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noteさん、私のお墓になってくれますか?

ネットニュースで、ブログがお墓として機能している、という記事を読みました。一年ほどの闘病生活の後亡くなられた息子さんが綴っていたブログを、彼のお母様がペースをおとして更新されたり、法要のたびにブログを開いて手を合わせて故人を偲んでいる。これはブログが墓として機能しているのではないか、というような内容でした。

その記事のことを思い出したのは、「この夏は帰省を見送るしお墓参りに行けないね」と夫と話していた最中。こんなご時世、ネットで供養、画面越しの墓参、など話題にはなりましたが、なんだかサバけすぎててピンとこなかったのですが…。そっか!ブログなら、濃いい故人の思いが色褪せずにそのままそこに残ってるんだ、とガチッとハマったのです。


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まだまだ先、とは思いつつ、「自分のお墓はどうしよう、ある程度の意志は子供に伝えておいた方がいいかな」等と考えることもあります。土地もどんどんなくなるし、お墓作らず骨をペンダントにしてくれたらいいよ〜なんて本気半分で話したしてたりもしますが、はたして、そのペンダントを見て私を思い出してくれるのか?そもそもそのペンダントは引き出しの奥か押し入れの隅のお菓子の缶の中とかにしまい込まれてるなんじゃない?

で、ですよ!ここでnote ですよ!ブログもいいけど、noteなら私の思いも日々感じた事も、ウクレレ弾き語りも陶製作も全て貼り付けてあって、これは、立派なお墓になってくれそうだ!と思い至ったのです。ここに来てくれたら、母の日常・お婆ちゃんのウクレレ・ひいばあちゃんの時代の様子を、懐かしんだり感じ取ったりしてもらえるはず。

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noteさんは100年、200年後も変わらず存在してるかな。誰も更新しないままになっても、私のお墓としてずっとおいといてくれるかな。

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