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先生になろうと思ったきっかけ

森信三『修身教授録』致知出版社 第35講 為政への関心

大学浪人時代、社会科の様々な教科を学び、日本の教育はこのままではダメだと思った。
文部省に行き、官僚となって、教育を変えるんだと思い立った。
しかし、官僚になるまでの困難さや、省庁で自分の思いや願いを叶えていくのはとても険しく、それまでに要する時間は極めて長くなってしまうことを予備校の先生から教えていただいた。
しかも、偉くなれるとは限らないわけだ。
そこまで時間がかかって、できないこともあるような世界に飛び込むくらいなら、教師になって、目の前の子供達と共に、日本・世界を良くするような仕事がしたい。
そう考えて教育学部の中でも、小学校課程のある大学への進学を決めたのだった。
私の関心は、教育を通して、日本・世界の平和に貢献をすることだった。

それというのも真の教育者は、しばしば申してきたように、その心の奥底には、いかにしてこの現実会を救うかということが、その根本問題だからであります。少なくともそうした情熱が、常にその中に納められていなくてはならぬでしょう。

P245

さて、私は小学校教員から大学の教員へと転職をしたわけだが、あの時の情熱は変わっていない。
私が小学校教師という仕事を通して感じた楽しさや困難さは山ほどあった。
楽しかったのは授業であったし、逆に多くの人が困難さを抱えていたのも授業であった。
私は、子供達と過ごす時間の中でも授業が大好きだった。
子供達と問題や課題を解決しようと追究したり、その中で子供たちの成長を感じたり、子供達と笑い合いながら学んだりしていくあの時間が大好きだった。
しかし、授業の大変さや、うまくいかずになんでこういう授業になってしまうんだろう、という思いを抱いたのも授業だった。
学校現場には、授業をめぐる課題が山ほどある。
教え込み、教師の見栄、探究の授業になっていないこと、それを行うための多忙感、人間関係・・・
そういうことが山積しており、この課題に教育現場の外から多くの提言をしていきたいと考えるようになった。

教師は学校でほとんどの時間を授業をして子供たちと過ごす。
授業を充実させ、先生たちの授業が充実することが、日本・世界の平和の貢献につながると思って、大学での研究や後進の育成や現場への支援をしようと考えたのだった。

まだこれを書いている現在、私は駆け出しの研究者・大学の教員であり、何を偉そうな、ということを感じているが、そういった仕事ができるようにこの志はずっと忘れずにいたいなぁと思い、ここに書いてみた。

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