたいなことを話しました.
その中で出てきたのが,「何かに没頭し続ける生徒を認められる学校」です.
最近では,変形労働制の導入などもあり,生徒たちがどんなにのめり込んでいる場面であっても,時間がくれば帰宅を促します.また,「探究学習」「PBL」が注目される中,「もうそのぐらいでいいんじゃない?」と区切りをつけるように声をかける先生もいるそうです.
あらゆる状況下で,「生徒のため」という表現で先生方の我慢と犠牲で成り立つ働き方には大きく異議を唱える一方,“ココ!”というところで,生徒さんたちの学びにアクセルを踏むお手伝いをするタイミングを,単に時間などで区切ってしまっては,“没頭”は生まれないと感じています.
没頭は目標とか夢とはちょっと違う
そして,“没頭”は別に明確な目標なんてなくてもいいと思っています.
僕が数学を好きになった根本体験には,「コンパスへの没頭」があります.
小学校の時に算数の授業でコンパスを使うようになってから,コンパスの魅力に取り憑かれ,お小遣いのほぼ全部を様々なコンパスを購入することに充てました.脚の長さが違うものや脚が途中で曲げられるもの,芯だけがついているもの,鉛筆を挟むもの...たかがコンパスですが,たくさんの種類があることにのめり込みました.
さらに,コンパスと定規があれば,円はもちろん,三角形や線分の垂直二等分線や三等分線なども描ける,“最強ツール”であることにワクワクしていました.
そんな経験が,数学の教員という経験をもたらしてくれたのは,まさに“没頭”があったからと思っています.
たしかに,20種類近くのコンパスを学校に持ち込み,ニヤニヤしながらひたすらいじっているのは,変かもしれませんが,そんな生徒さんを受け止められる学校があればと思っていますし,CAP高等学院はそこを大切にしたいと思っています.
没頭する内容に良い悪いの判断は不要
何かに没頭している人を見ると,「それってなんの役に立つの?」と言ってくる人がいるかもしれません.しかし,そんなことは全く気にする必要はないと思っています.
例えば,僕の知っている中学生の一人は,「西武新宿線が大好き」です.他の電車にはないレトロ感がたまらないそうです.その中学生は,ほぼ毎週のように西武新宿線を見に行き,色々な駅から電車を眺めたり,逆に様々な地点から駅を眺めるのが好きになったそうです.西武新宿線をインターネットで画像検索し,出てきた風景はほぼすべて正確に答えられます.西武新宿線沿いの街並みもほぼ頭に入っていて,西武新宿線に関することを質問すれば,ほぼなんでも答えられます.
ちなみに彼は渋谷区に住んでいるので,西武新宿線が日常の風景にあるわけではありません.
ここまで極められると,「西武新宿線のことなら,彼に聞けば解決できる!」と認知されます.他の人にはない価値を彼は確実に手に入れていることになります.
没頭する内容に良いも悪いもないわけです.
個性あふれる学校は面倒臭い?
これまで様々な場面で使われてきた“みんな”や“普通”という言葉のほとんどは,他の人や他のことと異なるものを排除するために使われてきました.
「みんなそう言っているよ!」「普通はそんなことしないでしょう?」
これからの“みんな”や“普通”はどう変われば良いのでしょうか?本気で考えてみる必要がありますね!